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2015年8月31日 (月)

2015年8月の小出裕章ジャーナルなど。

 毎月、月末に表示するようにしておきます。

前月のは⇒2015年7月の小出裕章ジャーナルなど。 

 

20150829 R/F #138「小出裕章ジャーナル」【原発は海温め装置?】
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https://youtu.be/m1d1kzpk-Mw

2015/08/29 に公開

~第138回小出裕章ジャーナル~
原発は海温め装置?「海の水をまず引き込んで、その水の温度を7度上げて海へ戻します。その流量が1秒間に70トン」

小出ジャーナル文字起こし全文はこちら
http://www.rafjp.org/koidejournal/no138/

ラジオ・フォーラム【公式】
http://www.rafjp.org/program-archive/138-3/

 

20150828 報道するラジオ「戦後70年~地図から消えた島 今も続く毒ガス被害」
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https://youtu.be/nbUJmszzpmY

2015/08/28 に公開

■2015年8月28日【金】 戦後70年~地図から消えた島 今も続く毒ガス被害

今週も戦後70年シリーズを放送します。
広島県の瀬戸内海にうかぶ「大久野島」。
800羽の野生のうさぎが生息していて、
最近では「うさぎの楽園」として観光客に人気があります。
そんなのどかな島に、
かつて日本最大の陸軍の毒ガス工場があったことをご存知でしょうか。
工場では、多いときで1000人以上が働いていましたが、
作業員の中には、毒ガスがあやまって体に付着し、
水疱ができるなどの被害をうけたり、
今も毒ガスによる後遺症に苦しめられたりしている人が
多くいます。
また、中国では戦後に毒ガス兵器が各地に遺棄され、
工事現場などで、毒ガスと知らずに掘り出して
被害をうける人が今も後を絶ちません。
今夜は、日本軍が密かに開発・使用した
毒ガス兵器の被害についてお伝えします。
ゲストは、中国の遺棄毒ガス弾被害についてくわしい
京都民医連中央病院の吉中丈志院長です。
ご質問のある方はメールかFAXでおよせください。

報道するラジオホームページ
http://www.mbs1179.com/hou/ 

 

20150822 R/F #137「小出裕章ジャーナル」【インドとの原子力協定】
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https://youtu.be/AGP3XsWkZ9c

2015/08/22 に公開

~第137回小出裕章ジャーナル~
インドとの原子力協定「再処理という力を持っているということは、核兵器を造れてしまうということが初めからもうわかってしまっているわけです」

小出ジャーナル文字起こし全文はこちら
http://www.rafjp.org/koidejournal/no137/

ラジオ・フォーラム【公式】
http://www.rafjp.org/program-archive/137-3/

 

20150821 報道するラジオ「戦後70年~戦争孤児」
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https://youtu.be/88bWjUD5EuY

2015/08/21 に公開

■2015年8月21日【金】 戦後70年~戦争孤児

70年前、戦争が終わっても、非常に厳しい生活を強いられた人たちがいます。
戦争で親を失った「戦争孤児」。
記録に残っているだけでも、12万人以上いたと言われています。
駅などで暮らしていた彼らが、どんな生活をしていたのか、
その後、どんな人生を送ったのか、証言は多くはありません。
70歳を超えて、孤児としての苦労を、初めて語りだした人もいます。
戦災孤児として京都で生活した奥出廣司さん(76)を、
千葉猛アナウンサーが取材しました。
ゲストは、戦災孤児の研究を続けてきた、
立命館宇治中学校・高校教諭の本庄豊さんです。
戦争孤児について、質問のある方は、メール・FAXでお寄せください。

報道するラジオホームページ
http://www.mbs1179.com/hou/ 

 

20150815 R/F #136「小出裕章ジャーナル」【核兵器と核燃料サイクル】
tacc77
https://youtu.be/ehPXqr_AK7U

2015/08/15 に公開

~第136回小出裕章ジャーナル~
核兵器と核燃料サイクル「もう国際的に言えば、日本は潜在的な核兵器保有国と言われてしまっているわけです」

小出ジャーナル文字起こし全文はこちら
http://www.rafjp.org/koidejournal/no136/

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http://www.rafjp.org/program-archive/136-3/

 

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20150814 報道するラジオ「戦後70年~安倍首相談話を読み解く」
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https://youtu.be/UEOu6NNSVJw

2015/08/14 に公開

■2015年8月14日【金】 戦後70年~安倍首相談話を読み解く

今夜6時に、安倍首相が戦後70年の談話を発表します。
世界から注目を集める談話はどんな内容なのか、
「お詫び」や「侵略」の文言は入っているのか、気になります。
また、これまでの首相談話とどう違うのか、
世界からどう受け止められるのかなど、
「報ラジ」らしい切り口で、速報でお伝えします。
ゲストは、ニューヨーク在住の国際ジャーナリスト・北丸雄二さんと、
在日コリアンで韓国の政治に詳しい大阪市立大学教授・朴一さんです。
お二人に質問のある方は、メール・FAXでお寄せください。

