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2017年1月28日 (土)

動画を2本、報ステ 台湾が脱原発をした理由 NEWS23 オリバーストーン監督の日本への警告

台湾が脱原発をした理由20170124houdoustation

台湾が脱原発をした理由20170124houdoustation 投稿者 gomizeromirai

 

オリバーストーン監督の日本への警告20170118NEWS23

オリバーストーン・監督の日本への警告20170118NEWS23 投稿者 gomizeromirai

 

↑↓関連動画

オリバー・ストーン 2013/8/6 原水禁世界大会 広島
http://www.dailymotion.com/video/x5hn87r

投稿者 osanpodeonigiri
公開日: 04/09/2017
期間: 24:55

オリバー・ストーン(ウィリアム・オリヴァー・ストーン:William Oliver Stone, 1946年9月15日 - ) 2013年8月6日 原水禁世界大会の映像。

 この動画は日本人すべてが見るべき。要するに日本には真の政治家はおらず、もしそう言う政治家が出てくると米国に顔を向けた(つまり米国を忖度する)日本の官僚・マスゴミ売国連合によって、なんと有ろう事か潰されてしまう(ここで言われているのは辺野古でつぶされた鳩山由紀夫氏)。要するに日本は米国の衛星国、属国。それをオリバー・ストーン氏は「You are simply a satellite state, client state of United States. 」と言っている。

 以下の時間の所でオリバー・ストーン氏は重要な事を話しています。ヒヤリングし、テキスト文字起こしをしておきました。

4分54秒〜
but when I look at Japan since world war2. I see, I see great culture, beauty, from my point of view I see great movies, I see great music, great food, but I do not see one, one politician, one Prime minister that is stood out for anything, for peace, for moral integrity not one. You only one that I even remember he's one that Obama got rid of recently, because he oppose the, he oppse the, because I(remember) Prime minister oppose the new policy of okinawa.

6分35秒〜
I think my question is to you, my question to you is why, why ? Germany horrible experience look at what they did what they need, they need for me still a peace keeping force in the world. Japan No. You are simply a satellite state, client state of United States. You have a great economy, great work ethic but you don't stand for anything.

なお以下、5分割版を一つにまとめた動画です(1は2分29秒のYouTube:以下同じ 2は5分16秒 3は9分48秒 4は4分7秒 5は3分14秒)。結合箇所はこの動画で2分29秒の所、7分45秒の所、17分33秒の所、21分40秒の所の4箇所です。4と5をつないだ場面が切れてる感じですが元動画のままです。
1 https://www.youtube.com/watch?v=Gj1OaP83vNc
2 https://www.youtube.com/watch?v=YqwTV-yEz_c
3 https://www.youtube.com/watch?v=7hi7_ACBxEc
4 https://www.youtube.com/watch?v=qV1iPXa3DfU
5 https://www.youtube.com/watch?v=2ASdgFrKa0s

 

参考:

https://twitter.com/levinassien/status/367179746552987648

 

https://twitter.com/levinassien/status/367181267613122560

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 以下、オリバー・ストーンに言及している内田樹さんのエントリを3本資料として採録。その内、特に詳しく言及している箇所

資本主義末期の国民国家のかたち
http://blog.tatsuru.com/2014/11/26_1711.php

●資本主義末期の国民国家のかたち

ご紹介いただきました内田でございます。肩書、ごらんのとおり、凱風館館長という誰も知らないような任意団体の名前の長を名乗っておりますので、こんなきちんとした学術的な集まりに呼ばれると、いたたまれない気持ちになります。
私は、基本的に全ての問題に関して素人でございまして、ですから、おまえのしゃべることには厳密性がないとか、エビデンスがないとか言われても、それはそうだよとしか言いようがありません。ただ、素人には素人の強みがありまして、何を言っても学内的な、学会内部的なバッシングを受けることはない、いくら言ったって素人なんだからいいじゃないかで全部済ませられる。
大学の教師というのは誤答を恐れる傾向がありまして、大風呂敷を広げることについては強い抑制が働く。私はその点で抑制のない人間でございまして、ほんとうは私のような野放図な人間がもう少しいたほうが、世の中、風通しがよくなってよいと思うんです。
それに意外なことに、この素人の直感が侮れない。
思い出しても愉快なことがあるんですけれども、今からもう十年近く前でしょうか、私が『街場の中国論』という本を出した後に公安調査庁の人が尋ねてまいりました。「公安調査庁です」と言って名刺を出して、「あなたのファンなんです」と言うんです。公安調査庁がファンのわけがない。(笑)
いろいろと話をしていたら、「あなたの中国論なんですけれども、この中国の共産党内部の情報をあなたはどうやって手に入れられたのか」と訊いてきた。「毎日新聞からです」とお答えしたら、随分驚いていらした。「だって、新聞で書いている情報だけだって、断片をつなぎ合わせていくと大体何が起きているくらいは想像がつきますでしょ」と申し上げたら、なかなか片づかない顔でお帰りになりました。

先般も、ちょっと自慢話になりますが、中国共産党に中央紀律委員会というものがありまして、そこが党幹部に推薦図書を指示しました。党幹部が読むべき本を五十六冊挙げて、これを読んでおくようにと、夏休みの課題図書みたいに挙げたリストの中に私の『日本辺境論』も入っておりました。日本人が書いたものは僕の本だけだったそうです。中国人の友達から聞きました。「内田さん、あなたの本、出てたよ。紀律委員長は習近平だから、習近平も認めた本だよ!」と言われました。けっこう愉快な話だと思うんですけれど、日本のメディアはあまり報道してくれなかったですね。

ことほどさように素人の直感は侮れないということで、本日は資本主義末期の国民国家の行方について一席お話しさせて頂きます。
こんなことをしゃべる資格が君にあるのかというような大ぶりの演題ですけれども、錚々たるそうそうたる政治学者の先生がたの前でしゃべらせて頂きます。先生方はやはり学問的厳密性ということを重んじられる立場にありますから、軽々なことは言えないと思うんですけれども、私は素人ですから、そういう気づかいが要らない。今日は限られた時間ではありますけれども、勝手なことを言って帰っていきたいと思います。私に期待されているのも、そういうことだと思うんです。とりあえず風呂敷だけ広げておいてください、穴はいくらあいても構いませんというのが講演依頼の趣旨だと思います。

それに、今日、実は時差ぼけなんですよね。昨日の夜、ローマから帰ってきたところで、これから時差ぼけ絶好調になってくるところなので、舌がうまく回らないんです。私、ふだん、滑舌もっといいんですけれども、今日はいつもの七割ぐらいのテンションなので、中身も七割ぐらいのクオリティーになる可能性がありますので、その点もご容赦ください。

まず、今日のテーマですが、安倍政権、なぜこのような政権が存在していて、誰が支持しているのか。戦後日本の民主主義社会からなぜこのような政体が生み出され、それに対して政官財メディアがそれなりの支持を与えているのかという、非常にわかりにくい現状を解読してみたいと思います。

現政権のありようを制度の劣化、制度の崩壊というように、先ほど山口先生がおっしゃいましたけれども、崩壊したり劣化する側にも主観的には合理性があるわけです。正しいことをしている、いいことをしている、日本の国民のためにやっているんだと、本人たちはそういうつもりでいるわけです。初めから日本を劣化させてやろうというよう悪心をもってやっているわけじゃない。我々の側から見ると、日本の制度をぶちこわしにしているようにしか見えないんですけれども、先方には主観的な合理性がある。主観的には首尾一貫性がある。たぶん正しいことをしているつもりでいる。僕としては、自分の判断をいったんかっこに入れて、彼らの側の主観的な首尾一貫性が何かということを見てゆきたいと考えています。

特に海外から見た場合に非常にわかりにくいと思いますが、日本の国家戦略が戦後一貫して「対米従属を通じての対米自立」というものです。これが戦後日本の基本的な国家戦略です。
でも、この「対米従属を通じての対米自立」ということは日本人にはわかるけれど、他国からはその理路が見えにくい。

僕は、個人的に勝手にこれを「のれん分け戦略」と呼んでいます。
日本人の場合、のれん分けというのは、わりとわかりやすいキャリアパスです。丁稚で奉公に上がって、手代になって、番頭になって、大番頭になって、ある日、大旦那さんから呼ばれて、「おまえも長いことよく忠義を尽くしてくれたね。これからは一本立ちしてよろしい。うちののれんを分けてやるから、これからは自分の差配でやりなさい」と、肩をぽんとたたかれて、独立を認められて、自分の店の主になる。そういうようなキャリアパスというか、プロモーション・システムというのは日本社会には伝統的に存在していました。
 だから、日本人にとっては、「徹底的に忠義を尽くし、徹底的に従属することによって、ある日、天賦のごとく自立の道が開ける」という構図には少しも違和感がないと思うんです。戦後日本人が「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略に比較的簡単に飛びつけたのは、そして、そのことの「異常さ」にいまだに気がつかないでいることの一つの理由はこの「のれん分け戦略」というものが日本人の社会意識の中にかなり深く根を下ろしていたからではないかと思います。一種の伝統文化です。

対米従属を通じての対米自立というのは、敗戦直後の占領期日本においては、それなりに合理的な選択だったと思います。というよりそれ以外に選択肢がなかった。軍事的に決定的な敗北を喫して、GHQの指令に従うしかなかったわけですから。
この状態から、屈辱的な非占領状態から脱却するためには、とりあえずこの国にはもうアメリカに対して抵抗するような勢力は存在しない、レジスタンスもないし、パルチザンもないし、ソ連や中国の国際共産主義の運動と連動する勢力もないということを強く訴える必要があった。我々は、このあと軍事的な直接的占領体制から脱したとしても、決してアメリカに反発したり、アメリカに対抗する敵対勢力と同盟したりすることはありませんという誓約をなし、確証を与えないと、主権が回復できなかった。そういう切羽詰まった事情があったわけです。

その時期において、実際には面従腹背であったわけですけれども、対米従属という戦略を選んだことは、客観的にも主観的も合理的な選択だったと思います。それ以外の選択肢は事実上日本にはなかった。
ですから、吉田茂、岸信介、佐藤栄作あたりまで、一九七〇年代なかばまでの戦後政治家たちは、対米従属を通じてアメリカの信頼を獲得して、それによってアメリカに直接統治されている属国状態から、次第にフリーハンドを回復して、最終的に米軍基地がすべて撤去された後、憲法を改定して主権国家としての体面を回復する、そういうロードマップを描いていたのだと思います。アメリカから「のれん分け」してもらった後、外交についても、国防についても日本独自の戦略を展開してゆく。半世紀くらいかけてじわじわと独立を回復していく、そういう気長なスケジュールを組んでいたんだろうと思います。

そのスケジュールの選択というのは、当時の日本においては必至のものであったし、十分な合理性もあったと思います。そして、この戦略の合理性を確信させたのは、何よりも成功体験があったからです。対米従属したら、うまくいった。その成功体験があった。

一つは、一九五一年、サンフランシスコ講和条約です。戦後六年目にして、日本は形の上では独立を回復するわけですけれども、当時の国際社会の常識に照らしても、これほど敗戦国に対して寛容で融和的な講和条約というのは歴史上なかなか見い出しがたいと言われたほどに、寛大な講和条約が結ばれた。
これは、やはりそれまでの6年間の日本の対米従属の果実とみなすべきでしょう。ですから、日本の為政者たちは「対米従属戦略は正しかった」と確信することになった。対米従属によって主権の回復という大きな国益を獲得した。そういう成功体験として、サンフランシスコ講和条約は記憶されたのだろうと思います。
当分これでいこう、これだけ大きな譲歩をアメリカから得られたということは、これからさらに対米従属を続けていけばいくほど、日本の主権の回復は進んでゆくという楽観的な見通しをそのとき日本人たちは深く刻み込んだ。

あまりこういうことを言う人はいませんが、対米従属路線の二度目の成功体験は七二年の沖縄返還です。佐藤栄作首相はアメリカのベトナム戦争に対して全面的な後方支援体制をとりました。国際社会からはアメリカの帝国主義的な世界戦略に無批判に従属する日本の態度はきびしいまなざしに曝されました。僕自身も学生でしたから、なぜ佐藤栄作はこのような明らかに義のない戦争についてまで対米従属するのか、怒りを禁じ得なかったわけです。でも、イノセントな学生の目から見ると犯罪的な対米従属である佐藤栄作のふるまいも、長期的な国益という点で見ると、それなりの合理性があったわけです。義のない戦争に加担した代償として、日本は沖縄返還という外交的果実を獲得できたんですから。 

この二つの成功体験が日本人の「対米従属路線」への確信を決定づけたのだと僕は思います。少なくとも一九七二年、戦後二十七年までは「対米従属を通じての対米自立」という戦略は絵に描いた餅ではなくて、一定の現実性を持っていた。けれども、その現実性がしだいに希薄になってゆく。

人間は一度有効だった戦略に固着する傾向があります。
「待ちぼうけ」という童謡がありますね。元ネタは韓非子の「守株待兎」という逸話です。畑の隅の切り株にたまたま兎がぶつかって首の骨を折って死んだ。兎を持ち帰った農夫はそれに味をしめ、次の日からは耕作を止めて終日兎の来るのを待ち続けた。ついに兎は二度と切り株にぶつからず、畑は荒れ果てて、農夫は国中の笑いものになった。
「小成は大成を妨げる」と言いますけれども、日本はこの農夫に似ている。戦後の二つの成功体験によって、この成功体験、この戦略に居着いてしまった。国力をじっくり蓄え、文化を豊かにし、国際社会における信認を高めて、独立国、主権国家として国際社会に承認されるという迂遠な道を避け、ただ対米従属していさえすればよいという「待兎」戦略に切り替えた。

それまでの戦後政治家たちは、かなり複雑なマヌーバーを駆使して日米関係をコントロールしていたと思うんです。政治家ばかりでなく、官僚も学者や知識人も、日米関係というのは非常に複雑なゲームだということがわかっていた。それを巧みにコントロールして、できるだけ従属度を減らして、できるだけ主権的にふるまうというパワーゲームのためにそれなりの知恵を絞っていた。なにしろ、アメリカは日本にとって直近の戦争の敵国ですから、さまざまな点で国益が対立している。それを調整して、アメリカの国益増大を支援しつつ、日本の国益を増大させるというトリッキーなゲームですから、かなりの知的緊張が要求された。

ところが、僕の印象では、八〇年代から後、そういう緊張感が政治家たちに見えなくなくなってしまった。日米両国が、それぞれの国益をかけて、非常に厳しい水面下のバトルを展開しているという感じがなくなってしまった。ただ単純に対米従属してさえいればいいことがあるという思い込みに日本のエスタブリッシュメント全体が領されるようになった。対米従属をすると、「いいこと」があるという、シンプルな入力出力相関システム、いわゆる「ペニー=ガム・メカニズム」のようなものとして日米関係を構想する人たちがしだいに増えてきて、気がつけば多数派を形成するようになった。日米関係が一種の「ブラックボックス」になってしまって、「対米従属」という「ペニー銅貨」を放り込むと、「なにかいいこと」という「ガム」が出てくるという単純なメカニズム幻想が定着してしまった。そんなふうに日米関係が現実から遊離して、幻想の領域に浮き上がってしまったのが、だいたい80年代なかばから後ではないかと思います。

どうしてこんなことになったのかというと、結局は「時間の問題」だったと思います。
「対米従属を通じての対米自立」という発想そのものの合理性は、確かに論ずるまでもない。でも、時間がたってくると、その装置を管理運営する人間が入れ替わる。敗戦直後のとき、日本の外交戦略のフロントラインにいた人たちは、日米の国益の間には齟齬がある。両国の国益が一致するということは原理的にはありえないということを骨身にしみて知っていた。当たり前です、殺し合いをしてきたばかりなんですから。国益が相反するということがわかった上で、「面従腹背」のマヌーバーを展開していた。表面的にはアメリカに追随するが、本心では早くアメリカを厄介払いしたいと思っていた。
でも、面従腹背のポーズもそれが二世代三世代にわたって続くうちに変質してしまう。「面従」だけが残って、「腹背」が消えてしまう。対米従属がそのまま日本の国益増大であると頭から信じ込む人たちが増えてきた。増えてきたどころではなく、政界、財界、メディア、学会、どこでも、対米従属・日米同盟機軸以外の選択肢を考えたことがある人がいなくなってしまった。
以前、あるアメリカ政治の専門家に「日米同盟以外の安全保障の選択肢」について質問したことがありましたが、質問に驚いて絶句してしまいました。対米従属以外の政治的選択肢があるかどうかを吟味したことがなかったようでした。でも、例えば、イギリスの政治学者に「対米同盟以外の安全保障の選択肢」を訊いても、ドイツの政治学者に「EU以外の安全保障の選択肢」を訊いても、「考えたことがない」と答えることはありえないと思います。ふつうは「いまある仕組み以外の可能性」を、蓋然性がどれほど低くても、一応は考えておく。日本人だけが外交戦略において「日米同盟基軸」、つまり対米従属以外のいかなる選択肢についてもその可能性や合理性について考えない。これはあきらかに病的な症候です。

対米従属が国家戦略ではなく、ある種の病的固着となっていることがわかったのは、鳩山さんの普天間基地移転についての発言をめぐる騒ぎのときです。僕は、あのとき、報道を注視していて、ほんとうにびっくりした。あのときが、日本の大きな転換点ではなかったか思います。

鳩山首相は、普天間基地をできたら国外、せめて県外に移転したいと言ったわけです。国内における米軍基地の負担を軽減したい。できたら国外に移って欲しい、そう言った。外国の軍隊が恒常的に国内に駐留しているというのは、どの主権国家にとっても恥ずかしいことです。ふつうはそう感じます。外国の基地が常時駐留するのは誰が見ても軍事的従属国のポジションだからです。
フィリピンはアメリカの軍事的属国的なポジションの国でしたけれど、憲法を改正して外国軍の駐留を認めないことにしました。そのせいで米軍はクラーク、スーヴィックというアメリカ最大の海外基地からの撤収を余儀なくされました。韓国でも、激しい反基地運動を展開した結果、在韓米軍基地は大幅に縮小されました。ソウル市内にあった龍山基地も移転させられた。
でも、日本のメディアは、韓国やフィリピンにおける反基地運動をほとんど報道しませんでした。僕はまったく知らなかった。以前、海外特派員協会というところに呼ばれて講演したときに、司会をしていたイギリス人ジャーナリストから「韓国の反基地運動についてはどう思いますか」と質問されて、「その話を知りません」と答えたら、驚かれたことがあります。「安全保障や外交のことを話している人間が、隣国の基地問題を知らないのか?」と。でも、日本のメディアで、そんな話を聴いたことがなかった。
韓国では、長期にわたる反基地運動の結果、在韓米軍基地は縮小されています。日本では、相変わらず「半島有事に備えて」という理由で沖縄の軍事的重要性は変わらないというようなことを新聞の社説は書いている。でも、「半島有事の備え」がそれほど喫緊であるというのなら、朝鮮半島の米軍基地が縮小されている理由が説明できない。それほど北朝鮮の軍事リスクが高いなら、むしろ米軍を増強すべきでしょう。だから、そこを衝かれたくないので、日本では東アジアでの米軍基地縮小の事実そのものが報道されない。
さらにややこしいのは、韓国の場合は、そうやって米軍基地は縮小するけれども、戦時作戦統制権はまだアメリカに持っていてもらっているということです。つまり、米軍基地は邪魔だから出て行ってもらいたいけれど、北朝鮮と一戦構えるときには米軍に出動して欲しいので、戦時作戦統制権だけはアメリカに押しつけている。そうやってアメリカをステークホルダーに巻き込むという、かなりトリッキーな米韓関係を展開しています。
でも、これは主権国家としては当然のことなのです。米軍は平時はいると邪魔だが、非常時には必要になる。韓国側の自己都合でそういう勝手なことを言っている。主権国家というのは「そういうもの」です。自国の国益を優先して勝手なことを言うことのできる国のことです。韓国はその点で主権国家です。

フィリピンもそうです。一旦は米軍基地を邪魔だから出て行けと追い出しておきながら、南シナ海で中国との領土問題が起きてくると、やはり戻ってこいと言い始めた。言っていることは首尾一貫していないようですが、首尾一貫している。自国の国益を最優先している。

その中にあって、日本だけが違う。それぞれの国が自国の国益を追求していって、他国の国益との間ですり合わせをしていって、落としどころを探していく。これが本来の主権国家同士の外交交渉のはずですが、日本だけはアメリカ相手にそういうゲームをしていない。アジア諸国がアメリカと五分でシビアな折衝をしている中で、日本だけがアメリカに何も要求しないで、ただ唯々諾々とその指示に従っている。それどころか、近隣の国がアメリカ相手に堂々とパワーゲームを展開しているというニュース自体が、日本ではほとんど報道されない。

