辺見庸 (日録1-5)私事片々 2015/01/27~と、(日録1―6) 雑談日記Archive
なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで。
以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。
2015年02月02日
日録1―6
私事片々
2015/02/03~
http://yo-hemmi.net/article/413406426.html
空と梢.jpg 2015年02月01日
・どうぞ、かってにきみひとりで「リベンジの旅」にでかけてください。もしもきみが捕まっても、われわれは身代金をぜったいに支払わない。交渉もしません。きみが、人質を故意に見殺しにし、米国にたたえられたように。いや、ちょっと待ってくれ、少しなら、身代金を払い、交渉もするだろう。きみだって人命の一種だろうから。でも、われわれは、「イスラム国」の主要な製造元のひとりである米政権の支持を必要としない。人命と自由は、国家よりも何百万倍も大事である。わたしはあらゆる種類の死刑に反対する。哲学的にみて、きみ、スィンゾー・アベは目下、諸悪の根源か、それにかぎりなく近い存在なのである。例によって深みに欠ける以下の米紙記事。顔写真をまちがえて拡大すると、はげしい嘔吐と悪寒をもよおすことがあるのでご注意!人質殺害は「ニッポンにとっての9.11」とわめくアベ配下のうさんくさい「元外交官」。つまり、ヌッポンも「米愛国者法」と同等の法律を成立させ、一切の人権を国家管理下において監視・制限しろということかね。事態は急速度に悪化している。これぞヌッポン伝統のうるわしきゼンタイシュギである。ただいま、御用新聞、御用テレビ、御用評論家、御用作家、御用学者、御用コクミンどものオンパレード!スィンゾー・アベ、きみの当初からの作戦どおりです。締めくくりに、どうぞ、きみひとりで「リベンジの旅」に旅だってください。おたっしゃで。エベレストにのぼった。
http://www.nytimes.com/2015/02/02/world/departing-from-countrys-pacifism-japanese-premier-vows-revenge-for-killings.html?hp&action=click&pgtype=Homepage&module=first-column-region®ion=top-news&WT.nav=top-news
(2015/02/03)
SOBA:上記、NYTの記事を採録(←頁内ジャンプ)
夜の投影.jpg 2015年02月04日
・わたしはダウンを着ているのに、夏物の薄地のジャンパーを着て、猫背にしてよろよろとあるいている老人をみた。手に生のサンマ(だとおもう。ナイフではない)を1尾もっている。尻尾がブラブラしている。なぜかはわからない。ベガ―ではない。ベガ―はこのクニではなりたたない。丁寧なことばで事務的にしめだされる。せんだって、NHK出版がとつぜん、拙著『私とマリオ・ジャコメッリ―――生と死のあわいを見つめて』の絶版を通告してきた。死亡通告みたいに。なにもおどろきはしなかったが、ああ、寒いなとおもった。2008年5月に教育テレビが放送したものを下地にして、翌年に刊行された、なんとなくすきな本だった。オビに「虚無と孤独の底から立ち上がる表現への渇望 自由への意思」とある。担当編集者だった高井さんが丹精してこしらえた本。高井さんは繊細なひとだ。いくつかの詩もおりこまれている。番組も、とびきり腕のいいディレクターとすばらしいカメラマン、編集マンたちが、ごく静かに、しかしそれぞれの熱をこめて、自由に、じっくりと完成させた。音楽もよかった。プロたちのよい仕事だった。あれから7年。たった7年。なにも変わらないようで、すっかり変わった。ぞっとするほど変わった。鳥肌がたつほどに変わった。吐き気がするほどに変わった。売れのこり、死亡宣告された本は、これから寒天下をあてどなくさまよう。それはジャコメッリらしいともおもう。これで自由になった気もする。エベレストにのぼらなかった。連載「1★9★3★7」(週刊金曜日)8回目を送稿。(2015/02/04)
夜のハボタン.jpg 2015年02月05日
・言語表現の容量が急速に収縮し萎縮している。1945年敗戦からこれまででおそらく最低のレベルではないか。国会でごくとうぜんの質問をしただけで、〈テロリストの脅しにくっすることになる〉〈敵を利することになる〉式の答弁で、逆ににらみつけられ、すごまれて、野党がすくみあがっている。みんながビビっている。一方で、ときならぬ「国家意識」の吹きこみと膨張。「つぎつぎになりゆくいきほひ」とはこのことだ。イエス、あれですあれ、上に「ファ」のつくあれ、ファッキン・ファシズムである。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/05)