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http://www.mbs1179.com/hou/ 

 

20150808 R/F #135「小出裕章ジャーナル」【川内原発再稼働】
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https://youtu.be/vmPYCSZVJs4

2015/08/08 に公開

~第135回小出裕章ジャーナル~
川内原発再稼働「いわゆる自然現象というのは工学的な機械と同じようにはいかないので、思ったように予測というのはできないと考える方が適切だろうと思います」

小出ジャーナル文字起こし全文はこちら
http://www.rafjp.org/koidejournal/no135/

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http://www.rafjp.org/program-archive/135-3/

 

20150807 報道するラジオ「世界に届ける被爆者の声」
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https://youtu.be/llqZZv-wbcM

2015/08/07 に公開

■2015年8月 7日【金】 世界に届ける被爆者の声

広島と長崎に原爆が投下されて70年。
原爆の被害をもっと世界に発信しようと、
去年、京都外国語大学の国際平和研究所の中に
「被爆者証言の世界化ネットワーク」が設立されました。
世界化ネットワークでは、学生が中心となって、
広島と長崎の「国立原爆死没者追悼平和祈念館」が収集した
被爆者のインタビュー動画に、
英語や仏語、中国語など7か国語の字幕をつける活動を行っています。
今夜の報道するラジオでは、
京都外国語大学国際平和研究所の長谷邦彦客員研究員と、
学生2人をスタジオにおよびし、
被爆証言を世界に発信することの重要性について
お話をうかがいます。
ご質問のある方はメールかFAXでお願いします。

報道するラジオホームページ
http://www.mbs1179.com/hou/ 

 

20150801 R/F #134「小出裕章ジャーナル」【原子力の人材育成】
tacc77
https://youtu.be/x1Ol1LMojW4

2015/08/01 に公開

~第134回小出裕章ジャーナル~
原子力の人材育成「原子力を進めるための学問はもう止めるべきだと思います」

小出ジャーナル文字起こし全文はこちら
http://www.rafjp.org/koidejournal/no134/

ラジオ・フォーラム【公式】
http://www.rafjp.org/program-archive/134-3/

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※原発関連で3冊:

知事抹殺 つくられた福島県汚職事件 佐藤 栄佐久

隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ 小出 裕章

原子炉時限爆弾 広瀬 隆


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2015年8月23日 (日)

辺見庸 (日録7)私事片々 2013/12/11〜と、(日録8) 雑談日記Archive

 辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。

 

 以下、日録の8と7。

2013年12月21日
(日録8)

私事片々 
2013/12/21〜 
http://yo-hemmi.net/article/383248104.html

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だまし絵.jpg

・でかけやうとおもったけれども、結局、けふも家にこもった。エベレストには、すぃたがってのぼっていなひ。午後、ピンポンがなってモニターをみたらば、三田村さんが笑って手をふっていた。どうやってここがわかったのだらう。居留守をつかう。またピンポンがなる。やかましい。モニターをみたら、三田村さんがスカートをもちあげてパンツをみせようとピョンピョン跳ねていた。この〈事件〉の性質をわたしはどうにも位置づけることができなひ。こうして、生活のすべてを妨げ、なにも創造しない意味と風景のほうがきらひではなひのだが・・・。だが、わたひは無情にピンポンの電源を切った。おととひの菓子パン2個を、立ったまま、食す。さすがに味はおちている。にもかかわらず、いぬが「わちきにも、それ、くんなまし。あんさん、わちきにも、それ、くんなまし」としつこい。ふたきれあげる。犬、いとおよろこびになられて、パクつき、食しおへたばかりであるにもかかわらず、「わちきにも、それ、くんなまし。ね、だ、だんな、だんなったらぁ、わちきにも、それ、くんなまし」とひつこくせまる。もふ食べただらうといふと、犬「わちき、まーだ食べてません。あんさん、それ、おくんなまし」とくりかえす。それでわからなくなってくる。犬がニンチか、わたすぃがニンチか。どっちもヌィンチか。わたひのニンチをみこした犬=ビッチの、オレオレ詐欺的なやり口なのか。失見当識的に当惑していると、電源を切ったはずのピンポンがまたなり、モニター画面で、三田村さんが、この寒いのに、パンツを脱いで懸命にフレンチカンカンをおどっているではなひか。ピュービックヘアがふるふるふるへていた。なんてこった。わたすぃは一切のつたえられる〈事件〉を例外なく軽蔑すぃている。すぃかすぃ、三田村さんの所行には、善悪を貫通するかなしひ魂をかんじなひわけにはいかなかった。わたしには、かんがへることしかできないひ〈事件〉だけがあるのだ。てまえ大排泄1回、小排泄4回、犬、大排泄1回、小排泄2回。(2013/12/21)
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一昨日の影.JPG