その鳩山さんの件ですけれども、鳩山さんは、国内に米軍基地、外国軍の基地があるということは望ましいことではないと言ったわけです。当たり前ですよね。主権国家としては、当然、そう発言すべきである。沖縄の場合は、日本国土の0.6%の面積に、国内の七五%の米軍基地が集中している。これは異常という他ない。この事態に対して、基地を縮小して欲しい、できたら国外に撤去していただきたいということを要求するのは主権国家としては当然のことなわけです。けれども、この発言に対しては集中的なバッシングがありました。特に外務省と防衛省は、首相の足を引っ張り、結果的に首相の退陣の流れをつくった。
アメリカから「鳩山というのはどうもアメリカにとって役に立たない人間だから、首相の座から落とすように」という指示があったと僕は思っていません。そんな内政干渉になるような指示をしなくても、鳩山が首相でいると、アメリカの国益が損なわれるリスクがあるから、引きずり下ろそうということを考える政治家や官僚がいくらも日本国内にいるからです。メディアも連日、「アメリカの信頼を失った鳩山は辞めるべきだ」という報道をしていました。なぜ、日本の首相が米軍基地の縮小や移転を求めたことが日本の国益を損なうことになるのか、僕には理由がわかりませんでした。
この事件は「アメリカの国益を最大化することが、すなわち日本の国益を最大化することなのである」という信憑を日本の指導層が深く内面化してしまった、彼らの知的頽廃の典型的な症状だったと思っております。

 

映画監督のオリバー・ストーンが、2013年に日本に来て、広島で講演をしたことがありました。これも日本のメディアは講演内容についてはほとんど報道しませんでした。オリバー・ストーンが講演で言ったのはこういうことです。
日本にはすばらしい文化がある、日本の映画もすばらしい、音楽も美術もすばらしいし、食文化もすばらしい。けれども、日本の政治には見るべきものが何もない。あなた方は実に多くのものを世界にもたらしたけれども、日本のこれまでの総理大臣の中で、世界がどうあるべきかについて何ごとかを語った人はいない。一人もいない。Don’t stand for anything 彼らは何一つ代表していない。いかなる大義も掲げたことがない。日本は政治的にはアメリカの属国(client state)であり、衛星国(satellite state)である、と。これは日本の本質をずばりと衝いた言葉だったと思います。アメリカのリベラル派の人たちのこれが正直な見解でしょう。

 

日本はたしかにさまざまな力を持っている。経済力も文化力もある。平和憲法を維持して、戦争にコミットせずに来た。けれども、国際社会に向けて発信するようなメッセージは何にも持っていない。アメリカに追随するという以外の独自の政治的方向性を持っていない。これは、アメリカ人のみならず、国際社会から見たときの日本に対する典型的な印象ではないかと思います。
そのとき、オリバー・ストーンは「そういえば、先般、オバマに逆らって首にされた総理大臣が一人いたが」と言っておりましたけれども、これはもちろんオリバー・ストーンの勘違いであります。別にオバマに逆らったから、オバマによって首にされたわけではなくて、彼を首にしたのは日本人だったからです。
首相が日本の国益を代表して、素直に国土を回復したい、主権を回復したいということをアメリカに伝えたら、寄ってたかって日本人がそれを潰したという事実そのものが日本の罹患した病の徴候だったと僕は思います。アプローチは拙劣だったかも知れないが、首相の主張は正しいという擁護の論陣を張ったメディアは僕の知る限りありませんでした。アメリカの信頼を裏切るような政治家に国政は託せないというのがほとんどすべてのメディアの論調でした。「ちょっと、それはおかしいんじゃないか」と言う人がほとんどいなかったことを僕は「おかしい」と思いました。
主権国家が配慮するのは、まず国土の保全、国民の安寧、通貨の安定、外交や国防についての最適政策の選択、そういったことだと思います。主権の第一条件である「国土の回復」を要求した従属国の首相が、国土を占領している宗主国によってではなくて、占領されている側の自国の官僚や政治家やジャーナリストによって攻撃を受ける。これは倒錯的という他ありません

なぜこのような病的傾向が生じたのか。それは「対米従属を通じての対米自立」という敗戦直後に採用された経験則を、その有効性についてそのつど吟味することなく、機械的にいまだに適用し続けているせいだと思います。でも、考えてもみてください。1972年の沖縄返還から後は、もう42年経っている。その間、アメリカから日本が奪還したものは何一つないわけです。42年間、日本は対米従属を通じて何一つ主権を回復していないんです。対米従属は日本にこの42年間、何一つ見るべき果実をもたらしていないという現実を「対米従属論者」はどう評価しているのか。このままさらにもう50年、100年この「守株待兎」戦略を継続すべきだという判断の根拠は何なのか。これを続ければ、いつ沖縄の基地は撤去されるのか、横田基地は戻って来るのか。それを何も問わないままに、前例を踏襲するという前例主義によって対米従属が続いている。

アメリカから見ると、日本側のプレイヤーの質が変わったということは、もうある段階で見切られていると思うんです。それまで日本は、それなりにタフなネゴシエーターであった。対米従属のカードを切った場合には、それに対する見返りを要求してきた。しかし、ある段階から、対米従属が制度化し、対米従属的なマインドを持っている人間だけしか日本国内のヒエラルキーの中で出世できないような仕組みになった。それから、相手にするプレイヤーが変わったということに、アメリカはもう気づいていると思います。
かつてのプレイヤーは対米従属を通じて、日本の国益を引き出そうとしていたわけですけれど、いまのプレイヤーたちは違う。アメリカの国益と日本の国益という本来相反するはずのものを「すり合わせる」ことではなく、アメリカの国益を増大させると「わが身によいことが起こる」というふうに考える人たちが政策決定の要路に立っている。
現に、これまで対米従属路線を疑うことなくひた走ってきたせいで「今日の地位」を得た人たちがそこにいるわけですから、彼らがこれからも対米従属路線をひた走ることはとどめがたい。彼らにおいては、いつのまに国益追求と自己利益の追求がオーバーラップしてしまっている。何のための対米従属かというと、とりあえず、そうすると「わが身にはよいことが起こる」のが確実だからです。
植民地において、植民地原住民であるにもかかわらず、宗主国民にすりよって、その便宜をはかる代わりに、政治的経済的な見返りを要求するものは清朝末期に「買弁」と呼ばれました。今の日本の指導層は、宗主国への従属的ポーズを通じて、自己利益を増大させようとしている点において、すでに「買弁的」であると言わざるを得ないと僕は思っています。

では、この後、日本は一体どうやって主権回復への道を歩んでいったらいいのか。
今、アメリカから見て、日本というのは非常に不可解な国に見えていると思います。
かつての吉田茂以来の日本のカウンターパートは、基本的に日本の国益を守るためにアメリカと交渉してきた。その動機は明確だった。けれども、ある段階から、そうでなくなってきてしまった。対米従属戦略が面従腹背の複雑なタクティクスであることを止めて、疑い得ない「国是」となってしまった。それによって日本の国益が少しも増大しないにもかかわらず、対米従属することに誰も反対できない。そういう仕組みが四十年間続いている。
そうすると、アメリカは日本の政治家をどう見るか。交渉する場合、日本の代表者が自国の国益を増大しようと思っているのであるならば、そこで展開するゲームには合理性があるわけです。アメリカの国益と日本の国益というのは、利害が相反する点があり、一致する点がある。そのすりあわせをするのが外交だった。ところが、いつのまにか、あきらかに日本の国益を害することが確実な要求に対しても、日本側が抵抗しなくなってきた。そのふるまいは彼らが日本の国益を代表していると考えると理解できない。日本を統治している人たちが、自国の国益の増大に関心がないように見えるわけですから。

例えば、特定秘密保護法です。特定秘密保護法というものは、要するに民主国家である日本が、国民に与えられている基本的な人権である言論の自由を制約しようとする法律です。国民にとっては何の利もない。なぜ、そのような反民主的な法律の制定を強行採決をしてまで急ぐのか。
理由は「このような法律がなければアメリカの軍機が漏れて、日米の共同的な軍事作戦の支障になる」ということでした。アメリカの国益を守るためにであれば、日本国民の言論の自由などは抑圧しても構わない、と。安倍政権はそういう意思表示をしたわけです。そして、アメリカの軍機を守るために日本国民の基本的人権を制約しましたとアメリカに申し出たわけです。日本の国民全体の利益を損なうことを通じて、アメリカの軍機を守りたい、と。言われたアメリカからしてみたら、「ああ、そうですか。そりゃ、どうも」という以外に言葉がないでしょう。たしかにそうおっしゃって頂けるのはまことにありがたいことではあるえれど、一体何で日本政府がそんなことを言ってくるのか、実はよくわからない。なぜ日本は国民の基本的人権の制約というような「犠牲」をアメリカのために捧げるのか。

『街場の戦争論』(ミシマ社刊)にも書きましたけれども、そもそも国家機密というのは、政府のトップレベルから漏洩するから危険なわけです。ご存じのとおり、イギリスのキム・フィルビー事件というのがありました。MI6の対ソ連諜報部の部長だったキム・フィルビーが、ずっとソ連のスパイであって、イギリスとアメリカの対ソ連情報はすべてソ連に筒抜けだったという戦後最大のスパイ事件です。それ以来、諜報機関の中枢からの機密漏洩はどうすれば防げるかというのが、インテリジェンスについて考える場合の最大の課題なわけです。
その前にも、イギリスではプロヒューモ事件というものがありました。陸軍大臣が売春婦にいろいろと軍機を漏らしてしまった。でも、ピロートークで漏れる秘密と、諜報機関のトップから漏れる秘密では機密の質が違います。ですから、ほんとうに真剣に諜報問題、防諜の問題を考えるとすれば、どうやって国家の中枢に入り込んでしまった「モグラ」からの情報漏洩を防ぐかということが緊急の課題になるはずです。
けれども、今回の特定秘密保護法は、世界が経験した史上最悪のスパイ事件については全く配慮していない。キム・フィルビー事件のようなかたちでの機密漏洩をどうやって防ぐかということに関しては誰も一秒も頭を使っていない。そういうことは「ない」ということを前提に法律が起案されている。つまり、今現に、日本で「キム・フィルビー型の諜報活動」を行っている人間については、「そのようなものは存在しない」とされているわけです。彼らは未来永劫にフリーハンドを保証されたことになる。いないものは探索しようもないですから。
現に国家権力の中枢から国家機密が漏洩しているということは、日本ではもう既に日常的に行われていると僕は思っています。どこに流れているか。もちろんアメリカに流れている。政治家でも官僚でもジャーナリストでも、知る限りの機密をアメリカとの間に取り結んだそれぞれの「パイプ」に流し込んでいる。それがアメリカの国益を増大させるタイプの情報であれば、その見返りは彼らに個人的な報奨としてリターンされてくる。結果的に政府部内や業界内における彼らの地位は上昇する。そして、彼らがアメリカに流す機密はますます質の高いものになる。そういう「ウィン・ウィン」の仕組みがもう出来上がっている、僕はそう確信しています。特定秘密保護法は、「機密漏洩防止」ではなく、彼らの「機密漏洩」システムをより堅牢なものとするための法律です。アメリカの国益増大のために制定された法律なんですから、その法律がアメリカの国益増大のための機密漏洩を処罰できるはずがない。
特定秘密保護法にアメリカが反対しなかったというのは、自国民の基本的人権を制約してまでアメリカの軍機を守るという法律制定の趣旨と、権力中枢からの情報漏洩については「そのようなものは存在しない」という前提に立つ法整備に好感を抱いたからです。これから先、日本政府の中枢からどのようなかたちで国家機密がアメリカに漏洩しようとも、いったん「特定秘密」に指定された情報については、それが何であるか、誰がそれをどう取り扱ったか、すべてが隠蔽されてしまう。どれほど秘密が漏洩しても、もう誰にもわからない。

もし、僕がアメリカの国務省の役人だったら、日本人は頭がおかしくなったのかと思ったはずです。たしかにアメリカにとってはありがたいお申し出であるが、何でこんなことをするのかがわからない。どう考えてみても日本の国益に全く資するところがない。そもそも防諜のための法律として機能しそうもない。そのようなザル法を制定する代償として、自国民の基本的人権を抑圧しようという。言論の自由を制約してまで、アメリカに対してサービスをする。たしかにアメリカ側としては断るロジックがありません。わが国益よりも民主主義の理想の方が大切だから、そんな法律は作るのを止めなさいというようなきれいごとはアメリカ政府が言えるはずがない。日本からの申し出を断るロジックはないけれど、それでも日本人が何を考えているかはわからない。いったい、特定秘密保護法で日本人の誰がどういう利益を得るのか?
日本政府が日本の国益を損なうような法律を「アメリカのために」整備したのだとすれば、それは国益以外の「見返り」を求めてなされたということになる。国益でないとすれば何か。現政権の延命とか、政治家や官僚個人の自己利益の増大といったものを求めてなされたとみなすしかない。
現に、米国務省はそう判断していると思います。日本政府からの「サービス」はありがたく受け取るけれど、そのようにしてまでアメリカにおもねってくる政治家や官僚を「日本国益の代表者」として遇することはしない、と。

集団的自衛権もそうです。集団的自衛権というのは、何度も言っていますけれども、平たく言えば「他人の喧嘩を買う権利」のことです。少なくともこれまでの発動例を見る限りは、ハンガリー動乱、チェコスロバキア動乱、ベトナム戦争、アフガニスタン侵攻など、ソ連とアメリカという二大超大国が、自分の「シマ内」にある傀儡政権が反対勢力によって倒されそうになったときに、「てこ入れ」するために自軍を投入するときの法的根拠として使った事例しかない。
何で日本が集団的自衛権なんか行使したがるのかが、ですから僕にはさっぱりわからない。いったいどこに日本の「衛星国」や「従属国」があるのか。海外のどこかに日本の傀儡政権があるというのであれば、話はわかる。その親日政権が民主化運動で倒れかけている。しようがないから、ちょっと軍隊を出して反対勢力を武力で弾圧して、政権のてこ入れをしてこようというのであれば、ひどい話ではあるけれども、話の筋目は通っている。でも、日本にはそんな「シマうち」の国なんかありません。
結局、集団的自衛権の行使というのは、現実的にはアメリカが自分の「シマうち」を締めるときにその海外派兵に日本もくっついていって、アメリカの下請で軍事行動をとるというかたちしかありえない。アメリカの場合、自国の若者が中東や西アジアやアフリカで死ぬということにもう耐えられなくなっている。意味がわからないから。でも、海外の紛争には介入しなければならない。しかたがないから、何とかして「死者の外部化」をはかっている。無人飛行機を飛ばしたり、ミサイルを飛ばしたりしているというのは、基本的には生身の人間の血を流したくないということです。攻撃はしたいけれども、血は流したくない。だから、民間の警備会社への戦闘のアウトソーシングをしています。これはまさに「死者の外部化」に他なりません。たしかに、これによって戦死者は軽減した。でも、その代わり莫大な財政上の負荷が生じた。警備会社、要するに傭兵会社ですけれど、めちゃくちゃな値段を要求してきますから。アメリカは、その経済的な負担に耐えることができなくなってきている。
そこに日本が集団的自衛権の行使容認を閣議決定しましたと言ったら、アメリカ側からしてみると大歓迎なわけです。これまで民間の警備会社にアウトソーシングして、莫大な料金を請求されている仕事を、これから自衛隊が無料でやってくれるわけですから。願ってもない話なわけですよね。「やあ、ありがとう」と言う以外に言葉がない。
ただ、「やあ、ありがとう」とは言いながら、何で日本がこんなことをしてくれるのか、その動機についてはやっぱり理解不可能である。
アメリカが金を払って雇っている傭兵の代わりに無料の自衛隊員を使っていいですというオファーを日本政府はしてきているわけで、それがどうして日本の国益増大に資することになるのか、アメリカ人が考えてもわからない。
つまり、確かに日本政府がやっていることはアメリカにとってはありがたいことであり、アメリカの国益を増すことではあるんだけれども、それは少しも日本の国益を増すようには見えない。これから自衛隊が海外に出ていって、自衛隊員がそこで死傷する。あるいは、現地人を殺し、町を焼いたりして、結果的に日本そのものがテロリストの標的になるという大きなリスクを抱えることになるわけです。戦争にコミットして、結果的にテロの標的になることによって生じる「カウンターテロのコスト」は巨大な額にのぼります。今の日本はテロ対策のための社会的コストをほとんど負担していないで済ませている。それをいきなり全部かぶろうというわけですから、アメリカとしては「やあ、ありがとう」以外の言葉はないけれど、「君、何を考えてそんなことするんだ」という疑念は払拭できない。

僕はいつも自分がアメリカ国務省の小役人だったらという想定で物を考えるんですけれども、上司から「内田君、日本は特定秘密保護法といい、集団的自衛権行使容認といい、アメリカのためにいろいろしてくれているんだけれど、どちらも日本の国益に資する選択とは思われない。いったい日本政府は何でこんな不条理な決断を下したのか、君に説明できるかね」と問われたら、どう答えるか。
たしかに、国益の増大のためではないですね。沖縄返還までの対米従属路線であれば、日本が犠牲を払うことによってアメリカから譲歩を引き出すというやりとりはあったわけですけれども、この間の対米従属をみていると、何をめざしてそんなことをしているのか、それがよく見えない。たぶん、彼らは国益の増大を求めているのではないんじゃないかです、と。そう答申すると思います。
今、日本で政策決定している人たちというのは、国益の増大のためにやっているのではなくて、ドメスチックなヒエラルキーの中で出世と自己利益の拡大のためにそうしているように見えます。つまり、「国民資源をアメリカに売って、その一部を自己利益に付け替えている」というふうに見立てるのが適切ではないかと思います、と。 

国民資源というのは、日本がこれから百年、二百年続くためのストックのことです。それは手を着けてはいけないものです。民主制という仕組みもそうだし、国土もそうだし、国民の健康もそうだし、伝統文化もそうです。でも、今の日本政府はストックとして保持すべき国民資源を次々と商品化して市場に流している。それを世界中のグローバル企業が食いたい放題に食い荒らすことができるような仕組みを作ろうとしている。そんなことをすれば、日本全体としての国民資源は損なわれ、長期の国益は逓減してゆくわけですけれども、政官財はそれを主導している。彼らのそういう気違いじみた行動を動機づけているものは何かと言ったら、それが国益の増大に結びつく回路が存在しない以上、私利私欲の追求でしかないわけです。
自傷的、自滅的な対米従属政策の合理的な根拠を求めようとすれば、それは、対米従属派の人たち自身がそこから個人的に利益を得られる仕組みになっているからという以外に「国務省の役人になったと想像してみた内田」のレポートの結論はありません。

対米従属すればするほど、社会的格付けが上がり、出世し、議席を得、大学のポストにありつき、政府委員に選ばれ、メディアへの露出が増え、個人資産が増える、そういう仕組みがこの42年間の間に日本にはできてしまった。この「ポスト72年体制」に居着いた人々が現代日本では指導層を形成しており、政策を起案し、ビジネスモデルを創り出し、メディアの論調を決定している。

ふつう「こういうこと」は主権国家では起こりません。これは典型的な「買弁」的な行動様式だからです。植民地でしか起こらない。買弁というのは、自分の国なんかどうだって構わない、自分さえよければそれでいいという考え方をする人たちのことです。日本で「グローバル人材」と呼ばれているのは、そういう人たちのことです。日本的文脈では「グローバル」という言葉をすべて「買弁」という言葉に置き換えても意味が通るような気がします。文科省の「グローバル人材育成」戦略などは「買弁人材育成」と書き換えた方がよほどすっきりします。