ミモザ・スカイ.jpg 2015年02月06日
・狂える時代とイカれた民衆は狂える指導者を産む。産んだ。狂える指導者は狂える時代とイカれた民衆を産む。産んだ。いくときもくるときも、一足飛びなのだ。あれよあれよ。軍国主義への道はかく整備されていく。時代はとびきりのアホたちを必要としている。ニッポンのばあいは、ファシズムの底流に、つねに「無常観の政治化(politization)」(堀田)がひそむ。「『諸行無常』の観念は、一方では『なりゆくいきほひ』のオプティミズムとはげしく摩擦しながら……むしろ不断の変化と流転の相のもとに見る『古層』の世界像と、互に牽引し合うという奇しき運命をもった」(丸山)。もっともっと悪化するだろう。昨夜、ひとしきり死に方について話した。「行旅死亡人」がよいのでは、という意見があった。そうはうまくいかない。エベレストにのぼった。(2015/02/06)
切り花.jpg 2015年02月07日
・「……琉球やまことに日本の頸動脈、/万事ここにかかり万端ここに経絡す。/琉球を守れ、琉球に於て勝て。/全日本の全日本人よ、/琉球のために全力をあげよ。/敵すでに犠牲を惜しまず、/これ吾が神機の到来なり。/全日本の全日本人よ、/起って琉球に血液を送れ。/ああ恩納ナビの末孫熱血の同胞等よ、/クバの葉かげに身を伏して/弾雨を凌ぎ兵火を抑へ、/猛然出でて賊敵を誅戮し盡せよ……」(「琉球決戦」)。と、書いたのは高村光太郎だった。1945年4月2日に高村がこの詩(!?)を書いたとき、硫黄島の日本軍はすでに全滅していた。そのとき高村は「賊敵を誅戮し」みずからも死ね、と沖縄にとんでもない檄をとばしたのだ。夥しいひとびとが殺された。自死をしいられもした。沖縄とはなにか?沖縄とはなんなのだ。2015年2月、知事がわざわざ会いにきても会ってもらえない沖縄とはなにか。官房副長官ごときが、いやいやたった10分会っただけで門前払いか。全日本の全日本人よ、沖縄をどこまで侮辱すれば気がすむというのだ。なんということだ。なんという無礼だ。梯明秀『戦後精神の探求――告白の書』。エベレストにのぼった。(2015/02/07)
石化ーサルスベリ.jpg 2015年02月08日
・いま、からだのなかを砂嵐がふいている。そうだろう。こちらはからだがネジリ飴だ。このクニはなんだかさっぱり見なれぬクニになった。このクニのことをわたしは知らない。存じ上げませぬ。梯明秀『戦後精神の探求――告白の書』(勁草書房1975年版)のP95「第三章 時局の精神的断層」は興味深い。P170「6 転向者のイロニー」、P182「7 戦争の精神的遺産」は要再読。この歳になって、わからないことばかりだ。わからないことばかりを発見して、わかろうとしているうちに、すぐに時間切れになる。目がかすむ。わからないことが幾重にも埋まり、土中にかくされている。表土しかみえていない。エベレストにのぼった。(2015/02/08)
落下.jpg 2015年02月09日
・http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015020701001721.html
じぶんを「ファシスト」ですと公言する「ファシスト」は、きょうび、ごく稀である。ファシストはいまやぬけぬけと「反ファシズム」を語って恥じない。九か国条約、パリ不戦条約をやぶって満州を侵略して中国大陸侵攻を一気に拡大、国際連盟から脱退、ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、「自存自衛」「大東亜の新秩序建設」のためと称して太平洋戦争に突っぱしり、おびただしい人びとを死にいたらしめた歴史を、すこしでも反省するどころか、南京大虐殺も従軍慰安婦の強制もなかった、極東軍事裁判はまちがいと否定するこの男の言のいったいどこを、コモロフスキ大統領よ、信じるのかね。「反ファシズム」とは笑わせる。東条英機内閣の商工大臣や軍需次官をつとめ、戦犯被疑者として巣鴨拘置所に入所した岸信介の(オツムにかなりの難ある)外孫は、ただいま戦争の亡霊を墓場からひきずりだすのにいそがしく、憲法9条を完全に破壊して日本を軍事強国化しようとしているのに。コモロフスキ大統領よ、ちゃんとしたブリーフィングをうけにゃあかんよ。エベレストにのぼった。(2015/02/09)
SOBA:上記リンク先の記事を採録。