・エベレストにけふ、のぼった。強風下2回。シダレヤナギの葉が右側の尾根に、切りおとされた無数の青いひと差し指のやうに、ちりつもっていた。友人が自殺に失敗した。らしい。昨夜知った。またやるだろう。そこここで、死はすでに、「状況」なんかより、よほど身近であり、もっとも正直だ。いまごろさかしらげに「状況」をかたるやつはマジ、ウザい。うそくさい。いざといふときが近づいているのだ。ひとはいざという間際に、急に悪人にかわる。わたしぃが言ったのではなひ。まったく文字どおりに、漱石が書ひている。だからおそろしい、油断ならなひ、と。金の話でごまかしてはいるが、むろん、金の話なんかじゃあなひ。いざという間際…とはなんだらう。と、いぶかるが、ププイ、いぶかるまでもなひ。大道寺さんからけふ、封書がとどいた。また黒塗りが1箇所あった。なぜかはわからなひ。ムッとする。ていねいにこの黒塗りをやったきみ、東京拘置所のひと(ブログ読んでますかぁ?)を、しかひ、わたすぃはあまり恨んでいなひ。わたひぃは、この刑務官より100万倍も、朝日はじめ各社の新聞記者や作家、詩人らをふかーく軽蔑する。宮内庁は、刑務官とくに絞首刑の執行にあたった刑務官たちこそ宮中にまねき、あつく労をねぎらひ、表彰すべきである。全員に勲一等旭日大綬章をあたへるべきである。新聞記者、テレビキャスターや作家、詩人らは、わざとらしひ善人面したのも、もともと悪党面、アホ面したのも、ならべていっぱつ延髄切りでええ。こんなときになんですけど、それがし、けふ大排泄1回、小排泄4回。犬、大排泄2回、小排泄2〜3回。友よ、いまは自殺にもあたひしなひ季節なのだから、首吊りはしばらくやめとけよ。命はもっと粗末に、ほったらかしにしやうぜ。なにもわざわざじぶんでやらなくったって、やっていただけるかもしんないだらう?(2013/12/22)
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底.JPG

・黄色いピーマンを食べた。牛乳をのんだ。コビトがきた。ダフネにいくとちゅう、路上のスズメたちと樹上のヒヨドリを見た。枯れ葉のしたには虫がいるの、とコビトが念波で言った。夢遊病者のようにエベレストにのぼった。おおむね晴れていた。しかし、「オリーヴ畑の上には/沈んだ空と、/冷たい星の光の/暗い雨。/燈心草と薄暗がりとが/河のほとりで震えてる」(ロルカ「風景」)がとてもよいとおもった。わたしにはけっして好みではないことをつい書いてしまう奇癖がある。なぜかはわからない。じぶんがわからないように、理由がわからない。ぬけだしたい。じぶんからじぶんがぬけだせないように、けっして好みではないことをまた書くのだろう。好みのことを書いているうちに、好みのことでなくなっていくこともある。コビトは静かだった。(2013/12/23)
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ともしび.JPG

・風邪。外出せず。エベレストにいちどものぼらず。「アプザイレン」。まだまだ調整がいるが、やっていると、あんまりはげしく疲れるので、気にくわないが、けふで一応の区切りをつける。越年したくなかった。明日、送稿する。(2013/12/24)
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モノクロ.JPG

