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2017年12月 6日 (水)

哀悼 はしだのりひこさん告別式 600人で「風」を合唱 記事と、フォークル シューベルツ その後の動画など。

 記事を何本か紹介したあと、その後ろで何本か動画をご紹介
・フォークルデビュー当時のイムジン河の動画。
・フォークル解散後、シューベルツの時の動画。
・1995年はしだのりひこ50歳の時の動画。
・今年2017年4月23日(日)「京都フォークデイズ・ライブ きたやまおさむと京都フォークの世界」で、はしだのりひこが1969年(昭和44年)に作曲&リリースした「風」を「はしだのりひこ、北山修、杉田二郎、皆で合唱」の動画。
・イムジン河を2曲で「北山修、坂崎幸之助、加藤和彦」のイムジン河、「はしだのりひこ、坂崎幸之助」のイムジン河。

 

はしだのりひこさん告別式 600人で「風」を合唱
[2017年12月6日15時13分]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201712060000474.html

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はしだのりひこさんの葬儀で「風」を歌い、見送った杉田二郎(左から2人目)と、はしださんの最初のバンド「ドゥーディ・ランブラーズ」メンバーだった田平義昭さん(同3人目)藤原洪太さん(右端)ら(撮影・村上久美子)

 「ザ・フォーク・クルセダーズ」メンバーの故はしだのりひこさん(享年72)の葬儀・告別式が6日京都市内で行われ、最後は杉田二郎(71)が音頭をとり、参列者約600人で「風」を合唱し、見送った。

 「自分たちが通った道にはエネルギーとか、落としてきてるような気がするけど、実際、振り返ったら何もない。確認しながら前へ進むだけ。そんなメッセージが、のりちゃん(はしださん)らしい。誰ともなく、みんな『風』で見送りたいと思っていたはすです」

 杉田は式を終え、合唱の経緯、理由、込めたメッセージを説明。「はしだのりひことシューベルツ」メンバーとして「風」を歌い、本格的に音楽人生をスタートした杉田は「これからも大切に『風』を歌わせていただきたい」と約束した。

 この日、正午に始まった告別式。音楽関係者や知人以外にファンも多数訪れ、無宗教形式で進行。焼香に代わって、メッセージカードを棺に納める形式で進み、続いて、フォークル時代の盟友きたやまおさむ(71)が、映像でメッセージ。きたやまは仕事で前日の通夜、この日の葬儀には出席できず、3日に訪れ、はしださんと対面。メッセージでは「風」の詞を朗読し、「かける言葉はこれしかない」と語った。

 きたやまのメッセージに続き、ギターを手にした杉田が祭壇の前へ進み「最後に大声で、思いっきり歌って、のりちゃんを見送ってやってください」。こう呼びかけ、はしださんの高校の同級生で最初のバンド「ドゥーディ・ランブラーズ」仲間だった藤原洪太さん(72)田平義昭さん(73)らとともに、「風」を歌い始め、大合唱へと発展した。

 杉田は「のりちゃん」とはしださんを慕っていたが、実際には「師匠のような存在」だったという。はしださんらの「フォークル」をきっかけに、京都市内に起こった空前のフォークブーム。杉田も「ジローズ(初期)」を組み参戦していたが、多くのグループがいる中で、実質的な「要の方」がはしださんだった。

 杉田は「あのころ僕はあかんたれで、のりちゃんから『思いっきり魂を込めて歌え』とか、しかって、アドバイスをもらいました」。はしださんは自分の信念に合わない音楽、活動の仕方には一切迎合せず「あっちがおいしそうやなと思っても、ダメ、違うよ。自分たちは何をやるのか、スピリットが強かった」と、杉田は振り返る。

 歌には厳しかった一方で、素顔は「優しくて、(年下だが)呼び名は『のりちゃん』でいいと。温かい人でした。今日この瞬間、亡くなったという現実を受け止めるしかない」と唇をかんだ。

 また葬儀には、長女が劇団時代の先輩にあたる俳優志賀廣太郎(69)も訪れ、仕事で京都に来た際には、自宅に泊まり、食事会なども同席。「楽しい気分のまま、ずっと生きているような人でした」と話した。

 志賀は現在、ドラマ「陸王」でも名脇役ぶりを発揮しているが、10月末に緩和ケア病棟に移ったはしださんは、病床でも「陸王」を見ていたという。

 志賀は「夏に2度ほど、お見舞いに行って、また来ますと言ったまま、実現できなかった。それが残念。今はただただ、ゆっくりお休みくださいと言いたい」と話していた。

 