安倍さんという人は、一応、戦後日本政治家のDNAを少しは引き継いでいますから、さすがにべったりの対米従属ではありません。内心としては、どこかで対米自立を果さなければならないと思ってはいる。けれども、それを「国益の増大」というかたちではもう考えられないんです。そういう複雑なゲームができるだけの知力がない。
だから、安倍さんは非常にシンプルなゲームをアメリカに仕掛けている。アメリカに対して一つ従属的な政策を実施した後には、一つアメリカが嫌がることをする。
ご存じのとおり、集団的自衛権成立の後に、北朝鮮への経済制裁を一部解除しました。沖縄の仲井真知事を説得して辺野古の埋め立て申請の承認を取り付けた後はすぐに靖国神社に参拝しました。つまり、「アメリカが喜ぶこと」を一つやった後は、「アメリカが嫌がること」を一つやる。おもねった後に足を踏む。これが安倍晋三の中での「面従腹背」なのです。日米の国益のやりとりではなく、アメリカの国益を増大させた代償に、「彼が個人的にしたいことで、アメリカが厭がりそうなこと」をやってみせる。主観的には「これで五分五分の交渉をしている」と彼は満足しているのだろうと思いますけれど、靖国参拝や北朝鮮への譲歩がなぜ日本国益の増大に結びつくのかについての検証はしない。彼にとっては「自分がしたいことで、アメリカが厭がりそうなこと」ではあるのでしょうけれど、それが日本の国益増に資する政策判断であるかどうかは吟味することさえしていない。
「対米従属を通じての対米自立」という戦後日本の国家戦略はここに至って、ほとんど戯画のレベルにまで矮小化されてしまったと思います。
だから、これから後も彼は同じパターンを繰り返すと思います。対米譲歩した後に、アメリカが厭がりそうなことをする。彼から見たら、五ポイント譲歩したので、五ポイント獲得した。これが外交だ、と。彼自身は、それによって、アメリカとイーブンパートナーとして対等な外交交渉をしているつもりでいると思うんです。

時間がもうあと十分しかないので、では一体これから我々はどうやって主権国家として、主権国家への道を歩んだらいいかということを述べたいと思います。

国というものを、皆さんはたぶん水平的に表象していると思います。
ビジネスマンはそうです。今期の収益とか、株価ということばかり考えている人は、それと同じように国のことも考える。ですから、世界を水平的に、二次元的に「地図」として表象して、その中での自分たちの取り分はどれぐらいか、パイのどれぐらいを取っているか。そういうような形で国威や国力を格付けしてようとしている。けれども、本来の国というのは空間的に表象するものではない、僕はそう思っています。地図の上の半島の広さとか、勢力圏というものを二次元的に表象して、これが国力であると考えるのは、間違っていると思う。

国というのはそういうものではなくて、実際には垂直方向、時間の中でも生きているものです。我々がこの国を共有している、日本なら日本という国の構成メンバーというのは、同時代に生きている人間だけではない。そこには死者も含まれているし、これから生まれてくる子供たちも含まれている。その人たちと、一つの多細胞性物のような共生体を私たちは形づくっている。そこに、国というもののほんとうの強みがあると思います。

鶴見俊輔さんは、開戦直前にハーバード大学を卒業するわけですけれども、そのときにアメリカに残るか、交換船で日本に帰るかという選択のときに、日本に帰るという選択をします。自分は随分長くアメリカにいて、英語で物を考えるようになってしまったし、日本語もおぼつかなくなっている。そもそも日本の政治家がどの程度の人物かよくわかっているし、多分、日本はこれから戦争をやったら負けるだろう。そこまでわかっていたけれども、日本に帰る、そう決意する。そのときの理由として鶴見さんが書いているのは、負けるときには自分の「くに」にいたい、ということでした。

「くに」とともに生き死にしたいというのは、これは、やはりすごく重たいことだと思うんです。この感覚というのは、なかなか政治学の用語ではうまく語り切ることができないんですけれども、簡単に想像の共同体だ、共同幻想だとか言い切られてしまっては困る。というのは、実際に、我々日本人は、現在列島に居住する一億三千万人だけでなく、死者たちも、これから生まれてくる子供たちも、同じ日本人のフルメンバーであるからです。ですから、過去の死者たちに対しては、彼らが犯した負債に関しては、我々は受け継がなければいけない。そして、できたら完済して、できなければ、できるだけ軽減して、次世代に送り出さなければいけない。その仕事が僕らに課されているだろうと思っています。

今の日本ではグローバリズムとナショナリズムが混交しています。グローバリストはしばしば同時に暴力的な排外主義者でもある。僕はそれは別に不思議だとは思わない。それは彼らがまさに世界を二次元的に捉えていることの結果だと思うんです。グローバルな陣地取りゲームで、自分たちの「取り分」「シェア」を増やそうとしている。その点ではグローバル資本主義者と排外的ナショナリストはまったく同型的な思考をしている。
そして、排外主義ナショナリストというのは、伝統文化に関して全く関心を示しません。死者に対して関心がないからです。彼らにとって死者というのは、自説の傍証として便利なときに呼び出して、使役させるだけの存在です。都合のいいときだけ都合のよい文脈で使って、用事がなければ忘れてしまう。自分に役立つ死者は重用するけれど、自説を覆す死者や、自説に適合しない死者たちは「存在しないこと」にして平気です。それはかれらが「くに」を考えているときに、そこには死者もこれから生まれてくる人たちも含まれていないからです。

でも、僕たちが最終的に「くに」を立て直す、ほんとうに「立て直す」ところまで追い詰められていると思うんですけれども、立て直すときに僕らが求める資源というのは、結局、二つしかないわけです。
一つは山河です。国破れて山河あり。政体が滅びても、経済システムが瓦解しても、山河は残ります。そこに足場を求めるしかない。もう一つは死者です。死者たちから遺贈されたものです。それを僕たちの代で断絶させてはならない。未来の世代に伝えなければならないという責務の感覚です。

山河というのは言語であり、宗教であり、生活習慣であり、食文化であり、儀礼祭祀であり、あるいは山紫水明の景観です。我々自身を養って、我々自身を生み、今も支えているような、人工的なものと自然資源が絡み合ってつくられた、一つの非常に複雑な培養器のようなもの、僕はそれを山河と呼びたいと思っています。山河とは何かということを、これから先、僕はきちんと言葉にしていきたいと思っています。

もう一つは死者たちです。死者たちも、未来の世代も、今はまだ存在しない者も、我々のこの国の正規のフルメンバーであって、彼らの権利、彼らの義務に対しても配慮しなければいけない。

僕は合気道をやっているわけですけれども、経験的にわかることの一つというのは、例えば体を動かすと、自分の体の筋肉、骨格筋とか、関節とか、そういうものを操作しようと思って、具体的に、今、存在するものをいじくっていっても体は整わないということです。
しかし、例えば今、手の内に刀を持っている。ここに柄があって、刃筋があって、切っ先がそこにある。手に持っていないものをイメージして体を使うと、全身が整う。
これは長く稽古してよくわかったことなんですけれども、実際には、我々は今、存在するもの、そこに具体的に物としてあるものを積み上げていって、一つの組織や集団をつくっているのではなくて、むしろ「そこにないもの」を手がかりにして、組織や身体、共同体というものを整えている。これは、僕は実感としてわかるんです。

今、日本人に求められているものというのは、日本人がその心身を整えるときのよりどころとなるような「存在しないもの」だと思います。存在しないのだけれど、ありありと思い浮かべることができるもの、それを手にしたと感じたときに、強い力が発動するもの、自分の体が全部整っていて、いるべきときに、いるべきところにいるという実感を与えてくれるもの。太刀というのは手を延長した刃物ではなくて、それを握ることによって体が整って、これを「依代」として巨大な自然の力が体に流れ込んでくる、そういう一つの装置なわけです。それは、手の内にあってもいいし、なくてもいい。むしろ、ないほうがいいのかも知れない。

今、日本が主権国家として再生するために、僕らに必要なものもそれに近いような気がします。存在しないもの、存在しないにもかかわらず、日本という国を整えて、それをいるべきときに、いるべきところに立たせ、なすべきことを教えてくれるようなもの。そのような指南力のある「存在しないもの」を手がかりにして国を作って行く。
日本国憲法はそのようなものの一つだと思います。理想主義的な憲法ですから、この憲法が求めている「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去する」ことはたぶん未来永劫実現しない。地上では実現するはずがない。でも、そのような理想を掲げるということは国のかたちを整える上で非常に有効なわけです。何のためにこの国があるのか、自分の国家は何を実現するために存在するのかということを知るためには、我々が向かっている、ついにたどりつくことのない無限消失点なるものをしっかりとつかまなければいけない。それなしではどのような組織も立ちゆきません。

これからどうやって日本という国を立て直していくのか考えるときには、つねに死者たちと、未だ生まれてこざる者たちと、生きている自分たちが一つの同胞として結ばれている、そういう考え方をするしかないのかなと思っております。
これから日本は一体どうなっていくのか。実は、僕はあまり悲観していないんです。ここまでひどい政権だと、いくら何でも長くは保たないと思うんです。特に、隣国や国際社会の諸国から、もうちょっと合理的な思考をする政治家に統治してもらいたいという強い要請があると思うんです。そうでないと外交がゲームにならないから。

現在の日本の安倍政権というのは、アメリカとも、中国とも、韓国とも、北朝鮮とも、ロシアとも、近隣の国、どこともが外交交渉ができない状態ですね。ほとんど「来なくていい」と言われているわけです。安倍さんが隣国のどことも実質的な首脳会談ができないのは、彼の国家戦略に対して、ほかの国々に異論がある、受け入れらないということではないと思います。日本の国家戦略がわからないからですよね。それでは、交渉しようがない。

安倍さんが選択している政策は、あるいは単なる政治的延命のためのものなのかと思ったら、外国は怖くて、こんな人とは外交交渉はできないでしょう。個人的な政治的延命のために国政を左右するような人間とは誰だって交渉したくない。あまりに不安定ですから。国と国との約束は、そこで約束したことが五年、十年後もずっと継続する、国民の意思を踏まえていないと意味がない。でも、安倍さんの外交はどう見ても国民の総意を代表しているものとは思われない。日本国民が「代表してもらっていない」と思っているというのではなく、諸国の首脳が「この人の言葉は国の約束として重んじることができるのか」どうか疑問に思っているからです。ですから、これから先、安倍政権である限り、対米、対中、対韓、対ロシアのどの外交関係もはかばかしい進展はないと思います。どの国も「次の首相」としてもう少しもののわかった人間が出てくることを待っていて、それまでは未来を縛るような約束は交わさないつもりでいると思います。
安倍政権に関しては、僕はそれほど長くは保たないと思います。既に自民党の中でも、次を狙っている人たちが動き出している。ただ、先ほど話したように、対米従属を通じて自己利益を増すという「買弁マインド」を持った人たちが、現在の日本のエスタブリッシュメントを構築しているという仕組み自体には変化がない以上、安倍さんが退場しても、次に出てくる政治家もやはり別種の「買弁政治家」であることに変わりはない。看板は変わっても、本質は変わらないと思います。

どうやったらこのような政治体制を批判できるのか。僕が学術というものを最終的に信じているのはそこなんです。為政者に向かって、あなた方はこういうロジックに従ってこのような政策判断をして、あなた方はこういう動機でこの政策を採用し、こういう利益を確保しようとしている、そいうことをはっきり告げるということです。理非はともかく、事実として、彼ら政治家たちがどういうメカニズムで動いているものなのかをはっきりと開示する。本人にも、国民全体にも開示する。別に彼らが際立って邪悪であるとか、愚鈍であるとか言う必要はない。彼らの中に走っている主観的な首尾一貫性、合理性をあらわにしてゆく。その作業が最も強い批評性を持っているだろうと僕は思います。

僕は、知恵と言葉が持っている力というのはとても大きいと思うんです。面と向かって、「おまえは間違っている」とか、「おまえは嫌いだ」とか言ってもだめなんです。そうではなくて、「あなたはこう考えているでしょう。だから、次、こうするでしょう。あなたの内的ロジックはこうだから、あなたがすることが私には予見できる」と。民話に出てくる「サトリ」ではないですけれど、他人におのれ思考の内的構造を言い当てられると、人間はフリーズしてしまって、やろうと思っていたことができなくなってしまう。人の暴走を止めようと思ったら、その人が次にやりそうなことをずばずば言い当てて、そのときにどういう大義名分を立てるか、どういう言い訳をするか、全部先回りして言い当ててしまえばいい。それをされると、言われた方はすごく嫌な気分になると思うんです。言い当てられたら不愉快だから、それは止めて、じゃあ違うことをやろうということになったりもする。そういうかたちであれば、口説の徒でも政治過程に関与することができる。僕はそういうふうに考えています。

立憲デモクラシーの会には多くの知性が集合しているわけですが、僕はこういうネットワークを政治的な運動として展開するということには実はあまり興味がないんです。その政治的有効性に対しても、わりと懐疑的なんです。真に政治的なものは実は知性の働きだと思っているからです。
今、何が起きているのか、今、現実に日本で国政の舵をとっている人たちが何を考えているのか、どういう欲望を持っているのか、どういう無意識的な衝動に駆動されているのか、それを白日のもとにさらしていくという作業が、実際にはデモをしたり署名を集めたりするよりも、時によっては何百倍何千倍も効果的な政治的な力になるだろうと僕は信じております。

これからもこういう厭みな話をあちこちで語り続ける所存でございます。何とかこの言葉が安倍さんに届いて、彼がすごく不愉快な気分になってくれることを、そして俺はこんなことを考えているのかと知って、ちょっと愕然とするという日が来ることを期待して、言論活動を続けてまいりたいと思っております。皆さん方のご健闘を祈っております。ご清聴、どうもありがとうございました。

 

共同通信のインタビュー
http://blog.tatsuru.com/2014/12/05_0858.php

共同通信のインタビューがあり、配信が始まった。地方紙が主なので、お読みになれない方もいると思うので、こちらに再録。選挙を前にして政治状況を俯瞰する「いつもの話」であるが、今回は「脱市場」という点にすこし軸足を置いて話している。
どぞ。

―景気の足踏みを理由に消費税引き上げが先送りされた

個人消費が冷え込んでいるが、その背後には「生活に必要なすべての財を、市場で商品として購入する」という私たちが知っている以外の経済活動、「非市場的交易」が広まりつつあるという事実がある。
メディアはほとんど報じないが、原発事故以降「帰農」が大きなムーブメントになっている。それと並行して生産者と消費者が市場を介さないで、「顔と顔」のネットワークの中で財やサービスを交易するという動きが広まっている。
貨幣を介さない経済活動が広まることを政府は嫌う。それは政府のコントロールを離れた経済活動であり、経済指標にも捕捉されないし、課税することもできないからだ。政府がここに来て慌てて「地方創生」を言い始めたのは、地方の経済的てこ入れという目的以外に、政府・自治体・企業主導で地方の経済活動を抑え、個人や中間共同体主導の「顔と顔の」交易活動の広がりを許さないという狙いもあると私は見ている。
けれども、生きるために必要なすべての財は賃労働で得た貨幣をもって市場で購入しなければならないという仕組みの不合理性に都市部の若い労働者は気づき始めた。都市部で労働力を売ることではもう食えない、家族も持てないというところまで雇用条件が劣化したのである。帰農する人たちは、より人間的な生活を求めて都市部から地方へ「押し出され」ているのである。

―アベノミクス効果は届かないか

安倍政権はグローバル企業の収益増大のことしか考えていない。そのためには「国家は株式会社のように運営されるべきだ」と信じている。特定秘密保護法の制定も解釈改憲もその文脈で理解されると思う。経済活動にとって、民主制は意思決定を遅らせる足かせでしかない。だから、株式会社のCEOがトップダウンで決定を下すような、トップが専決する仕組みをめざしている。表現の自由を制約する特定秘密保護法も、行政府による解釈改憲で「戦争ができる」道を開いたことも、「行政府への権限集中」という大きな流れの中で起きている。
国家の株式会社化に国民が反対しないのは、人口の過半が株式会社の従業員となり、彼ら自身、組織モデルとして株式会社しか知らないからである。株式会社には民主主義も合意形成もない。トップがすべてを決めて、経営判断の適否は従業員ではなく市場が決める。株式会社従業員マインドが日本国民の「常識」となった時点で、国民は国家もまた株式会社のように管理運営されるのが「当然」だと思うようになった。彼らが安倍政権を支持している。
農村人口が50%を超えていた時代なら「国家の株式会社化」などという構想に共感する人はほとんどいなかっただろう。なぜなら村落共同体では集団の目的は「成長する」ことではなく「存続する」ことだったからである。政策判断の適否は「この共同体が100年後も存続していること」という事実によって事後的に判断された。単年度の成長率やGDPの前年比などでは、自分たちの下した決断の正否は判定できなかったのである。
政策の適否を決定する「マーケット」は株式会社にはあるが、国家にはない。国家は50年100年なり後になって「健全に機能している」ときに、「今から50年前、100年前に選択された政策は適切だった」と事後的に確認しうるのみである。国家には入力した瞬間に、タイムラグなしにその適否判断を下すような便利な「マーケット」は存在しない。

―集団的自衛権の行使は防衛、つまり国家の存続のためではないのか

そうではない。日本はアメリカの許可なしに独自の軍事行動を行うことができない以上、関連立法の狙いはむしろ「非常事態を宣言し、行政府が立法府の権限を停止して、超憲法的にふるまうことができる」仕組みを整備することにある。
安倍首相の憲法改正への動きに、米国は2013年春の段階ではっきりと「NO」という意思表示をした。やむなく安倍政権は正面突破による改憲をあきらめ、代案として「アメリカの軍機漏洩を防ぐため」と称して特定秘密保護法を採択し、「アメリカの海外派兵を支援する」ために集団的自衛権の行使を容認した。明文改憲という「名」を捨てて憲法9条、憲法13条、憲法21条を実質空洞化するという「実」を取ったのである。
だが、この二つの対米「譲歩」によって日本が得る国益はなにもない。ただ民主制の土台が崩され、70年の平和主義の蓄積が失われだけである。それと引き替えに、政治家たちは権力と財貨を、官僚たちは行政府への権限集中を、財界人たちは企業の収益増大を手に入れた。彼らはそれぞれ日本の国益をアメリカに安値で売り払った代償に、個人の利益を手に入れようとしたのである。それはかつて植民地において宗主国におもねって、自国の国益を犠牲に供して、自己利益をはかった「買弁」のふるまいに酷似してきている。

「対米従属を通じて対米自立を目指す」という戦後日本の外交戦略は、戦後しばらくは合理的な選択であった。だが、72年の沖縄返還以降、「主権の回復」、「国土の回復」という点では何一つ見るべき成果を上げていない。42年間二世代にわたって「対米従属はしたが、何一つ国益は増大していない」という状態が続いているうちに、対米従属というポーズそのものが自己目的化してしまった。
現代日本社会では「対米従属的である人間の方がそうでない人間よりも政官財メディアどの世界でも出世できる仕組み」が完成してしまった。だから、おのれ一身の立身出世をめざす人間は、ほとんど自動的に対米従属のしかたを身につけ、「買弁」的メンタリティを内面化してゆく。

米国の映画監督オリバー・ストーンが昨年、広島で行った講演で「日本はアメリカの衛星国であり、従属国である。日本の政治家はいかなる立場も代表していない」と語った。これがおそらくは米国のリベラル派知識人の常識である。だが、日本のメディアはその発言を報道しなかったし、反論もしなかった。従属国的マインドは完成してしまったのだと思う。

―戦後の日本のいびつさを、日本人も気づき始めているのではないか

今の日本で、わが国が米国の従属国だということをリアルに認識しているのは沖縄だけだと思う。その沖縄知事選で、基地反対を掲げて勝った事実は大きい。今回の選挙の真の争点は「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略をこれからもまだ続けてゆくのか、それともそれとは別の道を探るのか、という外交戦略の選択であり、「国家の株式会社化」という独裁制の進行をこのまま手をつかねて許すのかという政体の選択である。「アベノミクス選挙」などというのは問題の本質を隠蔽するための偽りの争点設定でしかない。

 

なぜ安倍政権は勝ち続けるのか?
http://blog.tatsuru.com/2016/11/15_1128.php

「なぜ安倍政権はこれほど勝ち続けるのか?」
その理由はとりあえず周知されていない。誰でも知っている理由なら、こんな特集は組まれない。
ふつう政権の支持率が高いのは(政権発足時の「ご祝儀」を除くと)善政の恩沢に現に国民が浴しているからである。
だが、安倍政権はそうではない。
経済政策は失敗した。隣国との緊張緩和は見るべき成果を上げていない。沖縄の基地問題は解決の糸口が見えない。安保法案の審議では国会軽視と反立憲主義の態度が露呈した。五輪計画や福島原発や豊洲移転問題では日本の官僚機構全体のガバナンスと倫理の欠如があきらかになっている。どれも政権末期の徴候である。にもかかわらず政権は高い支持率を保持している。その根拠は何なのか?
一番簡単なのは、「日本人は政策の適否を判断できないほど愚鈍になった」という解釈である。
たしかに話は簡単になるが、先がない。
国民の過半が愚鈍であるなら、こんな特集もこんな文章も何の意味も持たないからだ。だとしたら、問いの次数を一つ上げるしかない。「日本人はこの政権を支持することでどのようなメリットを得ているのか?」である。