・「ソビエトが頽れしのち残れるは過剰な右か穏健な右」という一首が、生沼義朗の第2歌集『関係について』(北冬舎)にある。なに言ってんだか、とおもふ。これよりは、「信教を持たざるゆえに教会には行かず精神科を訪いぬ」のほうが、とぼけていてよい。いや、とぼけるだけでなく、後者には「関係」に介在する、介在せざるをえない生身がある。「関係」についてかんがえるのは、「状況」をかんがえることだ。「状況」とは状況一般ではなく、わたしとわたしの身体との関係を、どれほどせつじつにかんがえるか、ということだった。頽れしのちのいまは、「状況」とは、おのれの生身のかかわることのない、他人事のような、状況一般のことだとおもわれているらしい。沖縄はだから、あっさり見すてられた。おのれという個体の生身のこととして、沖縄との「関係」が、いわゆるホンドで真剣におもわれたことは、ほとんどなかった。すべての「関係」はだからダメなのだ。「関係」とは、つきつめれば、〈生きるか死ぬか〉という地平での、血と肉と骨のかさねあい、こすりあいであったはずだ。この国は、という言い方はしたくない。この群落は、と言おうか。この群落は、けふ激変したのではない。むかしからいっかんして、右も左も、じつに卑怯な心性と卑劣な心性にもとづく「関係」を特徴としてきて、それはいまもまったくかわらない。沖縄は頽れたホンドからまだしも独立したほうがよかったのだ。そのために生身の「関係」はギラギラと暴力化せざるをえなかったはずのものだった。たくさんのからだたちによる〈暴動〉さえも、よぎなくイメージされてよいほどの事態だったはずだ。「関係」も生身も、あっさりうらぎられた。だれかのせいにするな。徹頭徹尾ダメなのは、ホンド、この群落のジンミンタイシュウである。わたしたちである。わたしである。きのふ、2013年12月16日づけの「朝鮮新報」が送られてきた。版元さえ、なんのために刊行したのか、たのむから買うなと言わんばかりに、売るのにことのほか不熱心な拙著『いま語りえぬことのために』の書評が載っていてビックリした。気合いのはいった書評であった。見出しにもまたギョッとした。「すべては手遅れかもしれないが…」。この書評には「関係」に介在する、命がけの生身つまり魂があった。懐かしい。わたしはかつて、在日コリアンの友人に手をだしたら、おれがただではおかない…という趣旨のことを言ったことがある。「関係」とはそういうものだ。いまも変わらない。けふ、エベレストにのぼった。(2013/12/25)
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・けふエベレストにのぼった。それだけがわたしの事実である。(2013/12/26)
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・あのゴロツキたちを、思念の全域からかんぜんにしめだすこと。それは最低限の作業だ。変哲もない無変化の衣装をまとった激変が、いま生じている。もう「戦時」と言ってもよいだろう。それを、わたしひとりとして、どうかんがえたらよいのか。これは単純な戦前回帰ではない。なにひとつとして新しいものはないのに、もうこれまでのような手法では済みそうにない。ゴロツキたちが戦時を引きよせようとしている。あのゴロツキたちは、みずからを国家と同一視し、みずからを至上の位置に祭りあげ、倒錯に倒錯をかさねたすえに、ついに国家を自己崇拝するまでにいたっているのであり、それゆえ、治療のもっとも困難な精神病者なのである。尋常ではないあの目つきをよく見てみるといい。まちがえてはならない、安倍首相らこそが真性の「反社会的勢力」なのだ。戦いはまぬかれえない。やるかやられるか。いやでも、恐怖にむきあわなければならないときがきている。ほうっておけば、かれらはこの国の「浄化(“美しい国”化)」にのりだしかねない。浄化は、とりもなおさず、新たな恐怖をうむだろう。つたえられるところによると、やつらゴロツキたちは、靖国に詣でたその恍惚のあまり、あわや社殿で射精しかねないほどのエクスタシーの状態にあったのだという。事態をどんなに割りびいて見積もっても、こんごなんらかの暴力は避けられないであろう。ゴロツキたちはつまるところ、靖国にいくことで、まったく展望のない「宣戦布告」をしてしまったにひとしいからだ。そんなに戦争をしたいのなら、安倍、石破、小野寺…きみたち、中国も朝鮮半島も知らないゴロツキどもが、まず軍服を着て、銃をもち、尖閣、竹島に立ってみてはどうだ。やりたければ、旭日旗をうちふれ。勇躍まさに天を衝かんとするの意気をしめし、撃たれるなら、あえなく撃たれるがよい。ただし、自衛隊員をひとりたりとも犠牲にしてはならない。けふ、エベレストにのぼった。ちかくの庭のサルビアが、夏からけふまで、ずっと花を咲かせている。見なれたけれども、おかしいのはおかしいのだ。(2013/12/27)

 

2013年12月11日
(日録7)