はしだのりひこさん告別式、杉田二郎ら「風」を追悼合唱
2017年12月6日15時54分  スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20171206-OHT1T50080.html

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はしだのりひこさんの告別式で「風」を歌う杉田二郎(左から2人目)ら参列者

 「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られるフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだった歌手・はしだのりひこ(本名・端田宣彦)さん(享年72)の告別式が6日、京都市伏見区のセレマ稲荷シティホールで営まれ、歌手・杉田二郎(71)ら約600人が参列した。

 無宗派だったはしださんの思いをくんで、5日の通夜に続いて音楽葬のような形をとった。2003年に発売し、遺作となったミニアルバム「風」に収録されている「学校の見える丘」を、はしださんの家族らが歌った。最後は、杉田が「みんなで大声で歌って、ノリちゃんを送りたい。ノリちゃん、いくよ」とはしださんに声をかけ、参列者全員で「風」を追悼合唱した。

 「はしだのりひことシューベルツ」のメンバーとして、はしださんとともに活動した杉田は、「右も左も分からない頃にノリちゃんに出会って、たくさんのことを教えてもらった。『思い切り魂を込めて歌わないとダメだ』とか、スピリットあふれる話をいっぱいしてくれた。これからも『風』を大事に歌っていきます」と話した。

 同バンド時代は、京都駅に集合して小さな軽自動車にメンバーと楽器が乗り込んで、全国各地を回っていた。井上博さん(1970年死去)が使用していたウッドベースが入らず、軽自動車の左前方と右後方の窓を開けて斜めに入れ、窓から飛び出すような状態でメンバーと楽器がギュウギュウになって移動し、「それも楽しかった」と懐かしそうに振り返った。

 また、最後の公の場となった4月のKBS京都の音楽イベントでは、「私は羽生結弦です」とあいさつし、観客の笑いを誘ったことも明かし、「最後までユーモアにあふれていた。厳しい反面、みんなを飽きさせない努力をしていた」とはしださんをしのんでいた。

 

はしだのりひこさん告別式 ヒット曲「風」大合唱で送る
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/12/06/kiji/20171206s00041000174000c.html

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はしだのりひこさんの告別式で、「風」を歌う(左から)北村謙、杉田二郎、元「ドゥーディ・ランブラーズ」の田平義昭氏と藤原洪太氏

 パーキンソン病のため2日に死去した「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーで歌手、はしだのりひこ(本名端田宜彦=はしだ・のりひこ)さん(享年72)の告別式が6日、京都市伏見区の「セレマ稲荷シティホール」で営まれ、音楽仲間ら約600人が参列した。

 式では、「はしだのりひことシューベルツ」のヒット曲「風」の大合唱となった。同バンドの元メンバーで歌手の杉田二郎(71)がギターを手に、「最後に皆さんと一緒に大声で歌って見送りたい。ノリちゃん、いくよ」と棺に語りかけてスタート。はしださんの元バンド仲間らと歌をリードする中、参列者の歌声が響き、最後は大きな拍手に包まれた。

 杉田は「これからも大切に“風”を歌っていく」と誓った。はしださんへは、「右も左も分からないアマチュア時代からいっぱい教えていただき、プロになってからも、魂を込めて歌わないとだめと教わった」と感謝。「やりたい事を明確にして突き進むスピリッツはすごかった。その片りんを受け継げたら」と語った。

 またシューベルツ時代の懐かしい思い出も明かした。メンバーにとって唯一の“足”だったのが、はしださんの軽自動車。運転手ははしださんで、ギターや巨大なコントラバスなどの楽器を積み込み、ぎゅうぎゅう詰めで移動したことをほほえましく振り返った。

 元フォークルのメンバー・きたやまおさむ(71)は通夜、告別式には参加できなかったが、はしださん死去の翌日となる3日夜に弔問。親族らに思い出や疎遠になっていた時代の話をしたという。この日の式には「風」の歌詞を朗読するビデオメッセージを寄せた。

20171206s00041000173000p_view はしだのりひこさんの告別式に参列し、報道陣に思い出を語る志賀廣太郎


[ 2017年12月6日 17:00 ]

 

はしだのりひこさん告別式に600人、「風」の大合唱でお別れ
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/12/07/kiji/20171206s00041000388000c.html