世論調査によれば、政権支持理由のトップは「他に適任者がいないから」である。
だが、現実には「他にどのような政権担当者が適切か?」という問いは誰も立てていない。いずれ支持率が急落して「ポスト安倍」がメディアの話題になればメディアは「人気投票」を行うだろうけれど、今は話題になっていない。
私の解釈はこうだ。国益が損なわれ、国民が日々損害を被っているにもかかわらず、「トップをすげ代えろ」という声が上がらないのは、総理大臣の適格性を最終的に判断しているのは「自分たちではない」と国民が思っているからである。
残念ながら、日本において、統治者の適格性を判断しているのは有権者ではない。
私たちは自分たちの選挙区から議員を選ぶことはできる。でも、統治者を選ぶことはできない。
日本の指導者を最終的に決めるのはアメリカである。
私たちが誰を選んでも、ホワイトハウスが「不適格」と判断すれば、政権には就けないし、就けても短命に終わる。そのことを国民は知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。それを認めてしまうと、日本は主権国家ではなく、アメリカの属国であるという事実を直視しなければならなくなるからである。
2013年にアメリカの映画監督のオリバー・ストーンが広島で講演をして、「日本はアメリカの属国、衛星国である」と述べた。だから日本の統治者の任免権は事実上アメリカ大統領が保持している、と。
日本のメディアはこの発言を報道しなかった。違うと思うなら反論すればいい。だが、「日本はアメリカの属国ではない」と述べたメディアは一つもなかった。
オーストラリアの政治学者ガバン・マコーマックは『属国』で、日本は属国というより「傀儡国家」だと書いた。ジョン・ダワーとの共著『転換期の日本へ』でも、同じことを指摘した。だが、メディアはそのような意見が国際社会では当然のように行き来している事実そのものを組織的に黙殺している。

日本の総理大臣は「宗主国アメリカの属国の代官」である。実質的な任免権はホワイトハウスが握っている。もちろん、内政干渉になるから、任免の作業は「アウトソーシング」されている。アメリカの指示は日米合同委員会や年次改革要望書を通じて開示され、それを忠実に実行しているのは与党政治家と官僚とメディアである。そういう仕組みで日本が統治されていることを国民はもう知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。
「他に適任者がいない」というのはアメリカの判断である。
安倍晋三は日本の国益よりもアメリカの国益を優先的に配慮してくれる「理想の統治者」である。だからアメリカがそう評価するのは当たり前である。そして、日本国民の多くはアメリカの判断の方が日本人自身の主観的な政権評価よりも現実的でありかつ適切であると信じている。
マッカーサーの時代からそのマインドは少しも変わっていない。

「追記」
ただ、アメリカの大統領がドナルド・トランプに交替したことで、「宗主国の代官」にどのようなタイプの政治家を選好するかについての判断基準がこの後変わる可能性はある。
これまで、「属国の代官」の適不適を事実上判断していたのはアーミテイジたち「ジャパン・ハンドラー」であった。
トランプのホワイトハウスの「新しい住人たち」は巨大な「日本利権」をひさしく貪っていた「ジャパン・ハンドラー」たちから取り上げようとするだろう。
「ジャパン・ハンドラー」たちのお気に入りであった日本の与党政治家たちはこれから新たに「オーディション」を受けなければならない。
明日11月17日に安倍首相はトランプを西側首脳として最も早く表敬訪問をするが、これは「属国の代官」である以上当然のことであり、これは安倍首相にとっては「新しい主人」による「オーディション」に相当する。
トランプが「虫が好かない」という判断を下す可能性はある(トランプの人間的好悪について誰が確定的な予測を立てられるだろう)。
そういう「残念な結果」になった場合、日本では与党政治家も官僚もメディアも「アメリカに好かれない政治家は日本の首相に不適である」と(はじめはおずおずと、そのうち猛々しく)言い始めるだろう。
そして、そうなることを彼らだって(望んではいないが)一応心のどこかで覚悟はしているのである。

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2017年1月25日 (水)

辺見庸 (01/07)日録 私事片々 2017/01/07~から全保存 雑談日記Archive

 今日夕方6時過ぎ、私事片々(2017/01/25)をアップした後、削除されたので今までと同様保存しておきます。

 なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。今回は1エントリー。

追記(2017/01/31):昨日、新宿紀伊国屋での講演会Podcast。そして2017年3月12日 こころの時代←頁内ジャンプ。

 

2017年01月07日
日録
http://yo-hemmi.net/article/445683833.html

私事片々
2017/01/07~

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クレーン.jpg 2017年01月07日

1/30新宿講演について

やっとエベレストの麓までいくも、めまいと右半身硬直で、どうしてものぼれず。断念。マックまでのたった、たった50メートルほどの道をあるくのに1時間もかかった。汗みずく。クソ、冗談じゃない。たのむから、ふざけないでくれ。が、げんじつ。ダブルチーズバーガーとカプチーノ。バイトの店員がおびえた顔になった。ひきつっている。こちらもむこうも。ひきつっていながら、たがいにひきつっていないふりをする。マックは総選挙中だった。

旧年末から年明けにかけて、ろくなことがなかった。いまさらいきりたつ気もしない。いきさつをかたる気もおきない。なにかにはめられたのか。だとしたら、みすみすはめられたこちらがわるい。バカ。マヌケ。油断だ。イライラしつつ、ヘラヘラしゃべってしまったこちらの、いわば前頭側頭型的な錯乱。めまいのなかで、1月30日の講演(新宿・紀伊國屋ホール)を意識しはじめている。平日も平日、月曜日の夕食時間に講演開始という気のきかなさをおわびする。それしか会場をおさえられなかったらしい。

にもかかわらず、たくさんの友人たちがきてくれることになった。海外からも九州からも北海道からも。たぶん、みんなしんどいのだ。ただ存在するだけでくるしい。もうほとんどすべてのことに、ほとほとうんざりしている。そうでなければ、1月30日の夕なんかに遠くから講演にきてくれるわけがない。こちらもかなりくるしい。それはかくさない。かくしようもない。からだが芯から疲れている。心も相当、萎えている。干からびたクラゲだ。

友人たちも、みんな各人各様に疲れきっている。いまの風景にあきれ、怒る以前に、はげしく困惑している。ほぼかんぜんにあきらめながら、しかし、さがすともなくさがしている。おぼろにたわんだ視線のかなた、ノイズがあふれる耳朶の奥に、なにかをもとめている。無意識に手さぐりしている。わかる。おそらく、それは手垢のついた「希望」なんかではない。気味がわるくなるほど快活な声でかたられる生きるよろこびであるわけもない。想像するに、それは、絶望のあかしではないか。切実な、絶望の、あかし。

絶望のあかしに触れえて、そこではじめて、ひょっとしたら反転するかもしれない契機――とやらを、一応かんがえてはいる。しかし、もうだめ。もうだめだ……。友のひとりが昨夜、連絡してきた。もうだめだ……。別居中の母親が徘徊し行方不明。父は入院中。歩行困難。母は寒い夜の底でおぼれている。もがいている。疲れたよ。もうだめだ……。もうだめなのだ、ほんとうは。それが1/30の通奏テーマ。まだだいじょうぶ、ではない。終わりの論証。絶えざる終わりの証明。夜ふけに徘徊する母の目玉を、眼窩にうめこむ。なにが見えるか。
(2017/01/07)

SOBA:↑辺見さんが上記言及している新宿紀伊国屋での講演会Podcast

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ヘリ.JPG 2013年11月05日

マルクスは死んだ犬か?

やはりマックまで1時間かかった。途中、決死のかくごで、エベレストに挑戦。なんとか登頂。下山後また歩行困難。こきざみにすすむ。カフェラテとビッグマック。マックは奇妙な工場かフルオートメーションの畜産場だな。帰りは10分とかからずにあるけた。なぜかはわからない。ちゃんとあるけるようになりたい。それは、けれども、至上の課題じゃない。帰ったら、Sさんからメール。

「マルクスもレーニンも死んだ犬か?それでいいのか」とあった。このいい方がすきだ。とんでもない。マルクスもレーニンも死んだ犬ではない。資本主義のあるかぎり、死ねないオオカミだ。「人倫や民族ということを疎外概念や階級概念とつき合わせて思考するという知的努力抜きに、超歴史的な人間一般のレベルでアッケラカンと論じていいのか」とSさんはいう。そのとおりだとおもう。Sさんはつごうで1/30講演にさんかできない。残念だ。

Sさんは角川文庫『完全版 1★9★3★7』の解説をひはんしていた。「マルクスもレーニンも死んだ犬か?それでいいのか」は、あの解説になじまないかもしれない。が、胸に食いこんでくる。「人倫」はそれじたい、たんどくでかたりうるものではない。なぜか。1/30講演でそのことも話す。親兄弟の介護でくるしむ友人たちも、だいじなじかんをさいてきてくれる。近親者を自殺でなくした友もくる。「マルクスもレーニンも死んだ犬か?それでいいのか」は、なぐさめになるか。なぐさめとはなにか。

ところで、げんざいのニッポン政府の夜郎自大は、すでにどはずれている。外交官帰国にかっさいをおくるものども。「最終的、不可逆的」などという埒もない(恫喝的でもある)ことばに酔うメディア。反復的歴史のわだちを、さもとくいげにあゆむ阿呆ども。まったく同一ではないが、相似的錯誤が眼前でくりかえされている。10億円でいったいなにをあがなったというのか。このことにも1/30講演でふれざるをえない。
(2017/01/08)

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ドレープ.jpg 2017年01月09日

Tom Waits

何十年ぶりかでTom Waitsをきく。寝床でふとおもった。1/30の会場でかけようか、なんてね。けふ、ききなおす。やはり、なんかちがうんだな。数十年前もそう感じたっけ。わざとらしさ。病んだふり。老いぼれのふり。貧乏なふり。孤独なふり。〝反社会〟のふり。どうにもならなくなったふり。こけおどしの声。ちがうな。あたたかなこころのおじさん。寄せ場にくるおっさんはあんなじゃない。芯が傷んでいた。Tom Waitsは、それがぜったいわるいわけじゃないけどさ、ケンゼンだ。

わざとのどをつぶすなよな。わざとみすぼらしいふりをすんなよ。一方、「マルクスもレーニンも死んだ犬か?それでいいのか」は、いい啖呵だ。悲しみがにじむ。死にそうな犬、病んだ犬、飢えた犬、狂った犬、腐った犬、傷んだ犬…がすきだ。たまらない。そうさ、死んだ犬だよ、とわたしは言わない。死んだ犬でも、死んでいない、といいはってなでさするアホをきらいになれない。だいいち、マルクスは死んだ犬じゃないし。Tom Waitsみたいにわざとらしくない。オーバーでもない。

1/30になにをながすか。どんな曲を。どうでもいいはなしだけれど、かならずしもどうでもよくはない。バッハはやめとく。Tom Waitsもむ・む・む…。遠方からくる友人がどうおもうだろう。いっそDavid Bowieはどうか。たとえば、I’M DERANGEDとかをくりかえしながす。いい曲だ。ああ、おれ、狂ってきたよ、というんだから率直だし、すこしもわざとらしくない。I’M DERANGEDのながれから、はなしはじめるべきじゃないのか。さて、どうなるか。

エベレストにいかなかった。やはりあるけない。1/30までに、すこしあるけるようになりたい。(2017/01/09)

 

SOBA:↑辺見さんが言及している「1/30になにをながすか。どんな曲を。」関連。辺見さんが2004年3月14日新潟講演中に倒れたその2年後、2006年4月27日病後初の講演では『バッハの無伴奏チェロ組曲』を流したようです

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西陽.jpg 2017年01月10日

雨月物語

MMの誕生日。知らなかったよ。ムジナ軒ランチ。いたるところ認知症だらけ。電話のむこうから声がきこえてくる。家に帰りたいのよ。ここどこなの。あたし家に帰るよ。タクシー呼んでえ。オニい!知らないひとの家はいやなのよ。やめてくださいよ。ここはちがうのよ。(物音)あんた、なんてことすんのよ!いやや。いややあ。あたし帰ります。ぜったいに帰るのよ。(物音)ひい!痛い!いてえ。ここ痛いのです!帰るよ。オニい、帰りたい。帰りたい。帰して。お母さん、オニはないでしょ、オニは。ここ、あなたのお家でしょ。ここいがいないでしょ。どこにあるのよ、バカ!

ムジナ軒からマックまであるき。途次、先日のことをおもいだす。1時間もかけて、いとしのマックにやっとこたどり着いたんだよ。暑かないのに汗みずく。メガネがくもってた。おぼれるようにあるき、店内でもいくたびか転けそうになる。客のいるテーブルについ手をかけてしまう。店長みたいなおとこがすっとんでくる。(ここはおまえのくるところじゃない。でていけ!)の表情で、「お客さま、なにかわたくしどもにできることはございますでしょうか?」。わたし(マック食ったらヨイヨイなおんのかよ。ばかやろう!)の表情で、「だ、だ、だ、ダブルチーズバーガー…お、お願ひします」。左手で千円札ピラピラする。殺意。に似た衝動。マック食うと、あーら不思議、殺意消えましたよ。

ジジジ…。アブラゼミが鳴いている。マックで。ああ、人工喉頭でしゃべってるんだ。電気式人工喉頭(EL)で。まえもいたな、あのひと。ゴ・ノ・ゴ・ヤ・ミ・ニ・イ・デ・バ・ベ・ラ・ン・ド・イ・ブ・ヲ、ア・ナ・ガ・ヂ・ニ・ゴ・ノ・ガ・ザ・モ・デ・イ・ギ・ダ・マ・べ…ジジジジ…みたいなことを言っている。ウンコしたくなり改装なったトイレにいくと、さかゑさんがいて、即、JSF。やりながら言ふ。講演会いくわよ。ノーパンで。テーモウよ。最前列でパッカーンすっからね。ASKAかけてね。がんがんボリュームあげてね。パッカーンすっからね。みてねえ!

ぜんぱんてきにわるくない日だった。エベレストにのぼった。少女像をおかれるってのは、そんなに怒るべきことなんだろうか。(2017/01/10)

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暗がり.jpg 2017年01月11日

レビー小体型

施設入所日。すんなりいくとはおもえないが。ケアマネに在宅介護はむずかしいといわれた。ケアマネはママにどなりつけられ、やくたたずめ、おまえなんかに指図されるいわれはないわい、でていけ、と罵倒された。前々夜は〝在宅失踪〟で警察にやっかいをかけるし。家のなかで、ここはどこなのとふるえる。自宅のまんなかで家に帰りたいとわめく。でも、ママの話はおもしろい。作話っていうけど、いいじゃないか。公園でね、みんなむこうむきの幼稚園児がね、いっせいに、どうじによ、あたしにふりむいて、ぜんいん、目をピッカピッカさせて、きくこセンセ―、こんにちは、っていうのよ。

雨の日にタヌキが100匹たずねてきた、というのもよかった。家中タヌキくさくなってねえ。おじいちゃんタヌキもいて、ニンチでね、トイレとまちがえて、ながしでウンチしちゃって。どっさりよ。あたしにも〈薄皮まんじゅうめしあがれ〉って、ウンチもってくるのよ。あんた、フクシマのタヌキもいたのかしらね。慰安婦像をおかれたからって怒りまくるニンチとどっちがこまるか。おかれたってしかたない。ヌッポン、みんなニンチじゃん。忘れたふりする悪質ニンチ。作話せんもんの、なんとかいうニンチそうりだいじんを、ねつれつに支持する55パーセントのニンチ世論。ニンチ新聞にニンチ記者にニンチ学者にニンチTV番組にニンチ議員にニンチ医者。

抽象不能の世界である。記号と価値と資本の猥雑で、まったく無意味な融合。さいげんのない均一化と断片化の同時的展開。「普遍性」の鏡はいま、こなごなに割れるべくして割れた。すべてはチンカスかマンカスのどちらかにすぎない。これでよかった。満目むなしい断片の原から、おそらくひとしきりの戦争をへて、なんらかの新たな特殊性が生まれるまで、人びとはインモラルでさえない大小の暴力のなかで、ますます狂い、いよいよこまかく自滅すればよい。グローバルパワーとテロリズムとニンチ群はどこまでもかくだいし、そして、不意の、まったくおもいがけないスペクタクルが大爆発をまっている。みたことも、想像さえできなかったできごとが、巨きな宗教画的な光景が、やっとたちあがることだろう。

エベレストにのぼらなかった。太鼓橋をわたった。マックにいかなかった。ダフネ西口店にもいかなかった。(2017/01/11)

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夜ふけ.JPG 2017年01月12日

暗愚の栄え

なにかの本で「暗黒の21世紀」という文言をみた。そう呼ぼうが呼ぶまいが、ドキリとさせられる兆候は、このごろしばしばある。「暗黒時代」ということなら、古代ギリシアもしくは中世欧州の一定時期がそう言われたこともある。それ以来か。トランプの会見。post-truth eraであることはまちがいない。これからくるのではなく、いまがそうなのだろう。暗愚の栄え。エベレストにのぼらなかった。急転直下している。
(2017/01/12)

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部屋からの空.jpg 2017年01月13日

On the Nickel

トランプの「アメリカ第一」は「帝国路線」の放棄なのか。グローバル経済と軍事管理戦略からの後退か。モンロー主義への回帰か。それらは昨春の母の他界となにかかんけいがあるか。ひとりの自責とどこでどうかかわるか、かかわらないのか。母は末期の目になにをみたか。母によってみられたものと「世界」とよばれるものは、なにかのかかわりがあるだろうか。末期の目はある。しかし、世界なんてものはそもそもあるのだろうか。母の目に世界はなかったろう。トランプの米国が世界への拡張の欲望をすてるとは、どういうことだろう。そんなことがありうるだろうか。ひとが死にかけている。世界がひとつ終わりかけている。

世界というものがいま、どうにもならない大蛇のようにかりにのたうっているとしてだが、世界はいっせいにとてつもなく下品になってきた。かつてなく慎みなく、粗野に、いっそう乱暴に、よりいっそう無体にうねるようになってきた。ドナルドでなくヒラリーだったらこうはならなかっただろうか。そんなことはない。ひとが死にかかっている。死にかけている。ところで、On the Nickelはきらいではなかった。ゆうべきいた。かつてはなじみの曲だった。ひとが死にかかっている。世界というものが実在するなら、世界は危殆にひんしている。友も、友の親も。こんごとも危殆にひんしつづけるだろう。わたしも、あなたも、かなりピンチだ。

On the Nickelは、この危機にふさわしい歌ではない。わたしはかすかに鼻白む。だが、ゆうべきいた。ひとが死にかけている。いまにふさわしい歌なんか、さがしたってどこにもないのだ。1月30日夕、もしも会えたら、新宿で会おう。

https://www.youtube.com/watch?v=8055IqijQzo

エベレストにのぼらなかった。(2017/01/13)

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昼の夜ふけ.jpg 2017年01月14日

さながらに野にあるごとく

こたきこなみさんよりお手紙いただく。万年筆でかかれた。胸にしみる。頭がさがる。どこにも暗転していないものはない。高いところにたてば身投げのしょうどうがわく。立ち木をみれば枝ぶりで首つりをおもう。ぶらんとじぶんをぶらさげてみる。ネクタイにさわれば、首をしめる図をえがく。根もとまで舌をだす。目をむく。信ずべきなにものもない。というのがげんじつというやつだ。言う価値もありゃしねえ。けふもチーズバーガー食って、チーズバーガーのクソして、ゲップした。しゃくだからエベレストにのぼってやった。ヤマモミジの細い枝がひたいにじゃれつき、じゃました。折れ!左手でへし折ってやる。

土筆摘み野蒜を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来し と、詠みたきゃ詠めばいい。かってだ。だが、ことごとしく報道するほどのことか。さながらに野にあるごとくに、とはよく言ったもんだ。まことに無神経である。げんじつに野にある無宿人たち、難民たちがふるえていぞ。おびえているんだぞ。さながらに野にあるごとくここに住み来し、とはなんだ。「ここ」とはどこなんだ。野ぐそにしても、ろくな歌がひとつもない。それでもありがたがるドジンども。かんけいないが、ウィリアムズの「ご崩御の記」は、なんど読んでもわからない。らりって書いたのかな。わからないがおもしろい。右目硝子体出血悪化。へっ!(2017/01/14)