私事片々 
2013/12/11〜2013/12/20 
http://yo-hemmi.net/article/382443616.html

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・けふ、新しいダウンジャケットを着て、エベレストの登攀ルートにいったら、一群の幼稚園児たちと先生がいたので、あっさり登頂をあきらめて、しばらくあるき、カフェ・ヌディタに入り、ドライカレーを食べた。コビトがきてトイレの近くにすわり、「壊れること」について話した。わたしはひとすじなにかがわかったような気がした。わたしはほとんどひとりでしゃべり、コビトの承認をえただけなのかもしれない。熊よけ鈴の注文はやめて、防犯兼用のドア用ベルを発注した。大きな横スウィングのうごきでは鈴はさっぱり鳴らないことに気づいたからだ。防犯といったって、なにからなにを守るのか、こちらに具体的なイメージがあるわけではない。わりあいはっきりしているのは、もしも「賊」がここに侵入したら、チロロロン・・・とメルヘンのような音が遠慮がちにひびくだろうということだけであり、それを聞いて「賊」が逃げだすともおもえない。イメージはそこでとまっている。日曜日の電話の声は、もしかしたら、虚勢だったのかもしれない。野太い声の芯、堂々たる声量、明確なひびき(権力的な声質)は、外むけに、つまりあらかじめ防御的につくられた声であり、内側の、ひとりの声音には毛など生えてなく、ただ細かくふるえているだけなのかもしれない。いつだったか〈犬の歯磨き指導をしている親切な獣医さん〉の話をしていた、美しく幸せそうで嫌みのない女たちのほうが、対抗不能という意味で、かくだんに手ごわい可能性があるという直観がわたしにはある。コビトから「しないでいられることについて」と「世界の歴史の最終章」という短文を読むようにすすめられた。諭すようにでもあざけるようにでもなく、何気なく、ふと。「しないでいられることについて」で、アガンベンがなにを書いているかは、おおむね想像がついていた。既読のものかもしれない。既読であることや想像がつくことは、けれども、いま新たに理解することとまったくべつのことだ。まず、「権力はたんに人間を、できることから引き離すだけではない。というより、できることにはあまり働きかけない。むしろ、何よりもまず、しないでいられることから人間を引き離そうとするのである」。ガーン!「今日の人間は、みずからの力ではなく、みずからの無力に盲目になっている。できることでなく、できないことにたいして、しないでいられることにたいして、盲目になっているのである」。ガガーン!「・・・いまやあらゆる人びとが、順応性という価値に無邪気にも服従しようとしているのだという認識である。市場が各人に、何より優先すべき今日の価値として、順応性を要請してくるのである。・・・こうした無能力=非の潜勢力からの疎外は、何にも増して人間を貧しくし、自由を奪い去る」。ガガガーン!「できることから引き離された人は、それでも、抵抗することができるし、しないということができる」。ガガガガーン!「わたしたちが所有する真理を保証するのは、わたしたちには所有できない身を焦がすような認識だけである。それと同様に、できないこと、あるいは、しないでいられることをめぐる目も眩むような見通しだけが、わたしたちの行動に中身を与えてくれるのである」(引用はいずれも平凡社刊「イタリア現代思想」*1ジョルジョ・アガンベン著、岡田温司/栗原俊秀=訳『裸性』)。ガガガガガーン!わたしはやむをえない〈状況〉批判が、〈状況〉の愚かしい浸透圧に作用されてであろうか、いつもわたしに空疎感しか残さないことについて、コビトにぼそぼそと愚痴をこぼしてきたのであった。わたしが〈状況〉を気にし、苦にもし、他のやるべきことをとどこおらせてでも、いま、いやでもなんとか対応しなければならないとかんじて焦るのは、誠実さからではなく、かえってわたしの思想や認識の浅さ、貧しさからくるのではないか。そう嘆きつつ、〈状況〉へのありうべき抵抗をイメージしようとしてきた。そのばあい、例えば、「バートルビー」を念頭におくことはなかった。アガンベンを読むと、権力への反射的な、あるいは表層感情的な憎悪や敵対や、罵倒も批判も、今日的権力にたいする〈順応〉の一種ではないのか——と、おもえてくる。もっと言えば、今日的権力にたいする〈じゃれつき〉にすぎないので、逆に権力をいわゆる民主的に支えてしまうのではないか、と。これにたいし、「しないでいられること」は、けっして穏便ではない。バートルビーに即せば、最終的には「自餓死」にいたるような完璧なラディカリズムである。「しないでいられること」は、個に残された最後の自由、すなわち〈世界との刺しちがえ〉もしくは〈世界との相対死に〉につながるのではないか。一切をとどこおらせること。すべての個によるゼネスト。「しないでいられることについて」はそれを呼びかけている。コビトはこれらを先読みして、わたしに一読をすすめたのではなかろうか。詳しいことはまだコビトに話していない。(2013/12/11)