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はしだのりひこさんの告別式で「風」を歌う(左から)北村謙、杉田二郎、元「ドゥーディ・ランブラーズ」の田平義昭氏と藤原洪太氏

 パーキンソン病のため2日に死去した「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーで歌手、はしだのりひこ(本名端田宣彦=はしだ・のりひこ)さん(享年72)の告別式が6日、京都市内で営まれ、音楽仲間ら約600人が参列した。

 式では「はしだのりひことシューベルツ」のヒット曲「風」の大合唱となった。同バンドの元メンバーで歌手の杉田二郎(71)がギターを手に「ノリちゃん、いくよ」と棺に語りかけ歌をリード。参列者の歌声が響き、最後は拍手に包まれた。杉田は「これからも大切に“風”を歌っていく」と誓い、「やりたい事を明確にして突き進む精神は凄かった。その片りんを受け継げたら」と語った。

 また、名脇役としてMBS系ドラマ「陸王」にも出演中の俳優・志賀廣太郎(69)が参列。自身の所属劇団に以前、はしださんの長女が在籍した縁で親交を深めた。「会うたびに“志賀ちゃん、見てるで!”と言ってくれた。陸王もずっと見ていてくださったようです」と感謝した。

 元フォークルのきたやまおさむ(71)は通夜、告別式に出席できなかったが、はしださん死去翌日の3日夜に弔問。式には「風」の歌詞を朗読するビデオメッセージを寄せた。

20171206s00041000425000p_view はしだのりひこさんの告別式に参列し、報道陣に思い出を語る志賀廣太郎
Photo By スポニチ


[ 2017年12月7日 05:30 ]

 

はしだのりひこさん通夜に400人 亡くなる約10日前の病床での奇跡
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/12/05/kiji/20171205s00041000327000c.html

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ヒット曲「風」の文字が入ったはしだのりひこさんの祭壇

 パーキンソン病のため2日に死去した「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーで歌手、はしだのりひこ(本名端田宜彦=はしだ・のりひこ)さん(享年72)の通夜が5日、京都市伏見区の「セレマ稲荷シティホール」で営まれ、約400人が参列した。

 はしださんが64年に初めて組んだバンド「ドゥーディ・ランブラーズ」の元メンバー、田平義昭氏(73)と藤原洪太さん(72)は、はしださんが亡くなる約10日前に病室を見舞ったという。藤原さんが持参したギターではしださんの楽曲「祇園の鳥居」を田平さんと歌うと、はしださんは「ちょっと貸して」とギターを要望。「病床でギターを持って右手を動かし、左手はコードを押さえた。筋力が弱る中、あり得ない事が起きたと看護師も驚いていた」と2人は振り返った。

 はしださんのドゥーディ・ランブラーズ愛は深く、今年4月のKBS京都主催のフォークイベントにも「ドゥーディが出るなら」と、車いすで出演した。藤原さんは「3年くらい前から声はほとんど出ていなかった」というが、このイベントでは、はしださんが歌声を響かせた。「奇跡が起きた。最後の力を振り絞ったんだと思う」と目を潤ませた。

 来年4月には、はしださんの代役を立ててドゥーディ・ランブラーズの再集結ライブを予定していたという。藤原さんは、「はしだには、その日まで生きててくれよという話をしていたのに」と肩を落とした。田平さんも「とっつきにくいが、芯は優しいやつでした」と惜しんだ。

 はしださんは約20年前からパーキンソン病を発症。ことし5月に白血病を併発するも、「わしは戦う」と抗がん剤治療を行った。約10日前から意識混濁状態が続いていた。

 葬儀場には「はしだのりひことシューベルツ」のヒット曲名「風」と書かれた祭壇の傍らには愛用のギターが飾られた。告別式はきょう6日、同所で開かれる。

20171205s00041000330000p_view はしださんが最初に組んだバンド「ドゥーディ・ランブラーズ」の元メンバー、田平義昭さん(右)と藤原洪太さん


[ 2017年12月5日 21:21 ]

 

2017/12/05 19:51
はしだのりひこさんの通夜に約400人別れを惜しむ
https://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/20171205hochi160

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はしだのりひこさんの祭壇には白い花で「風」の文字がかたどられた

 「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られるフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだった歌手・はしだのりひこ(本名・端田宣彦)さん(享年72)の通夜が5日、京都市伏見区のセレマ稲荷シティホールで営まれた。