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凶器.jpg 2017年01月15日

Georgette Fry

片目がみえない。タジンくれ。オレンジ色の。3週間分。右目。風がぬける。これ、目じゃねえよ。ただの穴。みたって、どうせ広告ばかりだ。おのおののケツの穴までCMだらけじゃないか。なもん、みなくていい。きく。Georgette FryのOn The Nickel. かのじょ泣かない。よひ。わざとらしくなひ。おおげさじゃなひ。どっしりしている。で、ききたいひとはなんとなくきく。きかないひとはきかない。なにもかわらない。だれもすくわれない。すくわない。失見当識者と意識不明者と病んだ犬の、とりのこされ。とりのこされ。消えさるまでのとりのこされ。夜の路上の松林をさまよえ。裸足で、青い入り江にむかえ。入り江は、どこまでもどこまでも、ない。エベレストにのぼらなかった。https://www.youtube.com/watch?v=QRJQzH31Z1s(2017/01/15)

Den
den.jpg 2017年01月16日

Carla Bozulich

右目ダメ。左目はみえる。30日はよていどおり、かならずやる。すみません、またOn The Nickelで。すみませんね。30日はかんぜんによていどおり。あす病院にいく。トイレのあたりからマッコウクジラの死臭がする。くせえ。ビンボー人と病人と老人はどうぞ死になさい、というなら、OK、死ぬまえになんかやってやろうじゃないか。エベレストにのぼらなかった。https://www.youtube.com/watch?v=-JyhWQBf80I
(2017/01/16)

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共謀罪.jpg 2017年01月17日

共謀罪

内面の、奥の奥の、じぶんだけの小部屋にまで、ぶえんりょに入りこんでくる、死んだ魚の目たち。眼科にいく。医者にこっぴどくしかられる。右目視力ゼロ。タジン1か月分処方。エベレストにのぼらなかった。病院待合室で、老爺の顔をしたあの子と美しい母親をみた。左目だけで。母子はみかえさなかった。母親は肩で、背で、後頭部でも、こちらをみている。だんこたる決意!からだの奥に、静止した風景か、なにか物語らしきものがただよっている。ダフネ西口店、ことしはじめて。(2017/01/17)

SOBA:2006年5月2日付けの東京新聞『病後初、辺見庸さんが語ったこと 「灰色領域」の恥辱 国家や市場の潤滑油としてのメディアの記事を採録(同じ頁にある「こちら特報部」共謀罪特集記事の写真と読みやすいように記事コピー、テキスト起こしも採録。2006年小泉政権共謀罪は結局3度目の廃案。今回の安倍自民・公明連立政権による共謀罪で4度目)

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無人電車.JPG 2014年01月23日

無抵抗社会

片目で原稿。共謀罪と無抵抗社会と内面の死滅について。わるいことがきれめなくつづいている。げんきだとばかりおもっていたマルちゃんが、けふは死にそうだという。なんてこった!エベレストにのぼるどころか近づきもできなかった。(2017/01/18)

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白の闇.jpg 2017年01月19日

白の闇

薬3日目。いっこうによくならず。右目の視界ゼロ。ジョゼ・サラマーゴ。白の闇。マルちゃん入院。末期がん。血管肉腫、脾臓破裂、転移……と聞こえた。飼い主の意識もまったく回復せず。さきがみえない。ずっとみえなかったのだ。みえるふりをしていただけ。ものみな、音もなくくずれている。共謀罪というなら、まっさきに現政権メンバーを全員逮捕せよ。かれらこそまぎれもない大犯罪を構成している。エベレストにのぼらなかった。30日は予定どおりやる。目がみえなくても。(2017/01/19)

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霧の夜.jpg 2017年01月20日

誘起・蠕動

エベレストにのぼらなかった。いま、なにがおきているのか。内側でも外側でも、誘起させられ蠕動しているもの。(2017/01/20)

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川.jpg 2017年01月21日

「暗黒の21世紀」序章

あのおとこが言った。「うつろな言葉の時代は終わった」。そうか。うつろな言葉の時代とは、どのような時代か。それが終わったとして、では次に、なにがたちあがっているのか。40数パーセントがかれを支持している。それらがぜんぶ「悪」でありようがない。50数パーセントの反対者がすべて「善」ではないように。善悪はそもそも対抗価値ではなく、等価な無価値になっていた。問題は、(主として「テロ」への)対抗恐怖症からくる、「悪」を物理的に排除できると妄想し、行動する錯乱である。「暗黒の21世紀」序章は疾うにはじまっていた。

薬5日目。エベレストにのぼらなかった。(2017/01/21)

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水の空.jpg 2017年01月22日

ニューズメディアの自壊

去年の11月だったか、FTはあのおとこについて言ったものだ。米国民は「自爆テロリストを政府内に送りこんだ」と。それよりまえ、ワシントンポストは、かれの政策を、スターリンやポル・ポトになぞらえ「偏見にみち、無知、ホラ吹き、自己中心的で、執念ぶかく、狭量で、女性蔑視で……民主主義を侮蔑……」と徹底的にこきおろしていた。ヒトラーにたとえた新聞もあった。多数のメディアが、あのおとこをこれでもかこれでもかとたたきまくった。にもかかわらず〝自爆テロリスト〟は、いわゆる民主的てつづきをへて大統領に就任した。

なぜか。得心のゆく答えをまだみたことがない。あのおとこの支持者は、FT、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、ウォールストリートジャーナルなどを購読しはすまい。主要メディアは、では、なにをよみちがえたのか。貧困層の内面だけではない。ニュースメディアじしんの崩壊に気づいていなかったのではないか。その崩壊とは、なにより読者からの「信」であり、財政、運営構造のはたんである。一日の食にことかくものは、ニッポンでだって朝日新聞を購読したりしやしない。NHKの9時のニュースを信用するわけもない。それらは実態とおそろしくかけはなれた、はらだたしいそんざいなのだ。

主要メディアの視界の外(影響圏外)に、あそるべきルサンチマンがふくらんでいる。薬6日目。よくならない。片目ではメモがよみにくい。エベレストにのぼらなかった。(2017/01/22)

SOBA:メディアの自壊関連の辺見さんの記事(2006年小泉政権共謀罪の時の)

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天空.jpg 2017年01月23日

Mister B.

目がみえないと、みえていてもまとまらないかんがえが、ますますちらかる。綿雲みたいに。午前中に右目の精密検査。要手術。入院に1週間かかるという。犬をどうするか。しばらく経過観察に。左目にも問題ありという。もぐらたたき。ChetのMister Bをみつけてもらう。30日用。どうということはない。エベレストにのぼらなかった。薬7日目。犬の顔がどこかわからない。(2017/01/23)

Tokyo
TOKYO.jpg 2017年01月25日

「トランプさん」

昼すぎ、どうしたまちがいか、労組の研修会みたいなところでしゃべった。片目で。仕出し弁当のにおい。とろけた顔たち。うつけた目。なぜここに呼ばれたか、なぜきてしまったか、不明。おれはやぶれた鞴だった。声は、からだの破れ目からブヒャブヒャとぬけた。dull. 安保法制も秘密保護法もやすやすととおるわけだ。共謀罪も改憲もいくだろう。どうでもいいが、ロナルド・トランプを「トランプさん」と呼ぶのには、やめろ、ばかやろう、とどなりつけたくなった。エベレストにのぼらなかった。薬8日目。(2017/01/24)

Sky
sky.jpg 2017年01月25日

alternative facts!

諸君、alternative factsだとさ。post-truthの時代のalternative factsだとよ!やってらんない。薬9日目。エベレストにのぼらなかった。(2017/01/25)

  

 辺見さんが私事片々(2017/01/17)以下、(2017/01/18)(2017/01/19)(2017/01/24)と連続で共謀罪について言及しているので、以下関連、共謀罪の記事を整理していた時に見つけた記事です。2006年5月2日(火)のこちら特報部共謀罪特集の隣、ニュースの追跡で辺見さんの記事がありました⇒『病後初、辺見庸さんが語ったこと 「灰色領域」の恥辱 国家や市場の潤滑油としてのメディア』、私事片々(2017/01/22)で辺見さんが言ういわゆるメディアの自壊。

 2006年5月2日付けこちら特報部共謀罪特集の方はこの記事のうしろで、記事頁全体の写真と、読めるようにスキャンしたコピーを紹介。なお2006年小泉政権共謀罪での3度目の廃案(今回の安倍晋三共謀罪は4度目)、当時の日隅弁護士ブログでの記録は貴重(小泉政権共謀罪廃案までの日隅ブログの記録と、共謀罪カテゴリ2005-04-09〜2008-09-21までの記録をリンク紹介

(↓クリックで拡大)スクロールして見るなら
20060502henmiyou_

上記、辺見さんの記事と一緒に出ている2006年5月2日(火)東京新聞24頁の共謀罪特集「こちら特報部」『「市民」対象変わらず「歯止めにならない」』(この記事のテキスト
スクロールして見るなら
20060502tokyo24p

同じく、2006年5月2日(火)東京新聞25頁の共謀罪特集「こちら特報部」。スクロールして見るなら
20060502tokyo25p

 

 上記、記事部分を読みやすいようにスキャン。2006年5月2日(火)東京新聞24頁の共謀罪特集「こちら特報部」『「市民」対象変わらず「歯止めにならない」』「共謀罪」与党修正案を検証する 619種が摘発対象→政府原案と同じ 国際組織犯罪防止が目的のはずだが 与党も不備指摘 過去2度の廃案

SOBA:結局この2006年小泉政権共謀罪は3度目の廃案。今回の安倍自民・公明連立政権共謀罪は4度目。
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同じく記事部分のキャプチャ。東京新聞25頁の共謀罪特集「こちら特報部」 自首すれば減免→「密告社会の恐怖」 意図的運用の危険 「NGOへの寄付や激励も犯罪になる」 「中止犯」の問題も放置されたまま 櫻井よしこ氏 権力者が監視 独裁国家に…  阻止すべきだ ←日本会議関連で現在評判の良くない櫻井よしこ氏ですが、共謀罪反対。
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↑「こちら特報部」記事の↓左隣り、同じく共謀罪関連で鎌田慧(かまたさとし)さんの本音のコラム「煙のような座談」も採録。(スクロールして見るなら)。
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参考:↑記事中出てくる「大逆事件」について参考になるサイト『甘口辛口』の「大逆事件から100年(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)」、記事中出てくる大逆事件の動画を採録(←リンク先5で紹介されているETV特集 『埋もれた声 ~大逆事件から100年』も)

 

 2012年6月12日にがん性腹膜炎のため亡くなった(享年49)「情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄」さんの所で(ブログはそのまま)、共謀罪関連こちら特報部のテキスト起こしがありましたので、以下転載(「共謀罪」は私事片々(2017/01/17)から辺見さんが何回か書いているキーワード)

SOBA:日隅さんに、「岩国連帯」とカンパ呼びかけのバナー作成を頼まれ、作成したことがあります(←エントリー末尾で左のバナー。例えばバックナンバーで2007年12月←24日から、2008年1月の、2008年の2月の)。もし今も、元気でいらっしゃるなら、弁護士でもある日隅さんが舌鋒鋭く共謀罪に反対しておられたでしょう。残念でなりません(小泉政権共謀罪廃案2006年5月末までの日隅ブログの記録、 同じく共謀罪カテゴリで2005-04-09〜2008-09-21までの記録10111213)リンク先は上から降順

 転載にあたり、表題を追加したり、デスクメモを引用の別表示にするなど何カ所か元記事にあわせました(追記:当時はまだWebでも「こちら特報部」を公開していたのを思い出し、URLを拾えましたので↓記録しておきます)

(以下転載始め)

2006年5月2日(火)東京新聞24頁・25頁の共謀罪特集「こちら特報部」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060502/mng_____tokuho__000.shtml
Internet Archive 

「市民」対象変わらず 「歯止めにならない」

『共謀罪』 与党修正案を検証する

 「相談罪」とも呼ばれる「共謀罪」創設法案。法律違反せずとも、話し合えば逮捕できる同法案(政府原案と与党修正案)には野党、弁護士、NGO、左右の論客から「密告社会をつくる希代の悪法」との批判が強く、民主党が修正案を出した。しかし、自公両党は五月九日の衆院法務委参考人質疑ののち間を置かず、与党案を強行採決の意向だ。大詰めの法案を検証する。 (市川隆太)

 きっかけは国連の国際組織犯罪防止条約だ。法務省は同条約で義務が生じた組織犯罪対策の一環として共謀罪の新設が必要だと主張している。一方、国連での審議を見守ってきた日弁連は「国連といっても、各国の担当者は捜査機関だった。それに日本政府は当初、共謀罪は日本の法体系になじまないと反論していた」と指摘する。

 「日本の法体系」とは、どういう意味だろう。犯罪を思いついてから罪を犯すまでの流れは「共謀」(犯罪の相談。単独犯なら「決意」)→「予備」(武器などの準備)→未遂→既遂という順だが、日弁連は「日本は近代刑法にのっとり、一部の重大犯罪だけ予備段階で罰するが、残りは被害発生の場合のみ罰する法体系。共謀罪新設は近代刑法の否定だ」と指摘する。

619種が摘発対象→政府原案と同じ

 どんなことを話し合うと共謀罪で捕まるのか。識者の意見をもとにまとめた。

 ▼ケース1 希少生物の生息する森にマンション建設が強行されると分かり、町内会と環境保護NGOが「建設会社ロビーで座り込み運動をしよう」と決めた。この場合、合意したメンバーは実行しなくても「威力業務妨害罪」の共謀罪。

 ▼ケース2 議員選挙の陣営で「アルバイトに金を払って有権者への電話作戦を展開しよう」と決めた。実際に支払わなくても、公職選挙法の「買収罪」の共謀罪となる。

 ▼ケース3 脱税をもくろむ会社社長が顧問税理士に「経費水増しの帳簿操作をしたい」ともちかけた。税理士は、実行するつもりはなかったが、「いいですよ」と言って、その場をやり過ごした。この場合、二人とも「法人税法違反罪」の共謀罪となる。

 ▼ケース4 新商品開発会議でライバル社の売れ筋商品そっくりの品物を販売しようとの意見が出て、出席者は合意した。社長のダメ出しにより、この案はボツとなったが、それでも出席者には「商標法違反罪」の共謀罪が成立する。

 ▼ケース5 ゼネコン社長が国会議員に「来年、五千万円、持って行きます」とわいろ提供を持ちかけた。議員はクリーンな性格で、そのうち断るつもりだったが、場の雰囲気を壊したくないので「ありがとうございます」と頭を下げた。これは「収賄罪」の共謀罪となる(現行法では社長にわいろ申し込み罪が成立するだけ)。

デスクメモ:
 「警察はちょっと抜けている方がいい。でないと、喫茶店でお茶飲んでるだけでしょっ引かれる」。戦中、戦後を新聞記者として生きた大学の恩師の口癖だ。治安維持法を武器に思想、言論を取り締まった特高警察の怖さを見てきた実感だろう。「銭湯の冗談も筒抜け」といわれた監視網。こんな世になるのか。 (鈴)

 ■与党も不備指摘 過去2度の廃案

 こうした指摘に対し、法務省は「まじめな一般市民を適用対象にすることはない。対象は暴力団、詐欺組織など」と強調してきたが、過去の国会審議で与党からも不備が指摘され、法案は二回も廃案になった。そして、今国会、与党が修正案を提出した。

自首すれば減免→「密告社会の恐怖」 意図的運用の危険

「NGOへの寄付や激励も犯罪になる」

与党は「一定の犯罪を行うことを共同の目的とする団体によるものに限定する」という条文により、適用対象を狭めたとする。しかし、日弁連や野党は「これでは、過去に犯罪を遂行した団体とは限らず、NGOなどにも適用可能」と批判。この意見を参考に、民主党は組織犯罪集団に限定する「犯罪実行が目的で、あらかじめ任務分担がある継続的な結合体」との表現を盛り込んだ修正案を先月二十七日、国会に提出した。

 また「共謀罪の対象となる罪が六百十九種類にも及ぶことが、一般市民の摘発につながる」との批判も強い。これは、政府原案や与党修正案が「懲役四年以上の罪」を対象罪種としたため。民主党修正案は「懲役五年超の罪」とすることで、対象罪種を約三百に絞った上、「国際的な犯罪」しか共謀罪は適用できないようにした。

 このほか、「共謀」がどの時点で成り立つのかをめぐっても、野党や法律家から「あいまいで意図的な運用が行われる危険がある」との指摘が出ている。犯罪をもちかけられた時に、「うん、やろう」と具体的に答えなくとも、捜査当局や裁判所が共謀と見なすのではないか、との不安だ。

 昨年十月の衆院法務委で、保坂展人委員(社民)から「言語なし、目くばせでも共謀罪は成立するのか」と問われた法務省は「目くばせでも十分、成立する場合はある」と認めた。

 「そうであれば、本当は犯罪に反対だけど、場の雰囲気で一応、賛成のふりをした人まで共謀罪になるのか」というのが法律家などの指摘だ。「気が弱くて、つい、うなずいてしまった人も逮捕されるのか」という疑問も出されている。

 こうしたことから、与党修正案は「合意」だけでなく「犯罪の実行に資する行為」を適用条件とした。しかし、さまざまなNGOなどから「資する、では寄付した市民や『頑張ってね』と激励した人まで含まれてしまうのではないか」との強い懸念が出ており、日弁連も「歯止めにならない」と話す。

 政府原案では共謀に参加しても、捜査当局に自首した者は刑が減免されることになっているため、「戦時中のような密告社会に逆戻りする」との不安も指摘されている。日弁連は「この点は、与党修正案でも削除されなかった。わざと共謀に加わって自首し、相手を陥れることも可能になる」と批判する。

 ■「中止犯」の問題 放置されたまま

 昨年十月の衆院法務委などで、柴山昌彦委員(自民)などからも集中砲火を浴びた「中止犯」の問題も放置されている。中止犯は「犯罪を思いついても思いとどまった人には刑を減免しなければならない」という刑法四三条の規定だ。「共謀後に『やめよう』と言っても共謀罪になってしまうではないか。あいまいだ」と矛盾をつく柴山氏に、法務省は「予備罪や準備罪にも中止規定は適用されない」と答弁したが、法律家らは「殺人・強盗などが対象の予備罪と、都市計画法や道路交通法まで対象の共謀罪を同一に語るのは、むちゃくちゃな話」と批判する。「誰でもいけないことを思ったり口に出すが、中止犯という“黄金の橋”があるから実行せずに戻ってくる。橋をはずしてしまってよいのか」(日弁連)とも。

 この問題に詳しい弁護士らは共謀罪を施行済みの米国の事例を危惧(きぐ)する。「イラク戦争に抗議して、兵士募集ポスターに自分たちの血を塗るパフォーマンスを行ったキリスト教徒らが器物損壊容疑で逮捕され無罪となったが、次に、共謀容疑にあたるとして逮捕された」

権力者が監視 独裁国家に…  阻止すべきだ

 一連の状況を見て、ジャーナリストの櫻井よしこ氏も言う。「共謀罪は暗黒社会の到来を意味する。住基ネットと合わせて、権力者が市民を監視する独裁国家になる。一体、誰が何の目的でこんな悪法を通そうとしているのか。市民の自由を守るため、思想信条の違いを超えて、共謀罪成立を阻止しなければならない」

(以上転載終り)

  

 鎌田慧さんのコラムで紹介されていた大逆事件関連の動画。

ETV特集 埋もれた声 ~大逆事件から100年
https://www.youtube.com/watch?v=VMJUbPBiSPI

2015/08/29 に公開

 

ETV特集 「非戦と平等を求めて」~幸徳秋水と堺利彦~
Satoru Ina
https://www.youtube.com/watch?v=KsM4Eqk_Bo8

2014/09/08 に公開

前半は「日露戦争と平民新聞」、後半は45分40秒から「大逆事件」。

2012年1月29日に放送。シリーズ「日本人は何を考えてきたのか」の第4回。旅の案内はクリスティーヌ・レヴィさん(Christine Lévy ボルドー第三大学教授)で、幸徳秋水の代表作『廿世紀之怪物 帝国主義 1901年(明治34年)』の仏訳『L'impérialisme, le spectre du XXe siècle』翻訳者。なお幸徳の著作はレーニン著『帝国主義―資本主義の最高の段階としての 初版は1917年』に先駆けるもの。幸徳秋水のは以下書名で出てます⇒『帝国主義 (岩波文庫)』、『二十世紀の怪物 帝国主義』。
↓『廿世紀之怪物 帝国主義』書影、19分8秒の所。
198

 

SOBA:↓内容が現在を歌っているようなのが驚き。世情は確実に退化。この歌、今の世に作られていたら意図的に消され、日の目を見ず残らなかったかも。歌はエノケンこと榎本健一さん。

これが自由というものか(1954) / 榎本健一 + 歌詞
案山子山田野
https://www.youtube.com/watch?v=NCc2EgOvhwk

2012/11/03 に公開

これが自由というものか(1954)
作詞・作曲:三木鶏郎
    歌:榎本健一

知らない間に実験で   知らない間にモルモット
知らない間にピカドンで 知らない間に水爆病
これは呆れた驚いた   何が何だかわからない
これが平和というものか あちら任せの平和論