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・ここで、いまさらこう言うことの無意味を、じゅうぶんに承知しているつもりである。にもかかわらず、わたしは、わたしじしんと、わたしの数人の友人たち、そして、本ブログの数少ない読者たちに、けふ、言うことにする。表しうるのはたかだかそれぞれの〈身ぶり〉だけかもしれない。にしても、しかし、安倍政権を1日も早く倒さなければならない。そのために、なにかを、いつもより静かに深くかんがえ、たとえアリのひと噛みていどにすぎないにしても、けふ以降のそれぞれの〈身ぶり〉として表さなくてはならない。〈断固として無言でいるひと〉は、今後いっそう断固として無言でいてくれ。〈なにもしないでいるひと〉は、今後もひきつづき、いっそうなにもしないでいてくれ。〈順応できないでいるひと〉は、今後〈順応できないでいること〉の正しさを確信して、いっそう順応できずにいてほしい。秘密保護法、J-NSC設置にひきつづき、安倍政権の〈恐怖政治〉がはじまっている。断固として無言、なにもしない、順応できない、服従しない——といういくつもの「非」以外に、いまわれわれにどんな〈身ぶり〉が可能であろうか? 本日午前、あんなにもデタラメのかぎりをつくした国会の閉会を待ち、藤島光雄氏と加賀山領治氏への絞首刑が執行された。2人は頸骨をへしおられ、口と鼻から血を噴きだして、死んだ。〈魔〉のような国家幻想がまたもたちあげられた。ひとつとして血であがなうことのなかった、およそ主体というもののない、ヌエのような戦後民主主義が、それゆえに、つとに安楽死の過程にあったのだが、このたび安倍の手で、最終的にいとも簡単に扼殺された。けふの死刑執行はその象徴のひとつだ。ジョージ・オーウェルが短篇「絞首刑」に記した、気高い表現をまねるならば、けふ午前——仲間の2人が消え去ってしまった。心が2つ減り、世界が2つ消滅した——のである。オーウェルはこの短篇を1920年代の記憶からみちびきだしている。人類の遺産ともいうべきこの作品を、安倍も谷垣も読んではいまい。まことに残念なことである。「結局、知るということもまた、無知と関係がある」。この国は怖ろしい国である。わたしじしんと、わたしの数人の友人たち、そして、本ブログの数少ない読者たちは、それぞれ異なった感官の深みで、それぞれに異なった性質の怖れを、ずいぶんまえから〈安倍とその仲間たち〉の身ぶりからかんじとっていた。直截なひとつの言葉で表すならば、それは〈暴力〉である。あまりの無知ゆえの暴力である。そして、日一日と暴力があらわになっている。もう言うまでもない。暴力には反暴力=抗暴でたたかうことを早晩、余儀なくされるだろう。さしあたりは安倍政権を一刻も早く倒さなければならない。こう言うことの徒労をじゅうぶん承知で、言う。この政権を、どのような観点からも、許してはならない。これがわたしの声であり身ぶりだ。わたしは呼びかけない。けふ、肩を落とし、エベレストにのぼった。(2013/12/12)
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・北朝鮮はおそらく潰えゆくさだめにあるのだろう。かの国は、みずからの破綻を掩う懸蓋にかくされたまま、はかない惑星として、自己破滅性をおびたまま、いまは宙づりになって爆発を待っているかのようだ。しかし、北朝鮮とは、さほどにわたしらとは無縁の、奇異な場所なのであろうか。張成沢(チャン・ソンテク)氏への銃殺刑と、藤島光雄、加賀山領治両氏への絞首刑が、皮肉にも、まったくおなじ日にとりおこなわれたことは、もっと謙虚に醒めて考察されてよいようにおもう。あわてて「偶然」と言いはる者もいるけれども、これはすこしも「偶然」などではなく、両者にはむしろ必然にちかい近似性があることを見のがすわけにはいかない。理由ならいくらでも挙げることができるだろう。われわれは、じつに意外にも、さまざまな点で似ているのである。わたしたちは、顔がとても似ているだけでなく、心性にも、少なからぬ類似性がある。まず第一に、極東に位置する両国の政治権力者たちは、21世紀現在にいたるも、人民より国家をひたすら崇拝し、死刑を国家の〈活喩〉として大いに活用することに、なんの恥も逡巡もないことにおいてとても似ている。その無知と鈍感ぶりとひとりよがりたるや、死刑をはげしく嫌い、拒む国が多数派となり、一般的となった国際動向などなにはばかることもない。2〜4か月に1回のペースでこれまでに計8人の絞首刑を平気で執行した谷垣法相は「死刑は国民が支持している。死刑制度を維持していくことに変わりはない」と述べている。現代日本語ではこれを「粛々と・・・する」という形容動詞で表現するようだ。それなら、北朝鮮、中国だって「粛々と」かつガンガン死刑を連発していると言う権利くらいはあるだろう。じつのところ、事実上の死刑廃止国の合計が139にたいし、存置国が中国、北朝鮮、日本など58にすぎなくなったことなどおかまいなしである点でも、日朝はどこか似ている。処刑の件数、処刑の方法、その手続きが北朝鮮とはちがう、いっしょにしないでくれ、と政府当局者は憤慨するかもしれない。かたや銃殺刑、われら絞首刑。かたや公開処刑、われら密室での秘密処刑。かたや司法手続き不明、われら司法手続き履行、かたや処刑件数数知れず、くらべるに、われら少数・・・どうだ、ちがうだろう、と。これではまともな大人の話とは言えない。『死刑物語——起源と歴史と犠牲者』を著したK.B.レーダーによれば、死刑の本質の解明には、司法はほとんど、あるいはまったく役にたたない。死刑は司法とはまったく別の求めにもとづく、〈集団的不安感〉をおさめる安全弁であったのだ、という。しかし、有史以前からつづく死刑という見せしめ=スペクタクルあるいは権力による復讐と因果応報を知らしめるある種〈呪術的儀式〉が、集団的不安の収拾にはもはや効力がなくなったことを知った諸国は、次々に死刑の廃止または停止へとむかったのであった。しかし、政治がついに〈死〉を手放したのかと言えば、それはまったくちがう。エンツェンスベルガーの書いたとおり、「殺人と政治のあいだには、古くからの、密接で暗いつながりがある」し、ますますつながりを密接にしているのである。北朝鮮だろうと日本だろうと米国だろうと欧州だろうと、政治は〈死〉を昔もいまも手放してはいない。北朝鮮はただ、政治と殺人のかんけいをプリミティブであからさまで野蛮な形式で表現しているだけである。「国体護持」のためには人命などまったく問題にしなかった極東の某国と北朝鮮のありようは、かんぜんに無縁とはどうしても言いきれない、暗渠のように視えないつながりがあるのかもしれない。北朝鮮を嗤えるだろうか。秘密保護法は、政治と〈死〉、政治と殺人、政治権力と犯罪のかんけいを、葬具の天蓋のようにかくすととともに、それらの戦慄すべき恐ろしさをこれまでより多くかいま見せるにちがいない。北朝鮮だけではない。この国の政治状況も、いまだかつてない「凶相」をていしている。見よ、安倍内閣の面々の形相を! わたしはけふ、エベレストにのぼった。無感動に。(2013/12/13)