 祭壇は、白い花で自身のヒット曲「風」の文字がかたどられ、生前に愛用したアコースティックギターなどが飾られた。「花嫁」、「風」などのヒット曲が流れる中、約400人の参列者が別れを惜しんだ。

 弔辞を読んだ「スーパーマリオブラザース」などの生みの親である任天堂代表取締役フェローの宮本茂氏(65)は、「家が近所で、町内の運動会ではエスカレートして、本陣を構えてディレクターズチェアを持ち込んで、必勝法を考えていた。地蔵盆でもあつかましいお願いに嫌な顔をせず『花嫁』を歌ってくれた。きさくにみんなを楽しませてくれる人でした」と話した。

 はしださんは、20年ほど前からパーキンソン病を患っていた。今年5月には急性骨髄性白血病を発症。抗がん剤治療により回復したものの、体力の低下などにパーキンソン病が悪化。緩和ケア病棟に移り、最期は家族や友人らに囲まれて、穏やかに息を引き取ったという。

 50年近く付き合いがあった元マネジャーの田所資裕さん(65)は「根っこは優しいけど、外に出すものは激しかった」と振り返った。最後に会話したのは夏頃。田所さんが愚痴をもらすと、「人間はみんなアホなんやから」、「頑張れ」などと叱咤(しった)激励されたといい、涙を流した。

 葬儀・告別式は6日に同所で。

 

はしだのりひこさん死去 「悲しくてやりきれない」「花嫁」などがヒット
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/12/02/kiji/20171202s00041000181000c.html

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亡くなったはしだのりひこさん(中央)。1968年、「ザ・フォーククルセダーズ」時代の写真

 「悲しくてやりきれない」「帰って来たヨッパライ」などのヒット曲で知られる「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだった歌手のはしだのりひこ(本名・端田宣彦)さんが2日、死去した。72歳だった。

 はしださんはきたやまおさむ(71)、亡くなった加藤和彦さんとともに1965年に「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成。その後、別グループで「風」「花嫁」がヒットした。1971年には「はしだのりひことクライマックス」としてNHK紅白歌合戦に初出場した。

 10年ほど前から闘病生活を続けていたが、今年4月には京都での音楽イベントに車いす姿で参加していた。

[ 2017年12月2日 15:15 ]

 

2017.12.3 09:11更新
元「フォークル」はしだのりひこさん死去、パーキンソン病10年間患う
http://www.sankei.com/entertainments/news/171203/ent1712030006-n1.html

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ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとしてステージを盛り上げるはしだのりひこさん(中央)。左はきたやまおさむ、右は加藤和彦さん=1968年10月撮影

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はしだのりひこさん

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 「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られるザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった歌手、はしだのりひこ(本名・端田宣彦)さんが2日午前1時16分、パーキンソン病のため京都市内の病院で死去した。72歳だった。親しみやすい人柄と哀愁あふれる歌声で人気を博すも、10年ほど前から同病を患い、闘病生活を送っていた。フォークルの盟友、きたやまおさむ(71)は突然の訃報に「ノリちゃん、本当にお疲れさま」としのんだ。(サンケイスポーツ)

 1メートル63と小柄で童顔。フォークルのステージでは“センター”に立つことが多かったおかっぱ頭のはしださんが、10年間の闘病の末に逝った。

 親族によると、はしださんは10年ほど前、手や足のふるえなど運動機能障害が生じるパーキンソン病を発症。京都市内の自宅で治療に専念してきたが、今年5月ごろに急性骨髄性白血病を併発して入院。その影響でパーキンソン病が徐々に悪化し、2日未明に親族や友人に看取られて静かに息を引き取った。

 「ヒット曲は、みな同じパターンの繰り返し。僕はいつも、人がアッと思うようなことを考えている」と“フォーク魂”を燃やし続けたはしださん。きたやまおさむや加藤和彦さん(2009年死去、享年62)らが結成したフォークルには1967年、プロデビューの際に参加。翌68年に解散するまで抜群のハーモニーで「イムジン河」などの名曲をヒットさせた。

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http://www.sankei.com/entertainments/news/171203/ent1712030006-n2.html

 その後は歌手、杉田二郎(71)らと、はしだのりひことシューベルツを結成し、作曲を担当した69年のデビュー曲「風」が大ヒット。翌70年には、はしだのりひことクライマックスを結成し、デビュー曲「花嫁」で71年のNHK紅白歌合戦に初出場した。