知らない間に値上げして 知らない間にMSA
知らない間に教育法   知らない間に機密法
これは呆れた驚いた   何が何だかわからない
これが自由というものか あなた任せの自由論

知らない間に金あげて  知らない間に金取って
知らない間に税金で   知らない間に自衛隊
これは呆れた驚いた   何が何だかわからない
これが政治というものか おかみ任せの政治論

↑↓歌詞中出てくる「MSA」について

コトバンク > デジタル大辞泉 > MSA協定とは
https://kotobank.jp/word/MSA%E5%8D%94%E5%AE%9A-446545

百科事典マイペディアの解説
MSA協定【エムエスエーきょうてい】
日米相互防衛援助協定とも。1954年3月東京で調印,同5月1日発効。米国が日本に兵器その他の援助を約束し,日本は防衛力の増強と,米国に各種の便宜を供与することを約束した。
→関連項目日米艦艇貸与協定|日本

世界大百科事典 第2版の解説
エムエスエーきょうてい【MSA協定】
1954年3月8日,岡崎勝男外務大臣とアリソンJ.M.Allison駐日アメリカ大使との間で調印された協定で,〈相互防衛援助協定〉〈農産物購入協定〉〈経済措置協定〉〈投資保障協定〉の四つからなる。日本の軍事力増強を図るためにアメリカが援助を与えることを主旨とし,その根拠がアメリカで1951年10月に成立した相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)に求められたのでこの名がある。

  

 私事片々(2017/01/07)以下(2017/01/08)(2017/01/09)で辺見さんが言及している新宿紀伊国屋での講演会と、若干のテキスト起こし(紀伊国屋ホールの音響効果がとても良く、辺見さんの声も聞き取りやすいのでテキスト起こしは前半は比較的細かくやりましたが、残りは要約やキーワード)
追加:2017年3月12日 こころの時代←頁内ジャンプ。

 以下podcast、①から③は現時点での使いやすい順番。ipadの場合はほぼ同じ使い勝手。

20170130HenmiYou ←4sharedに保存。PCならクリックし頁が変わり待つと自動的に再生(但しmp3の場合、途中で他のmp3に変わってしまうことあり、バグ?)。ipadならタップするだけで4sharedのAppが開き再生(初めて 4sharedを使う場合は「購入」と出るけれど、4sharedは無料Appなのでここでの購入はipad用語で単に4sharedをダウンロードするの意味)

20170130HenmiYou ←MediaFireに保存。PCでは使い辛くなったので、ipadを推奨。ipadでリンクをクリックするとSafariの別頁が開き、フィル名「20161205_HenmiYou」と「Download(…MB)」のボタンが出るのでクリックすれば再生開始。進捗バー(タイムバー)はMediaFireの方が使いやすいです。

 

2017年1月30日(月)18:00開場、18:30開演

新宿紀伊国屋、辺見庸講演会(2時間)

始め〜、右眼が見えなくなってなど。ポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの小説『白の闇』、SFあるいは未来小説とも言える。突然国中の人が目が見えなくなる病気にかかる。視界が白濁して土色の闇になってしまう。そう言う見えなくなった世の中で人間はどういう風に動くか、行動をとるかが『白の闇』の主要なテーマ。人間はそう言う危機的な、言わばパンデミック、大流行、どんどん感染していく小説。目が見えなくなったら、お互いに助け合ったり、他者の命を大事にするかと思ったら、暴力、それからおぞましい事の連続、ほとんど救いがないって言う小説。

3分57秒〜、パンデミック、世界はまさにパンデミックの渦中にいる。「価値観の大崩壊」と言うパンデミック

5分16秒〜、正式なこの講演のタイトルは「今何が起きているのか 1★9★3★7と現在、そして未来のイメージ」だったけれど、副題として「おぞましさの永続」と副題をつけたい。たぶんこのおぞましさは暫く続くのではないか。こう言う価値観のパンデミックに立ち会ってみて思うのは、ルイ・アラゴン(Louis Aragon、1897年10月3日 - 1982年12月24日 )と言う人が19世紀から20世紀後半まで生きてきた、この人が「人間においては何ひとつ確実なものはない」と言う言葉と。もう一つ「人間は自己が、自分が、思うような存在では実はないのだ」と。「人間は自分にいだく幻想と、人間が持つ現実・事実を混同してはならない」と。

6分50秒〜、バイオハザードと言う映画があったが、人間がゾンビのように見える。人間がゾンビ化しているのではないか。フィクションの世界がいつの間にかリアルな現実に追い越されてるのではないか。

8分14秒〜、『釘宮病』、略称は「KVD(Kugimiya Virus Disease)」の話し。Wikipediaのパロディサイト、アンサイクロペディアに出てくる、事実ではない非事実の話し。

9分50秒〜、今日お話しする中で基本としたいことがある。ここに足をつけて、ここを守り抜く覚悟で考えているわけで、「我々がいま直面しているありふれた死、それが自殺であっても、自死、あるいは認知症であり、統合失調症であり、ガンであり、鬱であり、飢えであり、狂気であり、そう言う個人の些事から世界を見上げてみる、そこを通して世界を見上げるとどういう風になるのか」と言う見方が本当は一番正しい見方、正しいと言うよりもいま唯一我々にできる視線の持ちようなのではないかと思っているんです。「役に立たないもの、不用なもの、弱い者、貧しい者、うち捨てられた者の側から視線を他に向ける」と言う事がいま一番大事なような気がしている。

11分17秒〜、いま何が起きているのか具体的に語ることはできない。ただ、いま立ち上がっている風景の性質については会場の皆さんと、ある程度一致して、共通して感じることができるのではないか。それは言葉に置き換えれば、こう言う事ではないか、それは「底知れない程度の低さ、どぶから生まれた何か、およそ深さなどまったくない何かが多数者を支配する、ないしは多数者の心をつかんでしまっているという状況にあるんだ」と私は感じているわけです。で、「底知れない程度の低さ、どぶから生まれた何か、およそ深さなどまったくない何か」という風にほとんど罵詈雑言のように吐きだしたこの言葉を言った人は20世紀初頭から75年まで生きたハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年10月14日 - 1975年12月4日)と言う人。でこの状態は、このどぶから生まれ出た何か、底知れない程度の低さと言うもの、これはアーレントよれば「全体主義を生み出す大衆社会」について言っているわけです。「計り知れない下劣さ、それから低劣、吐き気をもよおすほどの醜悪、おぞましさ、下卑た振る舞い、ならず者によって占拠された世界、極めていかがわしい者たち、オフィシャルな晴れがましいものと渾然として融け合っている、そう言う世界、原理なわけです。ですから、例えばですね、これは後段でお話ししますけれども、いま立ち会っている立ち位置、我々が立ち会っている時代って言うのは決して初めて目にしているものではないんじゃないかと言う気も一方で私はしているわけです。仏教では「未だ来たらざるを願う事なかれ」と言う。「過去は棄てられたい、過去と言うものは既に棄てられている、未来は未だ到っていない、到らざる也」、ですから現存する所のものを一生懸命観察しなさいと言う風に仏教では言う訳です。でも、私はこれはちょっと違うんじゃないかと思っている。私たちはどうしたって「これからどうなるんだろう」と考えざるを得ない。現存するものだけに目をやって、それが解けるような事であろうかと思っている。それは僕はないような気がしているわけです。非常に難しいと思っている。

14分50秒〜(紀伊国屋ホールの音響効果が良いので、辺見さんの声がとても聞き取りやすいです。以下残りは、要約やキーワードを記録)『1★9★3★7』表紙の絵、山下清の『観兵式』について。(←この部分は12月5日講演会の方が詳しい

21分40秒〜、途絶えずに流れている時間。その事を山下清は無意識の証言者として切り絵の中に描いた。そこに(山下清の絵の中に)「底知れない程度の低さ、どぶから出た生まれ出た何か、およそ深さなどまったくない何か」を感じた人は恐らく一人もいなかっただろうと思う。これが今日のテーマ、歴史の中の実時間リアルタイムにあって、自分と・自己と出来事を客観視すること。これがどれ程大変な事か、至難の業(わざ)。1937年『1★9★3★7』に、同じ年12月の南京、1941年12月8日の真珠湾攻撃、1945年8月6日(広島原爆投下)、9日(長崎原爆投下)、15日、いったい誰が予感できたか。それは「無理だよ」と言ったのではお話しにならない。我々が唯一すべきことは予感、あらゆる自分の感官を動員して何かを感じると言う事が必要。感じなきゃならないのじゃないかと私は思っている。これが私が書いた『1★9★3★7』のテーマの一つ。

24分〜、1★9★3★7、1937年の南京大虐殺から80年、1917年のロシア革命から100周年。今まで歴史から何を学んだか、近未来に何を予感するか。暗黒の21世紀、ディストピア。技術の進歩と大量殺戮。戦間期の終わりと新たな世界大戦のプロセスに入っている日常。

30分〜、時代を特徴付ける言葉。とても驚いた言葉、OED(Oxford English Dictionary)に載った言葉、post-truth、脱真実、真実後。日本では去年の流行語大賞が「神ってる」で全く意味のない、そう言うこと自体がなにかpost-truth、つまり物事の本質や真相や真相の根拠や、そう言うものを考えると言うことをあざ笑うような時代に入ってきている。これが明確な物理的な原始的なファシズムよりも、より恐い情況、空洞化した情況になっている気がする。言説が真実か、根拠があるか、あるいはその根拠を検証する、検証してきたか、そう言うことには関係のない時代が来ている。今この国で首相をやっている人の名前を知らないんですけれども(笑い)。かなりあの人もpost-truthではないか。我々はほぼ諦めている、にも関わらず57%以上の支持率を持っている。この事に恐れってものをもっといだいた方がいい。

34分28秒〜、米国の大統領トランプの話しと、米国のメディア情況。最初にニュースに触れる手段がTVでも新聞でもなくなっている。ソーシャルメディアになっている(FaceBookやTwitterなどのSNS)。フェイクニュース、偽情報、デマが続行している。これが我々の政治状況を左右したり、デマとか法螺とか、それをTwitterでプロパガンダする。物事の真理とか理念とか理想とか、そう言うことの検証が足蹴にされている。そう言うことをやる事がナンセンスなように思われる。では人々は何を拠り所にして、何をきっかけにして情況を判断しているのか、ここにかつてとの相似形・近似的なものを感じる。それは感情、感情が情況判断を左右している。ロジックとか検証された根拠とか、そう言うことではない民衆の感情、大衆の感情の爆発でもって情況が変わっていく。それはハッキリ言って1930年代と近似的なもの、相似的なものがあるんではないかと思っているわけです。

37分〜、私が驚いているのは、ジョージ・オーウェル(英: George Orwell、1903年6月25日 - 1950年1月21日)が『一九八四年』と言う未来小説を書きましたけれども、丁度その1984年の前、1983年から84年にかけてアメリカに住みましたけれども、ご存じの通り私は現在ある情況と言うものを簡単に信用する人間ではないし、なかったわけです。なのでトランプが当選したってことに対して、もの凄く驚いたってことではないのです。(1984年 小説←Wiki)

38分辺り〜、トランプと既成のニューズメディア。米国の主要なメディアがカバーしきれていない、視野・視界に入っていない群衆が存在した。それが初めてトランプの出現によって抜き出されたのではないか。既成のニューズメディアは崩壊、自壊してるのではないか。その可能性を考慮しておく必要がある。

41分〜、もう一つの驚きは、選挙に使ったお金はトランプよりヒラリーの方が4倍以上使っている。トランプという表象・アイコンを善なるものとして感じた人間が多数いると言うこと、その事にも驚きを感じざるを得ない。正にpost-truth、事実なんかどうでもいい、真実なんかどうでもいい。そしてpost-truthには敷衍すればこう言う意味もあるんじゃないか。かつて言われたような普遍的な価値、例えば男女平等とか、あるいは人権とか、あるいは博愛とか、あるいは融和とか、寛容であるとか、そう言う普遍的な価値ってものを蹴飛ばす。普遍的な価値の時代は終わったと言うようなニュアンス、響きもあるような気がするわけです。post-truthは形容詞ですから、何が続くかと言うとpost-truth era 脱真実の時代とか、あるいはpolitics 脱真実の政治とかそう言う真実とか事実なんてのは、そう言うへちまなんてのは、そんなものは関係ない時代だよと、その表象としてトランプという男が躍り出てきたと言うことに僕は衝撃を覚えている。

44分27秒〜、もう一つの驚いた言葉、alternative facts もう一つの事実、代替可能の事実。トランプの就任式に集まった人間は史上最大であったと大統領の報道官が言う、でもそんな事はなかったわけです。で、それを批判されると大統領報道官は事も無げに「alternative facts」だと、もう一つの事実だと、言う言葉を使って反論する。ここに何があるのか、僕はここにあるものは「荒み(すさみ)」だと思う。人間とこの言葉と言うものを嘲笑う「荒み(すさみ)」ではないか。

SOBA:↑辺見さんの上記部分をもう少し詳しく書くと「トランプの就任式に集まった人間は史上最大であったと大統領の報道官が言う」はショーン・マイケル・スパイサー(英: Sean Michael Spicer)大統領報道官、その発言を「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」と言ったのはドナルド・トランプ大統領顧問/カウンセラーのケリーアン・エリザベス・コンウェイ(Kellyanne Elizabeth Conway)。ケリーアン・コンウェイはその後も色々物議を醸してますね

46分2秒〜、 先程話したように1983年から84年までアメリカで暮らしましたけれども、その頃ジョージ・オーウェルの『一九八四年』、今もすごく売れてるらしいですけれども、普通のスーパーでもオーウェルの『一九八四年』が売れてました。初めてではないんですけれども、今すごく売れてるらしいです。その事をどうしても考えざるを得ない。オーウェルが描いた『一九八四年』の世界と言うのは、ビッグブラザーと言う党があって、もちろん一党支配なわけで、街中にスローガンが書いてある。1950年代くらいに84年と言う未来について書いたものかと思うくらい、本当に先見の明というよりも予感力と言うかオーウェルの予感力には舌を巻かざるを得ないと思うのですが、いまだに通用するスローガンであり、あるいはパラドックス、逆説であり。例えばそのスローガンにはどう言う事が書いてあるかというと、「戦争は平和である」「自由は屈従である」と書いてある。私が取り分け興味があるのはこの言葉、「無知は…」無知というのはものを知ると言うことを拒むと言う意味も、知らされない、英語で言うとignoranceなわけですけれども、「無知は力である」と言うこの三つ目の「無知は力である」と言う言葉に私は「なるほど」と思うわけです。今もそうじゃないかと思っている。無知が、ignoranceって言うのが絶大な力を持ち始めていると言える気がする。街中のいたる所にビッグブラザーと言う党が「あなたを見守っている」と、「Watching you!」と書いている。ここで非常に面白いのは、ぞっとするぐらい面白いのはじゃあこのビッグブラザーの目的は何かと言うと「中層階級(中間層)が下層階級(貧困層)を味方につけて上層階級を倒す事態を永久に防いで、不自由と不平等を恒久的なものにすることを目的にする」と。これは恐らくマルクスを多少は読んだ人じゃないとこう言う問題意識は出て来ないと思う。問題はマルクスが着目したのは中間層と言う存在です。中間層と言うのは資本家あるいは支配階級とプロレタリアートの間に立ってどちらかに揺れる、罪の意識に左右されて揺れると言う風な存在だったわけです。『一九八四年』には、その中層階級ってのは下層階級を味方につけて上層階級を倒す事態を永久に防ぐわけです。つまりこのビッグブラザー達が何を防いでいるかと言うと「階級闘争」、「貧者達が団結して支配階級、資本家達を打倒する」と言う運動を内面から崩していく。ビッグブラザー(党が)「It's Watching you!」、いつもお前らを監視していると言う訳です。

51分37秒〜、トランプの登場は革命なのか反革命なのか。もっと具体的に言うと彼は労働者階級の味方なのか敵なのか。性急にこの答えを言うべきではないと思う、でも私は直観的には言える「トランプの登場は明らかに反革命ではないかと思う。それから彼は労働者階級の敵だと思う」。ただこんな単純な答えでは済まないくらい今の言説の世界は揺らいでいる。例えば皆さんもご存じの、正義の味方と考えられているオリバー・ストーンは最近になってトランプを全面的にではないけれども、擁護しつつある。彼のいわば内政に比重を置く、例えば無駄な軍事費を削減する、ないしは他国に介入する介入主義って言うものをとらない、と言う意味でオリバー・ストーンと言うオスカーをとった監督がトランプを擁護し始めている。これもまた2017年と言うものの大きな混乱、大混乱、価値の大混乱を象徴するような出来事ではないかと私は考えている。但しですね、このパンデミックって私は言いましたけれども、価値のパンデミックっと言うものは歴史的に今になって初めて、トランプの登場によって起きたわけではない。我々は30年代にもこう言う経験をしている。感情が物事を決める、意趣返しのようにエスタブリッシュメント言うものに敵対していくと言う時代というのを我々は経験していると思う。私が『1★9★3★7』のようなものを書いた理由は、やはりトランプ的なものの登場をたぶん私が予感したからではないかと思っている。

54分40秒〜、『1★9★3★7』を書いて、何よりも自分で自分を傷つけてしまった感じがする。『1★9★3★7』を書いていて痛切に思ったことが幾つかあって、先ず第一点「私はものを知らないな」と言うこと。もう一つ、実時間リアルタイムとは何なのかと言うこと。「実時間にあって人はいったい何をどういう風に判断し、予感しうる、予感し得たか。どう行動し得たか」と言うことを何度も何度も何度も考えた。それからもう一つは日本とは何かと言う事も何度も何度も考えました。随分いくつかの国を旅し、あるいはそこに常駐もしたりしたわけですが、やはりこの日本と言う国は僕には極めて特殊な価値空間であると言わざるを得ないわけです。

56分57秒〜、堀田善衛の『時間』。

1時間3分47秒〜、武田泰淳の短編小説『汝の母を!』(日本ペンクラブ電子文藝館で

1時間25分〜、トランプの話しに戻り、難民と米国、米軍の「おぞましさ」について。

1時間30分5秒〜、ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky、1928年12月7日 - )「歴史と言うものには世界的な同時性がある」「歴史と言うものには不思議な反復性がある、完全に同じではないけれども相似的な反復性がある」

1時間35分32秒〜、かつてフランスから中米に渡りカストロやゲバラと革命運動をやったフランスのレジス・ドゥブレ(Régis Debray, 1940年9月2日 - )学者・思想家が1994年に言った言葉で「今何が終わろうとしているのかは分かる。しかし、何が始まろうとしているのかは正直分からない」

1時間51分32秒〜、今日どうしても言いたかったのは(ジョージ・オーウェルの『一九八四年』の話しに戻り)ビッグブラザーは「It's Watching you!」党はおまえ達を見てる、ケアするんだよと言う言い方にも聞こえるが、実はおまえ達の内面を見てるんだよと、と言った含意でオーウェルは書いたと思う。それはまさに共謀罪、いま(安倍が)一所懸命やろうとしている共謀罪の成立ではないかと思う。共謀罪が何を狙っているかと言うと外形ではなくて内面であります、内面に入ってこようとしている。何を考えるか、つまり既遂の事ではなくてこれからやるかも知れない、ただ頭ん中で考えたようなこと、たとえばボードリヤールと言うフランスの思想家・哲学者が『パワー・インフェルノ』と言う本を書いた。その中で有名なせりふがあって9・11のほどなくして書いたのだが「実行したのは彼等だが、それを望んだのは私たちだ」と。ここには重大な示唆がある。共謀罪に関しての、あるいはジョージ・オーウェルが書いた『一九八四年』に関わっても大きな示唆がある。「実行したのは彼等だけれども、内心望んだのは私たちだ」と。と言うのはこれは我々の言説として我々の会話として言い得るわけです。これは何ら問題ではない。内心でイメージするのは自由だと。今やこの自由が剥ぎ取られようとしている。それが共謀罪であり秘密保護法。これはアメリカの反テロ法のやり方を真似したやり方だと思う。これが現時点のあの方の(安倍の)支持率からすると通りかねない、通ってもおかしくはないと私は思っているし、もう現時点で我々は内面のでやられてるんじゃないか、外形だけではなくて内面も相当に圧迫されてるんではないかと私は考えている。やっぱり共謀罪、テロ準備法ですか、名前を変えてそう言えば通るんじゃないか、通ると言わんばかりに今出して来ているこの共謀罪と言うものには、私が言うまでもないでしょう、皆さんも相当な危機感を持っておられるのではないか。我々の飲み食いする生活、衣食住に直接は関係ないかも知れないけれども、見えやしない不可視の領域だけれども内面に入ってこられる、内面まで入って来ている世界と言うのは2017年、すなわちロシア革命後100年、南京大虐殺後80年の現在ではないかと私は考えている。