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・いっぺんにたくさんの死刑囚を殺すことのできる便利な絞首台の話を、イタロ・カルヴィーノの寓話『まっぷたつの子爵』で読んだことがある。処刑にことのほか熱心な日本の法務省は、この絞首台を採用してはどうだろうか。絞首台をつくる仕事を請け負わされたのは、どんな仕事でも手を抜くということのない、実直で腕のたつ馬具商兼車大工であった。処刑されることになる死刑囚のなかには2人もじぶんの親戚がいたので、車大工はひどく苦しみながらも、おそらく、どんな仕事でも手を抜けないその実直さゆえにであろう、新型「同時多数絞首台」を、やはり手を抜かずにこしらえてしまう。それは、精巧で大仕掛けな機械で、立ち木みたいに枝わかれしており、巻き上げ機のハンドルひとつで、縛り首の縄がいちどにもちあがるようにできていた。この絞首台で処刑され、長々とのびた複数の死体は3日のあいだ風に揺れていた。「はじめのうちはだれもそれをまともに見られなかった」という。当然であろう。ここまでは、ふむふむと読みすすむのだが、次のくだりで、外側にむけられていた視線が急にわたしたちの内面へと方向をかえてくるものだから、うろたえてしまうのである。「はじめのうちはだれもそれをまともに見られなかった」はずの無残な処刑だったのに、「でもすぐに、ぼくたちはその光景を荘厳なものだと思うようになり、さらには、ぼくたちの良識はばらばらな感情に引き裂かれて、かれら(死体)を台から下ろすことや偉大な機械(絞首台)を打ち壊すことを惜しいと思うようになってしまった」のだという。カルヴィーノのおもしろさは、読む者に一律の内省を強引にうながすのではなく、多義的で多層的で自己分裂や自己撞着ともなりかねない、絶えず可変的で危うい思考の世界に誘うところにある。逆に言えば、カルヴィーノは普遍的で絶対的メッセージを嫌い、正邪善悪の明快な色分けをこばむのである。北朝鮮の風景はあまりにも酷く、残忍であるとみなされている。それはそうである。しかし、張成沢(チャン・ソンテク)氏への銃殺刑と、日本の2氏への絞首刑——つまり少なくとも3人にたいする国家の名による殺人——が、おなじ日にとりおこなわれたことは、争えない事実なのであり、前者が残虐、後者は正義であるなどとどうして言えるだろう。日本のニューズメディアは、北朝鮮によるチャン氏殺害を「処刑」、日本の2氏殺害をたんに「死刑」とことさらに言いなし、前者を非道、後者を合法と色分けするけれども、積極的な死刑制度存置国が北朝鮮の死刑を非難するのは、本質的にはメクソがハナクソを笑うたぐいのことである。いったい北朝鮮の残忍性の「祖型」は北朝鮮じしんの出自にあるのだろうか。1930年代のスターリン粛正の犠牲者は50万〜700万人まで諸説ある。中国では1950年代の反右派闘争、60年代の文化大革命の死者が少なくも1000万人以上と言われる。朝鮮半島のひとびとにとって、「残忍」の先輩と祖型は、歴史的には日本にあり、ソ連にあり、中国にあったのである。いま、真剣にまなざしを注ぐべきは、だれに、であろうか。独裁者、死刑執行命令者、犠牲者・・・。歴史の主役はかれらであり、しかし、かれらだけではない。「はじめのうちはだれもそれをまともに見られなかった」ひとびともまた思念の視野にいれるべきである。「でもすぐに、その光景を荘厳なものだと思うようになり、さらには、良識がばらばらな感情に引き裂かれて・・・」いく顔のない民衆は、カルヴィーノの見たファシスト・イタリアや、チャン氏らが次々に殺されている北朝鮮だけではなく、さして意識もせずに死刑と全体主義をいまもなお経験し実践しつづけている日本にも数多くいる。どんな仕事でも手を抜くということのない、実直で腕のたつわれらモノヅクリ・ニッポンは、武器輸出3原則が見なおされつつあるいま、手を抜くことなく精巧な武器をつくり、他国に売る公算が大である。はじめのうちはだれも正視できなかったシーンを、さほどときをおかずに「荘厳な光景」とおもうようになっているのは、劣悪なマスメディアに完全包囲されたこの国のひとびとでもある。北朝鮮のできごとはどのみち、米韓日中ロをまきこむ未曾有の紛争に拡大するだろう。すべては不透明である。ゆいいつ確実なことは、安倍政権がこれを奇貨としていっそう好戦的となり、軍備をさらに拡張し、大いに増長し、憲法を変えようとし、危機をまねくこと。にもかかわらず、政治とメディアに誘導されたひとびとが、危機を「荘厳な光景」と錯覚しかねないことである。けふエベレストにのぼった。無気力に、なんとなくのぼった。雲ひとつなひ快晴であった。コビトがコンサートにいった。(2013/12/14)