 家族思いでも知られ、9年前に他界した妻が1983年に心臓発作で倒れ、3年間の闘病生活を送っていた当時は看病と長男、長女のために家事に専念した。

 4月23日には京都市でのイベントできたやま、杉田と共演。約10年ぶりの公の場となり、車いす姿で「風」などを熱唱。きたやまとは46年ぶりの共演だったが、これがラストステージとなった。

 フォークルは2002年、きたやまと加藤さんに加え、THE ALFEEの坂崎幸之助(63)の3人で再結成されたが、音楽関係者は「当時、はしださんは参加に意欲を見せたが、体調不良でその願いは叶わなかった」と振り返った。

 親族によると、はしださんは入院中、きたやまと共演した音源を何度も聴き、「最後まで復帰への意欲は衰えなかった」と無念さをにじませた。

 ★葬儀日程

 通夜は5日午後7時から、葬儀・告別式は6日正午から京都市伏見区深草下横縄町25の稲荷シティホールで。喪主は長男の端田篤人氏。

 ■はしだ のりひこ

 本名・端田宣彦 1945(昭和20)年1月7日生まれ、京都市出身。同志社大在学中の67年にきたやまおさむや加藤和彦さんらが結成したザ・フォーク・クルセダーズに参加。68年に、はしだのりひことシューベルツを結成し、「風」が大ヒット。同グループ解散後の70年に、はしだのりひことクライマックスを結成。71年に名曲「花嫁」でNHK紅白歌合戦に出場。妻の病気を機に“主夫”に専念し、その体験から、家事や育児をテーマに講演も行った。

 

 フォークルでデビュー当時の動画。

イムジン河 フォーク・クルセイダーズ
avantconsent
https://www.youtube.com/watch?v=1-eJDL3zLCQ&fmt=18

2007/04/19 に公開

ザ・フォーク・クルセダーズがテレビで歌ったイムジン河
左から、加藤和彦、はしだのりひこ、北山修。※

※その後、アルフィーの坂崎幸之助が接着剤の役割で残してくれた坂崎幸之助・北山修・加藤和彦のイムジン河、また坂崎幸之助・はしだのりひこのイムジン河を後ろで採録しました(←頁内ジャンプ)

「イムジン河」
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=22077

作詞:朴世永・訳詞:松山猛
作曲:高宗漢・加藤和彦

イムジン河 水清く とうとうと流る
水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ
我が祖国 南の地 想いははるか
イムジン河 水清く とうとうと流る

北の大地から 南の空へ
飛び行く鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を 二つに分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの

(間奏)

イムジン河 空遠く 虹よかかっておくれ
河よ 想いを伝えておくれ
ふるさとを いつまでも忘れはしない
イムジン河 水清く とうとうと流る

 

 フォークル解散後、シューベルツの時。

風 はしだのりひことシューベルツ
丸山勝
https://www.youtube.com/watch?v=ugtGClQLUdQ

2013/02/23 に公開

昭和44年のヒット曲 左から杉田二郎、越智友嗣、井上博、はしだのりひこ。

歌手:はしだのりひことシューベルツ
作詞:北山修
作曲:端田宣彦

 

 今から22年前、1995年はしだのりひこ50歳の時の映像。

♪風 ●はしだのりひこ
WoRKS1972
https://www.youtube.com/watch?v=RNMg1duOMCg

2014/03/22 に公開

概要:
花嫁
悲しくてやりきれない
青年は荒野をめざす
あの素晴らしい愛をもう一度

 

↓Twitter中の記事は、2017年4月23日(日)開催された「KBS京都創立65周年記念 京都フォーク・デイズ・ライブ きたやまおさむと京都フォークの世界」の記事。

https://twitter.com/orikasareiko/status/871008102128115712

 

 ↑Twitterで紹介されていた↓京都フォークデイズ・ライブ きたやまおさむと京都フォークの世界。

京都フォークデイズ・ライブ 「はしだのりひこ・北山修」
https://www.youtube.com/watch?v=mLCSM9lQo9s

2017/08/14 に公開

52秒(#t=52s)から、車イスに乗ったはしだのりひこ登場。冗談で客席を笑わせたあと、はしだのりひこが1969年(昭和44年)に作曲&リリースした「風」をはしだ、北山修、杉田二郎、皆で合唱