1時間58分20秒〜、かつてスタンレー・ミルグラムと言う心理学者がある人の言葉を引用して不気味なことを言っているのですけれども、真理だと思うんです。「人類の長い陰気な歴史を考えた時に、反逆・反抗の名の下になされた忌まわしい犯罪より、服従の名の下に行われた忌まわしい犯罪の方が遥かに多い」、これは事実だと思う。実はテロ、テロと言うけれども、テロよりも現実に行われている国家犯罪の方が遥かに多いと言う事に気づかざるを得ない。どこに自分の思考の拠点を置くか、前に戻りますけれども先ほど話したあの殺された親子を思考の、無限同心円の中心に置いて考えるわけです。今の世界と言うものを混乱に混乱を極めて、動揺に動揺を重ねている、どうなるか分からない、来るべき戦争をも予感させる今の世界と言うものを最も低い視線から眺めていたい。その低い視線というのは、無用なもの、役に立たないもの、その視線から考えていく。無用なもの、役に立たないものを尊重する。無用なもの、役に立たないもので自分もありたいと思うわけです。今取り敢えず我々がもう既に予感どころか確信しているのは、あらゆる国が例外なくできつつあるのが、国民国家と言われている国が例外なく強固にしつつあるのは、どう言う国づくり、間違いなくできているのは警察国家であります。そして相互監視って言うものが既に到来している。そこの中で我々が歴史と世界と言うものを語る時の視線、目のおきどころと拠点は最も低い、無用なもの、役に立たないとされるもの、排除されるもの、例えば重度障害者、19人が、あの事件を僕は非常に気にしていますけれども、あれはある種のテロと言ってもいい、しかも教唆された、唆されたテロと言ってもいいんではないか。それを全体として予定調和のように、出来事の性質と規模の大きさに似合わない形で不当に低く報道されている。そこに僕らはもっと注目した方がいいと私は思う。ぜひ皆さんと今後起きるべき共謀罪の成立については神経質になって拒否していく事が必要ではないかと思いますし、それから最も低い視線から世界を眺めていく以外にないのではないかと考えています。たぶん起きるであろう戦争を起こらない事を願いつつ、祈りつつ私の講演をここで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

SOBA:辺見さんが上記言及している「相模原障がい者殺傷事件」で辺見さんの寄稿記事と私事片々。また講演の30分〜に出てくる「post-truth」、同じく44分27秒〜に出てくる「alternative facts」キーワード関連でトランプ就任式での観衆をキャプチャ画像を使っての検証
また「post-truth」「alternative facts」キーワード関連で八木啓代さんのブログエントリー「トランプにババをひかされるのは誰か?」をリンク紹介。トランプ関連で田中 宇(たなか さかい)の国際ニュース解説からそのなど。

講演終了後、演壇上で落款サービス中の一コマ。
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数打ちゃあたるで50枚ほど撮りましたが、
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手前の人に遮られたり、ピンぼけだったりぶれたりで、ちゃんと撮れたのは9枚だけ。
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こころの時代 父を問う――いまと未来を知るために
辺見庸1937
お散歩
http://www.dailymotion.com/video/x5qfc8j

辺見庸1937 投稿者 osanpodeonigiri

SOBA:[Eテレ]2017年3月12日(日) 午前5:00~午前6:00(60分)の放送

最初〜4分17秒の所で字幕が流れている地震は、放送直前3月12日4時57分頃の震源福島県沖の地震

動画の19分25秒〜「さらば蘇州よ わが二等兵記 ② 白崎浩(辺見氏父上のペンネーム)」『石巻新聞』1956年(昭和31年) スクロールして見るなら
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1956年(昭和31年)4月6日(金) スクロールして見るなら
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スクロールして見るなら
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スクロールして見るなら
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動画31分20秒〜の2016年12月6日『1★9★3★7』城山三郎賞受賞関連。
第3回「城山三郎賞」受賞作決定!!
片山善博選考委員の< 第3回選評 >

 

SOBA:『1★9★3★7』関連で目についたブログや記事など。なお参考で、ぜひ見て欲しい日本ニュース(大本営発表で検閲済み国策映像)に出てくる大阪での防空訓練

湘南のオアシスから 辺見庸『1★9★3★7』

74.辺見庸「父を問う」(NHKの番組)について(その1)

75.辺見庸「父を問う」(NHKの番組)について(その2)

57.講演会(1月30日)のこと

 

侵略戦争の責任を裁かないニッポン人の罪
2015年12月13日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/171608
Internet Archive 

「1★9★3★7(イクミナ)」を書いた 辺見庸(へんみ・よう)さん
2015/12/13
http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books_visited/2-0036174.html
魚拓 

始めに戻る


 

完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


 

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


 

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 


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2017年1月 1日 (日)

辺見庸 (12/28)日録 私事片々 2016/12/28〜から全保存 雑談日記Archive

 2016年(12/28)日録が私事片々(2016/12/31)のアップ後、2017年元旦の夕方5時頃削除されたので私事片々を今までと同様、アーカイブ保存しておきます。

 なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。今回は1エントリー。

 辺見さんが激怒した朝日記事のコピーも追加アップ

 

2016年12月28日
日録
http://yo-hemmi.net/article/445326934.html

私事片々
2016/12/28~
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テラスの葉.jpg 2016年12月29日

木星と真珠湾

友人が家族と早朝に、望遠鏡で木星をみた。「巨大で、どっしりと輝き…」というメールがきた。しま模様と、イオ、エウロパなどの惑星もみえたという。わたしもみた気になる。みた気になるのとみたのとでは、あまり大きなちがいはない。こちらは視床痛にうなりながらテネシー・ウィリアムズの短篇。くりかえし、くりかえし。焼き火箸を右肩に突き刺される。まいどおなじみの、そんな痛み。目がかすむ。

焼き火箸…そうとしか形容しようがない。といったって、この比喩にもあきてきた。さりとて、焼き火箸を焼きごてにかえたら、ちがうのだ。どうしようか。激痛のなかでも、なごむことにはなごみ、はらだたしいことははらだたしい。あのおとこのことなんか口にすべきじゃない。ことばを舌にのせただけで、吐き気がしてくる。あのおとこと仲間たちなんぞこの世に存在しないものとして、ひとり激痛をいためばいいのだ。

ともあれ、ニッポン・ナンバー1の恥知らずはいったものだ。手下が米国側と相談してこしらえた、安っぽいflowery wordsを、恥ずかしげもなく。

「耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い静かな入り江。私のうしろ、海の上の白いアリゾナ・メモリアル。あの慰霊の場を、オバマ大統領とともに訪れました。そこは私に沈黙をうながす場所でした。亡くなった軍人たちの名がしるされています。祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、さまざまな地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを2つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で死んでいった。75年がたったいまも、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。あの日、日曜の朝の明るくくつろいだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の幸せを祈る声。ひとり、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や恋人がいた。成長を楽しみにしている子どもたちがいたでしょう。それら、すべての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は言葉を失います」

このばあい、いわゆる「盗人たけだけしい」というのではない。あまりにも白々しいのだ。あくどいまでに、白々しい。「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス。朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」と、開戦の詔書をはっした戦争犯罪人をそもそも処罰していないではないか。「降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い静かな入り江」……そらぞらしいレトリック。ありがたがって全文を載せる新聞。

私は言葉を失います、だと?パールハーバーのまえ、「皇軍」は中国でなにをやったのだ。人類史上じつに特筆すべき規模の(ISも顔負けの)残虐な殺りく、強姦、略奪、暴行、放火を、長期にわたりつづけたのはだれだ。ほしいままの斬首。生きた中国人への、銃剣をもちいた刺突訓練、おびただしい捕虜たちにたいする機銃掃射。私は言葉を失います、だと?言葉を失うとは、きみたちの無恥と無神経についていうことだ。

「先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」として、歴史認識をめぐる争論に終止符をうつのがこのひとの信条らしい。「…若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の幸せを祈る声。ひとり、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や恋人がいた。成長を楽しみにしている子どもたちがいたでしょう。それら、すべての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は言葉を失います」…ウソをつけ!これはまず中国にたいし、かたるべきであった。

あのおとこたちのかたりも身ぶりも、“post-truth”の時代の空っぽの象徴なのだろう。歴史修正主義よりもさらに空洞化し劣化した真実(事実)なき時代。「脱-真実」の政治、社会、人間関係。やめよう。あのおとこたちをかたるのは。あのおとこはすこしも斃されていない。どころか、勝ちつづけている。その責任はわたしにもある。またテネシー・ウィリアムズの「片腕」でも読もう。ひっどい翻訳だけど、新聞よりはまだマシだ。友人によってみられた早朝の木星のしま模様についておもおう。(2016/12/28)

SOBA:↑辺見さんが上記言及している「“post-truth”の時代」についての記事を採録

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ふじ.jpg 2016年12月29日

死刑インタビュー

ダフネ西口店。さかゑさんとJSF。さくっとトイレで。けふからだとかんちがいしていたが、歳末謝恩割引きは明日と明後日だった。損した。数日前、朝日新聞社会部記者のインタビュー。テーマは「確定死刑囚」。このことばがきらいだ。死刑は「確定」させてはならない廃止すべき制度であるいじょう、「確定死刑囚」と言うのはおかしい。だるいインタビュー。あのなあ、だるいんだよ。記者、コージーコーナーのクッキーをみやげ(というのだらうか)にもってきた。

さっきメールがきた。記事は明日30日の朝刊掲載だと。41年間拘禁中で、げんざい、がんの痛みとたたかっているおとこについて、問われるままはなしたのだ。若い記者のおもいが那辺にあるか、はかりかねた。はかろうともしなかったのだが。切迫はしていないのだ。年末に死刑関連記事を載せるだけマシだとおもわなくてはならないのかもしれないな。だが、やはりそうとは得心できない。なにも期待などできない。期待しない。

化石のような「正義」のがわにくみする(ふりをする)ことの、いわばささやかなアリバイ証明なのだろう。翌日、翌々日の紙面には、おさだまりの皇室礼賛記事が載るのだろうから。死刑も皇室も新聞記事も、ほんとうはすぐれて身体的、肉体的なことだ。危機的なまでに身体的だ。ルーティンですむわけがない。先日、コージーコーナーのクッキーを食った。450円くらいだろうか。チープな味。インタビュー料のつもりなんだろうか。

インタビューの途中で急に帰りたくなったのね。ところが足がうごかず。記者のうでにつかまる。たすけてもらう。そうしてかれにつかまってアパートに帰った。以上、数日前の話。けふ、ダフネ西口店にいくのに小一時間かかった。一寸刻み五分刻み。汗みずく。もう命がけさ。やるかやられるか、だよな。ひさしぶりにエベレストにのぼった。なんとかのぼれた。(2016/12/29)

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絞首刑.JPG 2016年12月30日

コージーコーナーのクッキーとけふの朝日新聞記事について

強風。カメの速度でダフネ西口店へ。のどがひりつく。つんのめる。2、3日まえから、また硝子体出血。右目に黒いマクがかかっている。歩けねえし目もみえねえ……なんて、いまさら呪わないぜ。歩きつつ、つぶやくのさ。「格物致知」「なんまいだぶ…」「 死にゆき、死にゆき…メギドの丘」。鈴木店長、さかゑさんらにあいさつ。ことしもほんとうにお世話になりました。来年もよろしくね。JSFもJHFもせず。

けふの朝日新聞朝刊社会面。あきれたよ。「死刑囚増 収容長期に」「今年3人執行 高齢化も課題に」の見だし。なにが言いたいのだ。書いたのは、東京本社社会部、法務省「法曹記者クラブ」所属のK記者。数日前、コージーコーナーの安物クッキーを持参してインタビューにきた、マジ、公安の手先風の、なんだかあやしい若いおとこ。いるんだねこんな野郎が朝日に。つきあったこちらもウカツだった。なんだよ、このクソ記事は?

2時間以上ひとに話させ、メールによる追加取材への対応をふくめ、計5時間をもついやしたのだ。K記者および東京本社編集局長よ、この5時間をきちんと返してもらおうじゃないか。わたしはある死刑囚の現状について、体調のわるいなか、知っているほぼすべてを必死で話した。かれの内面におよぶことも話した。K記者よ、それがきみの取材目的とちがっていたのなら、そのばでわたしにそう告げるべきではなかったか?

おびただしいひとの死がかかわるこの記事のいったいどこに、記者の魂があるのだ。怒り、悲しみ、苦悶がどこにあるのだ。わたしはこんな扁平な駄文、両論併記的記事のためにインタビューに応じたのではない。このような苦しみの痕跡もないクソ記事なら、協力するひつようはなかったのだ。わたしの大事な5時間を返せ!ついうけとってしまったコージーコーナーのクッキーを朝日新聞東京本社に投げかえしてやるから、貴重な5時間を返せ!

殺した者、殺された人びと、遺族たち、これから絞首刑を執行されるかもしれぬ人びとのことをかたるのは、そしてそれを記事にするのは、K記者よ、その所属長よ、きわめて、きわめて重くつらいことだ。記事の巧拙を言っているのではない。書き手の「魂の在りか」について問うているのだ。原稿には、どうあれ、書き手の心根(こころね)がどこかににじむものだ。この記事はよくない。まったくよくない。まるで詐欺である。取材対象たるわたしたちをうらぎっているだけでなく、死と死刑の本質を冷笑しているかのようだ。

インタビューで言及した死刑囚は、獄中で(黒塗りされていなければ)この記事を読んだだろう。そして、1行かそこらしか載っていないわたしの片言隻句をみて悲しんだにちがいない。申し訳ないとおもう。この記事にはわたしの発言と真意がまったく反映されていない。K記者よ、その所属長よ、わたしの5時間を返してくれ。インタビューを録音したテープとメールのやりとりを読者に公開し、該当記事ときびしく照合せよ。なんたるちがいか!

K記者よ、所属長よ、わたしもかつてバカ記者だった。ふるい、ふるーいその経験から言うなら、これは論ずるひつようもない、たんじゅんにぶん殴られてもいたしかたのないケースじゃないか。「法曹記者クラブ」なる権力の臭えケツの穴でぬくもっているばかやろう!ケツの穴からでてこい。わたしは身障2級だが、左手はまだつかえる。左手でぶん殴ってやる。加勢はいらない。ひとりでやる。ウェスタンラリアットをかます。頭突き(パチキ)もできるぞ。おまえらはいくらでも法務省に泣きつけ。

エベレストにのぼった。(2016/12/30)

SOBA:↑辺見さんが言及している朝日記事のコピーを採録

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マグドナルド.jpg 2016年12月31日

「ぶん殴る宣言」実行のため自主トレ開始

朝日新聞東京本社社会部・(法務省)法曹記者クラブ所属記者にたいする「ぶん殴る宣言」実行のため本日、自主トーニング入り。きのうは、総合格闘技の経験のある友人から、絞め技、関節技、落とし技などを伝授したいとの申しであるも、ことわる。これは私怨でも公憤でもない。最低限の作法だ。個人的作法の問題にすぎない。最低限の作法とはなにか。いいかげんな記者は、ゴチャゴチャ言わず、言わせず、鼻面に左ストレートを1発きめるということだ。

昨日の朝日朝刊社会面にのった死刑囚関連記事に協力するために、おれはここまでのめのめと生きてきたのではない。記者はインタビューの目的と趣旨をなにも言わなかった。問いたださなかったこちらにも問題はある。かんちがいしていた。年末に死刑執行があるかもしれない、というなんらかの内部情報をもとに、死刑反対論者であるわたしに取材しにきたのだと。これは真剣に応じなければならないとおもい、他のスケジュールを後まわしにして、電話の翌日にK記者に会った。

どろんとした目にいやな感じがした。やめにしてすぐ帰ればよかったのだ。機敏にくびすをかえすということが身体的にむずかしくて、いつづけた。トランプの登場、極右の台頭などで世界中が乱暴になってきている。再審請求やこれまでの法的慣行を無視した、いわゆる〝大物〟への死刑執行(の強行)も今後はありうるのではないか。そうしたとしてもこのクニの世論の大方は反対せず、死刑を大いに支持しつづけるのではないか。天皇制をねっしんに支持するように死刑をせっきょくてきに肯定するだろう・・・。そのような脈絡のことをダラダラとしゃべった。記事にはされていない。

「いやな感じ」がどんな感じかうまく言えない。公安くさいというのか、挙措、目のくばりがうさんくさい。話させておきながら、話をねっしんに聴いているようすはない。記者が当局に協力するのはよくあることだ。取材で知りえた情報を記事化せずに(あるいは記事化するまえに)当局にタレこみ、ひきかえにネタをいただく。めずらしいことじゃない。しゃべっているじぶんがだんだんいやになってくる。共感されているか、されていないかくらい、バカな犬にだってわかる。

ある死刑囚の身体的苦境・危機についてもかたった。手ごたえはなし。なんというか、鈍感なのか。おうへいなのか、なめているのか、ずうずうしいのか、みくびっているのか。記者や自称ジャーナリストというやからにありがちの厚顔。知ったかぶり。ぶん殴りたくなる。だが、こちらは椅子から立つにもひと苦労なのだ。クソ記事は予感していた。どころか、このおとこを公安か公安の関係者ではないかと昨日までうたがい、いまも汚水を浴びたような不快感がのこっている。やめよう。こちらの不明と油断なのだ、問題は。

インタビューのまえに、ひとしきり本を読みなおし予習した。『棺一基』も『殘の月』も『友へ』も。いくども読んでいるのに、また胸をつかれた。わたしはかれについて「高潔な人物」と記者に言った。むろん、それも記事にはない。あるはずもない。あの記事は読みようによっては、死刑執行をぐずぐずためらっているから、いわゆる確定死刑囚が滞留し増加する・・・と、とれないこともない。めいかくな死刑制度反対の意思が原稿に貫徹していないからだ。なぜわたしにインタビューしたのか。なぜわたしは応じてしまったのか。

俳句をところどころにあしらった記事のつくりは、ETV特集「辺見庸 ある死刑囚との対話」をまねたものだろう。あの番組がどれほどの時間と労苦をそそいだものか記者は知るまい。だから記事が無機質なのだ。いや、もうやめよう。あの記者、金子君は、ほんとうはすごくいいやつかもしれないじゃないか。だれがいいやつで、だれがわるいやつかなんて、きょうびわかったもんじゃない。ぶん殴ってやる、なんて軽々しく言っちゃいけない。だがね、あいつをみつけたらね、やはり、ぶん殴ってやる。

マック東口店。ダブルチーズバーガーとカフェラテ。口がしびれるけども、すぐには死にゃあしないさ。エベレストにのぼった。来年もまちがいなく大震災とテロがあり、また何人かが絞首刑で殺され、「花は咲く」がうたわれるだろう。(2016/12/31)

SOBA:↑辺見さんが言及している朝日記事のコピーを採録

辺見さんが言及している、大道寺将司(だいどうじ まさし)句集の『棺一基(かんいっき)』『残の月(のこんのつき)』『友へ

関連:(02/29)『残の月』 で紹介されている俳人宇多喜代子さんの書評(共同通信配信)pdf。

  

 ↓以下、辺見さんが私事片々(2016/12/28)で言及している「“post-truth”の時代」についての記事。斎藤貴男さんの「二極化・格差社会の真相 嘘が正義となって煽られる無残な時代」。記事をスクロールして見るなら

https://twitter.com/Trapelus/status/813659287494881283

  

↑↓斎藤貴男さんの記事中出てくる、ポール・クルーグマン氏の記事。NYTでの元記事も採録

トランプ氏勝利で恐れおののく米国人へ クルーグマン氏
2016年11月17日08時51分
http://www.asahi.com/articles/ASJCJ4PWXJCJUPQJ005.html

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ポール・クルーグマン氏 米プリンストン大教授 ノーベル経済学賞

■米経済学者ポール・クルーグマン氏のNYタイムズコラムから

 さあ、私たちはいま、何をしたらよいのだろう? 「私たち」とは、左派から中道派、さらには右派まで、ドナルド・トランプ氏を過去最悪の大統領候補と考え、ほかの市民も大多数が同じ意見だろうと思っていた人たちのことだ。

 政治戦略を見直そうと言っているのではない。それは、また別の機会にすればいい。なにしろ、私を含めた中道左派のほとんどはこれまで、どうすればうまく有権者を説得できるのか、糸口をつかめないでいた。さしあたり、このひどいショックに個人としてどんな態度を取り、どう振る舞えばいいのかを話したい。