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・なにもしていないのに、貶められているようにかんじることがある。と、昨夜おもったのに、けふはなぜかその実感がなひ。それが問題だ。なにもしていなくとも貶められる。昨晩はそうおもったのだったか。なにもしていなくとも貶められているのに、そうかんじることもできなくなっている、とおもったのだったか。なにもしていなくとも貶めたり貶められたりしている世なのに、そうかんじることもできなくなっている、とおもったのだったか。なにもしなくとも、ただぼうっとしていても、他者を貶めたり、じぶんという存在が貶められたりせざるをえない世になってしまったのに、さっぱりそうかんじることができなくなっている、とおもったのだったか。どうもはっきりしない。けふ、ほとんど無意識にエベレストにのぼり、気がついたら、エベレストからもうおりていた。そのまへに、「ホスピス」にいった。と、おもふ。ホルムアルデヒドのにほひのむこうから、シャンシャン、鈴の音とクリスマスソングが聞こえた気がする。クリスマスソングって、なにか怖い。シャンシャン、サンタに追いかけられる。シャンシャン、死が追いかけてくる。(2013/12/15)
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・けふはアパートから1歩もそとにでなかった。ので、エベレストにのぼらなかった。「無からあらわれたひとびとは、白昼の光のなかに消えてゆく・・・」。そう想像してみた。(2013/12/16)
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・エベレストにけふは2度のぼった。右の尾根からいちどと左の尾根からいちど。とくに感慨はなひ。ダフネにいった。ポークソテーを食した。うまくはなかった。よく声のとおる中年の女性客がいて、ずいぶんはなれて座っている老婆にむかい、とつぜん「あらあ、かわいいお婆ちゃんですこと!」と、アナウンサーのようなわざとらしい口調で話しかけた。話しかけられた老婦人は当惑したらしく「どうしたのかしら・・・」とつぶやいていた。帰宅後、コビトと電話でイケノメダカの話をした。(2013/12/17)
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・けふはエベレストにのぼらなかった。犬と家に閉じこもった。内鍵をかけた。昼食をとらず、ハチミツ100%キャンデーをなめた。コーヒーを2杯飲んだ。白々と「白い空間」についてかんがえた。示影計をイメージした。顔についておもった。小野寺の狂った目が、まなかいをかすめた。言いたくはないけれども、ぼくはきみがとてもきらいだ。きみらには虫酸がはしる。涙袋がぶよぶよと垂れたきみのあれは、イカレたあの目は、伝染する。だいいち、とても気味がわるい。きみらは途轍もない犯罪者だ。やめてくれ。わたしはわたしの思考の洞に蓋をした。(2013/12/18)
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・コビトがきた。テレビも新聞もみないくせに、小野寺の顔なんかおもいだすのは、よほど修養がたりなひからだ、と皮肉をいわれた。なーるほど、さうですね。コビト、帰った。わたすぃ、けふもかんぜんに籠城したので、エベレストにのぼらなかった。朝、アボカドを食した。マルエツのアボカドより、ここのアボカドのほうがおひしひ。朝、牛乳とニンジンジュースを飲んだ。コーヒーはぜんぶで3杯飲んだ。いただいたサバランを食した。犬にもかけらをあげた。犬が酔っぱらってワフワフ笑ろた。尻尾をリスのよふに縦にパーッとひらいてよろこんだ。およろこびになられた。わたくすぃ、なんどもなんども、トイレにいったのであります。オシッコ計2リットルでた。けふは小野寺の顔をうかべずにすんだので、あれがかなりすすんだ。ずいぶんすすんだ、とおもふ。すすめるには、いかれた連中のことをかんがへないひことだ。そんなこつ、わかっちょる。にしてもだ、あの顔はヤバひ。わたすぃに修養がたりなひにしても、安倍や小野寺たち、小物のあの顔たちは、かつてない欠陥と危険をはらんでいる。歴史をさうかんじるのは、なにかちがふ気もするけれども、理屈より勘があたることだってすくなくなひ。(2013/12/19)
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・未明に、バーン。1発。なにかがいきなり落下する音。もしくは玄関のドアがぶち破られる音で目がさめた。夢か。なぜかはわかっておるのである。レンドルミンをまたのみ、また寝る。犬、起きず。朝、おひしひ牛乳をのんだ。その後、いちどエベレストにのぼった。新しくできたカフェ・メディレスにいってみた。コーヒーがまずかった。もふいかなひことにする。帰宅後、クリームパン1個を、立ったまま、食した。犬が見あげている。とてもおひしかった。黄色ひクリームがわずかに付着したかけらを、犬にもあたへた。犬がよろこんで食し、ワフワフ笑ろた。前歯が見えた。ミニトマト3個、われ食ふなり。ミニトマトは、犬にあたへなかった。ティーバックの有機煎茶をのんだ。まずくもおひしくもなかった。リポビタンのむ。おひっこ黄色になる。わたくひ、大排泄1回、おっしっこ3回。犬、大排泄2回、小排泄1〜2回。こんなもんだらふ。戸棚に菓子パンがぐぇんざい、まだ2個ありつるよ。あまりしゅしゅまなかった。(2013/12/20)

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


 

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


 

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 

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