↑は↓の22分14秒(#t=22m14s)の所から33分1秒まで(#t=33m01s)。↓以下完全版の33分1秒から続きを聴くことが出来ます。

京都フォークデイズ・ライブ 「完全版」
https://www.youtube.com/watch?v=He1USGbEjjs

2017/08/12 にアップロード

きたやま おさむと、京都フォークの世界🎸 2017年4月23日、KBS京都ホールにて。

当初予定にはなかった、はしだのりひこ氏が サプライズで登場し、会場を沸かせました❗

 

 フォークルメンバー三人の内、最後に残った一人、北山修さんの記事と、そのうしろでイムジン河の動画。アルフィーの坂崎幸之助が接着剤の役割をして、北山修・加藤和彦とも、またはしだのりひことも一緒に歌って残してくれました。感謝。

あの素晴らしい講義をもう一度 北山修副学長、定年退職
佐藤太郎 2017年1月21日09時28分
http://www.asahi.com/articles/ASK1B42VNK1BUUHB008.html
Internet Archive 

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約20年勤めた九州大学の創立五十周年記念講堂の前に座る北山さん=2013年12月、福岡市東区

 白鷗大学(栃木県小山市)の北山修副学長(70)が3月31日付で同大を定年退職するのに伴い、2月4日に記念の特別講座が同大で開かれる。北山さんの最後の講義で、一般にも公開される。作詞家きたやまおさむとしてのミニコンサートも用意されており、懐かしの名曲が披露される。

 「北山修副学長退職記念特別公開講座」で午後2時半から4時半まで。はじめに北山さんが「〈名前のないアート〉について」と題して基調講演。同大によると「障害者がつくるアートについて語る」という。その後、同大の教授を交えて対談する。司会を務める伊東孝郎教授は「北山先生は副学長という役職とは関係なく、毎週水曜日に新幹線で来ては精神分析の基礎を学生に説き続けた。最後の対談も、心理学とアートの接点を北山先生がどう切り結んでいくか非常に濃密な内容になると思う」と話す。

 対談後、作詞家きたやまおさむとしてのミニコンサートが開かれる。進行役は「岬めぐり」「走れコウタロー」で知られるフォークシンガーで、同大教育学部教授の山本コウタローさんが務める。北山さん作詞の「あの素晴しい愛をもう一度」などの名曲メドレーで北山さんの最後の講義を締めくくる。

 北山さんは京都府立医科大を卒業後、ロンドン大学精神医学研究所で2年間の研修を経て1991年から約20年間、九州大学・大学院の教壇に立ち続けた。白鷗大には2010年から特任教授として在籍、13年4月に副学長に就任した。一方で65年にザ・フォーク・クルセダーズを結成、作詞家として「帰って来たヨッパライ」「戦争を知らない子供たち」などを世に送り出し、話題を呼んだ。

 白鷗大は公開講座に250人を無料招待する。希望者は同大のホームページ経由で申し込むか、はがきに郵便番号、住所、氏名(ふりがな)、年齢、性別、職業、電話番号、同伴者の有無(1人まで)を書き、〒323・8585 小山市大行寺1117 白鷗大学フォーラム係へ。締め切りは27日。問い合わせは同大地域連携サポートセンター(0285・22・9790)へ。(佐藤太郎)

 

イムジン河
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https://www.youtube.com/watch?v=W23kSbY2Zus

2009/08/08 に公開

左から、北山修、坂崎幸之助、加藤和彦。

2002年11月17日NHKホール
フォーククルセダーズ新結成記念解散音楽會

 

イムジン河/はしだのりひこ&坂崎幸之助
https://www.youtube.com/watch?v=A7AQZHvH6JY
akinolemmon

2009/10/29 に公開

概要:
ノイズ有り。 はじめて聴いたのがこのはしだバージョン。 加藤和彦ばかりに傾倒していたけどこのひとを忘れてはいけなかった。

雑談日記での関連エントリ:
2010年3月21日(日)北山修、九州大学定年退職記念さよならコンサート。

秋だからか、尚更さびしいね、曲を聴くと思い出すよあの頃。合掌加藤和彦さん、そしてイムジン河。

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※原発関連で3冊:

知事抹殺 つくられた福島県汚職事件 佐藤 栄佐久 (著)

原子炉時限爆弾 広瀬 隆 (著)

隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ 小出 裕章 (著)

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