 まず、思い出してほしい。選挙とは、権力をつかむ人を決めるものであって、真実を語る人を決めるものではない。トランプ氏の選挙運動は、かつてないほど欺瞞(ぎまん)に満ちていた。このうそは政治的な代償を払うことなく、確かに多数の有権者の共感をも呼んだ。だからと言って、うそが真実に変わることはない。大都市のスラム街は記録的な犯罪が起きている戦闘地域ではないし、米国は世界一税金が高い国ではない。さらには、気候変動は中国人が言い立てているデマではない。

 トランプ氏を支持するような右翼の一派の世界観にもいくらかの真実があるかもしれない、と譲歩したい誘惑にかられても、譲ってはならない。どれだけ大きな権力の後ろ盾を得たとしても、うそはうそだ。

 理知的に正直に考えれば、だれもが不愉快な現実を直視しなければならない。つまり、トランプ政権は米国と世界に多大な損害を与えることになる。もちろん、私が間違っている可能性もある。トランプ氏は大統領になったらひょっとして、私たちがこれまで見てきた男とは見違えるのかもしれない。およそあり得ないとは思うが。

 残念ながら、最悪の4年間にとどまる話ではない。今回の大統領選の結果がもたらす悪影響は、今後何十年、ことによると何世代も続くだろう。

 とりわけ、気候変動の行方が懸念される。ことは重大な局面にあった。温室効果ガスの排出量に関する重大な世界的合意に達したばかりで、米国は再生可能エネルギーへの依存を大幅に高めるよう明確な政策方針を採った。それが、おそらく白紙に戻される。損害は計り知れない。

 政治的にも、はるか将来まで損害が及ぶかもしれない。とんでもない人たちが連邦最高裁判事になると見込まれ、各州政府は有権者をもっと抑圧できるような権力を持つだろう。最悪の場合、陰湿な人種差別が米国全土で標準となる可能性がある。

 市民の自由も心配しなければならない。ホワイトハウスはまもなく、明らかに権威主義的な衝動を持つ男に占有される。そして、議会を支配する政党は彼に抵抗するそぶりを見せていない。どんなひどいことになるのか? だれにもわからない。

 短期的にはどうか。私は最初、トランプ氏の経済政策である「トランポノミクス」は、ただちに経済危機を招くだろうと思った。しかし、数時間熟考して、この直感は間違っているだろうとの結論に達した。

 トランプ氏の政策は、彼に投票した人々を救済することにはならないだろう。それどころか、支持者たちの暮らしは、かなり悪化すると思われる。しかし、このことは徐々に時間をかけて明らかになる。新政権の政敵は、自分たちの正当性が近いうちに明白になるなどと期待しないほうがいい。

 では、私たち米国民はどうしたらいいのか? 心配し、恐怖におののく市民として、何をすべきなのか? 一つの素直な対応は、沈黙することだろう。政治に背を向けることだ。次のように結論づけるのは確かに魅力的だ。世界は地獄へ向かっているが自分にできることは何一つない、ならば自分の庭の手入れだけしていればいい、と。私は「その日」以降の大半はニュースを避け、個人的なことに時間を費やし、基本的に頭の中をからっぽにして過ごした。

 でも、それは結局、民主主義国の市民――まだそうであると思いたい――の生き方では決してない。米国民全員が抗議行動に身を投じて死のうとするべきだ、と言っているわけではない。だが、真実と米国の根本的な価値観のために立ち向かおうとせずして、自尊心を保てるなどとは、どうしても思うことができない。

 このような抵抗は、功を奏するのか? 保証はない。米国人は、いかに世俗的な人であろうと、特別な神の摂理が働く国の市民として自分たちを考える傾向にある。この国は、道を誤ることもあるかもしれないが必ず元に戻る道を見つけ、そして必ず最後は正義が勝つ、と。

 だが、真実とは限らない。これまでは、演説や文章が人の考えを変え、政治的行動主義が最終的に権力者を変えることもあった。歴史的な改革につながったこともあったが、もはや期待できなくなっている。おそらく、米国は特別な国ではなく、一時代は築いたものの、いまや強権者に支配される堕落した国へと転がり落ちている途上にあるのかもしれない。

 だが、免れようがないと言って、この状況を受け入れるつもりはない。受け入れたら、予言の自己成就になってしまうだろう。米国のあるべき姿へと戻るのは、だれもが予想するより長く険しい道のりだろうし、うまくいかないかもしれない。でも、やってみるよりほかに、ない。

(C)2016 THE NEW YORK TIMES)
(NYタイムズ、11月11日付 抄訳)

SOBA:NYTでの元記事も採録

 

SOBA:トランプについては、別の見方も。リンク先エントリで紹介されていた以下山田正彦氏の記事。

山田 正彦
1月6日 21:27 ·
https://www.facebook.com/masahiko.yamada.125/posts/1046049448854893

トヨタ自動車のメキシコ進出をトランプ大統領が批判。

私は前にもその怖れを指摘していたが、何故か考えて見た。長くなってしまったが最後まで読んで頂けば有難い。

元々トランプのメキシコの壁の本当の意味は、不法移民の阻止より、日本のメデアは報道しなかったが、関税の壁のこと。

20年前に締結された北米自由貿易協定は関税が撤廃されて、NAFTAは当初こそ自由貿易は国民を豊にすると持て囃された。

ところが今でもメキシコの賃金は5,3ドル、米国は23,5ドル約5倍の開きがあるのに、メキシコから米国に輸出するのは関税がゼロなので国内生産と変わらない。

米国の自動車メーカ-ビッグスリーは、激しい市場競争で利益を上げるには、メキシコに工場を移転、 逆に米国に輸出せざるを得なかった。

米国から2万の工場がメキシコに移転、デトロイト、ラストベルト地帯は惨状に陥ったが、それでも今なお工場の流出は続いている。

それだけではない。自由貿易は原則人の移動も自由になるので、米国に最低賃金の半分以下で働くメキシコから移民は、今も後を絶たない。

貿易で得たら利益は、一部の富裕層、多国籍企業に、米国国民の賃金は42年前の水準迄下がり、失業さらに深刻になっている。

日本も例外ではない。

TPP協定では、ベトナムと日本の賃金の差は50分の1なので、当然日本の自動車産業等はベトナムで生産して、関税ゼロの日本に輸出してくることになる。

私はTPPに賛成しているトヨタの労組に、名古屋もいずれ、デトロイトみたいになるぞと嚇かしたことがあったが、これが自由貿易の根幹なのだ。

トランプの勝利は米国国民がこれ以上自由貿易(TPP)を進めたら、いよいよ食べれなくなるとして、オバマにノーを突きつけた。

トランプは直ぐにフォードの新工場、空調大手のキャリアにメキシコ進出したら、米国内への輸出には35%の関税をかけると脅している。

フォードは小型車の生産をミシガン州で生産したら1台あたり14万円高くつくと言われている。アップルも中国での生産を断念した。

日本のメデアはトランプの口先介入だとしか報道しないが、米国大統領には議会の同意がなくても 関税を引き上げる権限がある。

しかも、NAFTA,WTOの離脱もほのめかしている。

トランプは、国民の生活が大事だとして、雇用を確保するために、国内での生産に回帰させる狙いが明白だ。

その為にはメキシコだけではなく中国からも45%の関税、日本も為替管理国として15から45%の関税をかけて来ることになる。

あまく見てはならない。これを保護貿易だと日本のメデアは非難するのみだ。

私には宇沢弘文先生がなくなる前に述べた言葉が忘れなられない。

「独立国は関税自主権を失ってはならない、日本は江戸時代の不平等条約から関税自主権を取り戻すのに日ロ戦争が終わる迄70年かかった」

米国もEUも、英国の離脱に見られるように自由貿易の弊害を目の辺りにして流れは大きく変わった。

外需ではなく、内需に経済成長の軸足を置いている。

トランプは夫婦で580万円の所得には課税しないと大幅な減税、国内での新たな投資には35%の法人税を15%にすると。

そして、痛んだ道路や橋に100兆円の財政出動をすると。

今、米国は空前の景況に沸いて株価は2万ドルを越えようとしている。

ところが、日本の安倍与党は二周遅れてサッチヤーの時代遅れの自由貿易の夢を追いかけている。

隣に韓国の失敗例があるのに。

私達は歴史的な時代の曲がり角に来ている。ここで進路を間違ってはならない。

  

追記:辺見さんが私事片々(2016/12/30)と(2016/12/31)で言及し、憤慨している朝日新聞12月30日朝刊。今日(4日)正月早々開館した図書館に行き、コピーしてきました。
 いやはや驚いた。朝日新聞 社会部記者金子元希の要約は要約なんてもんじゃない、辺見さんの言葉というより、金子元希自身の捏造した作文でしょう。朝日は金を払ってまでして読むような新聞ではない。部数減も当然。

記事を印刷したい場合は、クリックで画像を表示したら「Ctrl+P」(Macの場合は「コマンドキー+P」)で印刷。
(↓クリックで拡大 字が鮮明になります)スクロールして見るなら
20161230asahi

 以下文章の主語は大道寺将司、(「母の死後、」と言うのは母、大道寺幸子さんが2004年5月に亡くなった後)

母の死後、作家の辺見庸さん(72)と接見するようになった。辺見さんは「謝罪と悔恨、自らの死への覚悟が感じられる」と評する

辺見さんの発言部分がたったの32文字にもビックリしたが、内容がひどい。記事全体で、まるで刑の執行を早くやれと言わんばかりだ。朝日記者金子元希が要約した辺見さんの発言部分はまるで自死をすすめているようにも読める。「ただ、最近は」で始まる最後の段落だけがやや救いだが、それでこの記事全体のひどさがなくなるわけではない。

記事の3段落目に出てくる袴田事件について雑談日記で書いた、その1その2

 

追記(2017/01/05):その後、検索で探したら、Webでも朝日は記事を二分割にして出していた。紙の記事ではない部分が、ある(太字にしました)。やはり睨んだとおり、朝日新聞の記者金子元希は確信犯。以下記事はまさに「死刑執行どんどんやれよ」記事。念の為に書いておくと、僕自身は死刑制度には反対、死刑の代わりに終身刑の制度を作るべきと言う考え。(参考:「加害者は許せない だけど死刑には反対です  犯罪被害者の遺族として 原田正治さん」、「死刑の廃止に向けて「終身刑」を導入することの是非」)

死刑囚増、収容長期化進む 高齢化も課題
金子元希
2016年12月30日05時11分
http://www.asahi.com/articles/ASJDV43Y0JDVUTIL017.html
魚拓 

As20161229001761_comm 死刑執行状況の推移

 今年は3人に死刑が執行され、7人の死刑判決が確定した。法務省によると、26日時点で収容中の確定死刑囚は128人。厳罰化の風潮の中、10年前に比べると34人多く、確定から40年を超す人もいる。高齢で病気になる人もいるため、こうした死刑囚にどう対応するかが課題となっている。

死刑確定から30年、苦悩の五七五 連続企業爆破事件

 3月に岩城光英前法相が2人、11月に金田勝年法相が1人に執行した。執行3人は3年連続だった。

 刑事訴訟法は、判決確定から6カ月以内に死刑を執行するよう定める。ただ、「共犯者の判決が確定していない」「再審請求中」の場合は執行を避ける傾向にある。共犯者の公判で死刑囚の供述が必要になる可能性があり、再審請求が認められることもあるためだ。

 1966年に静岡県で起きた一家殺害事件で80年に死刑判決が確定した袴田巌さん(80)は第2次再審請求で14年に再審開始が認められ、釈放された(検察が即時抗告中)。収容中の128人のうち、94人が再審請求中だ。再審請求中の執行は、99年以来ない。

 市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」によると、収容中の死刑囚のうち、13人が確定から20年を超した。最長は66年に福岡市で起きた強盗殺人・放火事件の尾田信夫死刑囚(70)の46年。ついで、74年に神奈川県で起きた殺人事件の大浜松三死刑囚(88)で、確定後の収容は39年におよぶ。今年は2人が収容中に病死した。刑事訴訟法は死刑囚が心神喪失になった場合は執行の停止を定める。病状が悪化したときの明確な規定はないが、執行は慎重になるとみられる。

 死刑をめぐっては今年10月、日本弁護士連合会が「2020年までに死刑制度の廃止をめざす」という宣言を出した。これに対し犯罪被害者の立場からは、批判も根強い。「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」事務局長の高橋正人弁護士は「死刑は法で定められている以上、執行されるべきだ。制度のあり方は、当事者である被害者側の意見を聞いて考える必要がある」と話す。(金子元希)

 

関連記事。

日弁連の死刑廃止宣言から1カ月 執行に「ショック」
千葉雄高
2016年11月11日15時24分
http://www.asahi.com/articles/ASJCC332SJCCUTIL009.html

 法務省が11日、熊本県内の強盗殺人事件の死刑囚の刑を執行した。日本弁護士連合会が10月の人権擁護大会で、「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」とする宣言を採択してから約1カ月。関わった弁護士らは驚きの声を上げた。

1人の死刑執行 熊本強盗殺人の死刑囚 法務省

 記者会見した金田勝年法相は、裁判員裁判を経て確定した事件の死刑を執行したことについて「判決は、慎重な審理を尽くして言い渡すものと承知している。判断を尊重しつつ、慎重かつ厳正に対処すべきという観点から命令を出した」と説明。日弁連の宣言については「死刑の存廃に様々な意見があり、そのような意見の一つと考えている。国民の多数が死刑をやむをえないと考えており、廃止は適当ではない」と語った。

 「ショックだ。日弁連が何を言おうと執行は続けるという法務省の固い決意を感じる」。日弁連死刑廃止検討委員会のメンバーの海渡雄一弁護士は憤りを見せた。「死刑廃止国では、廃止の前に執行を停止した期間があり、まずそれを実現するのが目標。壁は高いが、宣言を機に死刑についての議論が活発化しているのは確かで、あきらめないでやるべきことをやっていきたい」と話した。

 宣言は、死刑判決が確定していた袴田事件で14年3月に再審開始決定が出たことなどが背景にある。日本に制度廃止を勧告した国連の会議が日本で開かれる20年までの死刑廃止を目指すとしている。関係者によると、日弁連は会長が法相に直接宣言を手渡したいと申し入れているが、なかなか日程が決まらない状態だったという。

 一方、犯罪被害者の支援に取り組む弁護士を中心に、宣言には反対の声も根強い。反対を表明してきた弁護士団体「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」の事務局長を務める高橋正人弁護士は「死刑廃止は立法の話で、日弁連が目指すと言っても廃止されたわけではない。死刑は法律で定められ、最高裁でも合憲とされている。淡々と執行するのは当然のことだ。日弁連は死刑執行後に毎回反対声明を出すが、法を守るなというのはおかしな話だ」と話した。(千葉雄高)

 

2016.11.11 13:17更新
「法律上、当然だ」死刑執行で弁護士グループが初の声明 死刑に否定的な日弁連会長声明は「弁護士の総意ではない」(産経)
http://www.sankei.com/affairs/news/161111/afr1611110025-n1.html
田尻賢一死刑囚の死刑執行を受け、記者会見する犯罪被害者支援弁護士フォーラムの高橋正人事務局長(左)ら=11日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ
Afr1611110025p1

(記事は略)

 

 辺見さんが私事片々(2016/12/31)で言及している、『ETV特集』失われた言葉をさがして 辺見庸 ある死刑囚との対話 2012年4月15日(日)22:00~23:29(NHK Eテレ)

 番組を紹介する2012年4月13日東京新聞(朝刊)の記事

 1時間29分のETV特集だが、↓下記YouTubeでは9が抜けていて合計で1時間18分18秒。

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK1
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=K5UxkVMkdj4

2012/04/18 に公開

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK2
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=XSg3oEQ5Ovw

2012/04/18 に公開

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK3
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=oELgiqoHFE8

2012/04/18 に公開

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK4
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=9WuobAXGwbI

2012/04/18 に公開

4分7秒の所から、大道寺の句「まなうらの虹崩るるや鳥雲(とりぐもり)」、荒川鉄橋、虹(にじ)計画、昭和天皇。

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK5
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=x98HBv6yUVs

2012/04/18 に公開

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK6
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=TARojRV4zeA

2012/04/18 に公開

1分24秒の所からが、4の動画の4分7秒の所からとダブっている。

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK7
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=9quh-bxPRI0

2012/04/18 に公開

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK8
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=khN2NpkocCw

2012/04/18 に公開

 

辺見庸「失われた言葉を捜して」4.15NHK10
hatikorobi さんのチャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=i7ksFQQh6WI

2012/04/18 に公開

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 以下、ポール・クルーグマン氏の記事の元記事。

Thoughts for the Horrified
Paul Krugman NOV. 11, 2016
https://www.nytimes.com/2016/11/11/opinion/thoughts-for-the-horrified.html?_r=0

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The Manhattan hotel where Donald Trump held his election-night party. Damon Winter/The New York Times

So what do we do now? By “we” I mean all those left, center and even right who saw Donald Trump as the worst man ever to run for president and assumed that a strong majority of our fellow citizens would agree.

I’m not talking about rethinking political strategy. There will be a time for that — God knows it’s clear that almost everyone on the center-left, myself included, was clueless about what actually works in persuading voters. For now, however, I’m talking about personal attitude and behavior in the face of this terrible shock.

First of all, remember that elections determine who gets the power, not who offers the truth. The Trump campaign was unprecedented in its dishonesty; the fact that the lies didn’t exact a political price, that they even resonated with a large bloc of voters, doesn’t make them any less false. No, our inner cities aren’t war zones with record crime. No, we aren’t the highest-taxed nation in the world. No, climate change isn’t a hoax promoted by the Chinese.

So if you’re tempted to concede that the alt-right’s vision of the world might have some truth to it, don’t. Lies are lies, no matter how much power backs them up.

And once we’re talking about intellectual honesty, everyone needs to face up to the unpleasant reality that a Trump administration will do immense damage to America and the world. Of course I could be wrong; maybe the man in office will be completely different from the man we’ve seen so far. But it’s unlikely.

Unfortunately, we’re not just talking about four bad years. Tuesday’s fallout will last for decades, maybe generations.

I particularly worry about climate change. We were at a crucial point, having just reached a global agreement on emissions and having a clear policy path toward moving America to a much greater reliance on renewable energy. Now it will probably fall apart, and the damage may well be irreversible.

The political damage will extend far into the future, too. The odds are that some terrible people will become Supreme Court justices. States will feel empowered to engage in even more voter suppression than they did this year. At worst, we could see a slightly covert form of Jim Crow become the norm all across America.

And you have to wonder about civil liberties, too. The White House will soon be occupied by a man with obvious authoritarian instincts, and Congress controlled by a party that has shown no inclination to stand up against him. How bad will it get? Nobody knows.

What about the short term? My own first instinct was to say that Trumponomics would quickly provoke an immediate economic crisis, but after a few hours’ reflection I decided that this was probably wrong. I’ll write more about this in the coming weeks, but a best guess is that there will be no immediate comeuppance.

Trumpist policies won’t help the people who voted for Donald Trump — in fact, his supporters will end up much worse off. But this story will probably unfold gradually. Political opponents of the new regime certainly shouldn’t count on any near-term moment of obvious vindication.

So where does this leave us? What, as concerned and horrified citizens, should we do?

One natural response would be quietism, turning one’s back on politics. It’s definitely tempting to conclude that the world is going to hell, but that there’s nothing you can do about it, so why not just make your own garden grow? I myself spent a large part of the Day After avoiding the news, doing personal things, basically taking a vacation in my own head.

But that is, in the end, no way for citizens of a democracy — which we still are, one hopes — to live. I’m not saying that we should all volunteer to die on the barricades; I don’t think it’s going to come to that, although I wish I was sure. But I don’t see how you can hang on to your own self-respect unless you’re willing to stand up for the truth and fundamental American values.

Will that stand eventually succeed? No guarantees. Americans, no matter how secular, tend to think of themselves as citizens of a nation with a special divine providence, one that may take wrong turns but always finds its way back, one in which justice always prevails in the end.

Yet it doesn’t have to be true. Maybe the historic channels of reform — speech and writing that changes minds, political activism that eventually changes who has power — are no longer effective. Maybe America isn’t special, it’s just another republic that had its day, but is in the process of devolving into a corrupt nation ruled by strongmen.

But I’m not ready to accept that this is inevitable — because accepting it as inevitable would become a self-fulfilling prophecy. The road back to what America should be is going to be longer and harder than any of us expected, and we might not make it. But we have to try.

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


 

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


 

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 


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