2015年01月27日
日録1-5
私事片々
2015/01/27~
http://yo-hemmi.net/article/413043111.html
樹と空.jpg 2015年01月27日
・友よ。想おう。「・・・・・・私がある場所について語るとき、その場所は消滅している。/私がある人について語るとき、その人はもう死んでいる。/私が時間について語るとき、時間はすでに存在しない」(J.B『なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか』塚原史訳 筑摩書房)。やつらが野蛮というなら、サイクス・ピコ協定はもっと野蛮ではなかったか。やつらが極悪非道というなら、米軍のイラク爆撃はその数万倍も残忍ではなかったか。ファルージャでなにがなされたか。やつらがペテン師というなら、ABとその仲間は、まけずおとらずの暴力的詐欺師集団ではないか。ABとその仲間は、沖縄の選挙結果をまったく歯牙にもかけず、暴力的に基地建設をすすめている。いまなにがもっとも危険なのか。いまどんな脅威がせまっているのか。人びとはABをえらんだことのツケを今後、延々としはらわなければならない。連載8回目。泰淳「審判」と川西政明さんのエッセイおよび『武田泰淳伝』照合、チェック。発見あり。ダフネ。エベレストにのぼった。(2015/01/27)
ツバキのつぼみ.jpg 2015年01月28日
・エリトリアのことをプレトリアと言いまちがえていた。ちょっと傷つく。アスマラの時間はいまも、水飴のようにゆっくりとながれ、東京よりもよほど「まとも」だそうだ。そうだろうな。けふ、「イスラム国」のことを常識のつうじない「モンスター」と呼ぶ学者だか評論家だかがいた。じぶんたちは「常識」のわかる非or反モンスターとでもおもっているのだろうか。モンスターが産まれきたときの産婆は米欧だったのに。「現代は昔のものと元どおりのものを〈クローン〉にして生きている」(ドゥギー「パニックの記」)。官邸前だったか、人質解放をもとめてあつまった人びとが「ウサギオイシカノヤマ……」とうたったのだそうだ。寒気がした。「無変化のよそおいをした全面的変化(崩ー壊)がおきている」。エベレストにのぼった。(2015/01/28)
車と白煙.jpg 2015年01月23日
・2日ほどまえにフリッツ・ラング監督の『M』(1931年)をみる。おもしろかった。ストーリー展開、編集、カメラアングル、演技、映像のメタファー、テンポ……どれをとっても「いま」よりみおとりしないだけでなく、むしろぬきんでたものがある。ファシズムは、にもかかわらず、成長した。「時間」は「現在」よりすすんだり遅れたりするものなのか。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/29)
SOBA:上記フリッツ・ラング監督の映画『M』(1931年)をうしろでアップしました。
しもばしら.jpg 2015年01月30日
・世界には世界によって堕胎された「反世界」というものが、ほぼかならず、ある。antiworld。反粒子的世界。ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベードの世界。「汚辱の世界史」。たとえば、「忌まわしい鏡」。「われわれの住む世界はひとつの誤謬、ぶざまなパロディーである。鏡と父性とは、パロディーを増殖し確認するがゆえに忌むべきである。嫌悪こそ第一の徳である」。わたしたちはいま、わたしらの世界(母胎)がわれしらずボットンと流産した反世界をみせつけられている。悲しみ、怒り、(ときにはふとどきにも)楽しみ、消費し、次の劇的展開を期待しながら……。気がつくと、玉座のまえの裁判においては、ハートのジャックが女王のタルトをぬすんだ嫌疑で起訴されており、白ウサギが裁判官役の王たちのまえでもっともらしい顔で罪状を読みあげている。指つめろ!いや、死刑だ!アリスは陪審員の動物たちにまじって裁判を見物しているうち、じぶんのからだがどんどん大きくなりはじめていることを感じる。マツコDXのように。裁判では証人として変態帽子屋、ニセ公爵夫人の料理人がよびだされ、3人目の証人としてアリスの名がよばれる。反世界はそんなようなものだ。われらの世界のすぐとなりには反世界が、われらが世界のへその緒とつながって延々とのびている。延安だって、かつてはじゅうぶん反世界であった。人民が飢えているというのに毛沢東らはポーカーをしていた。鉄砲から政権がうまれる。労農赤軍=PKKA(エールカーカーアー)も、かがやかしい反世界として、おびただしいひとびとを殺戮した。で、忘れまい。「皇軍」は中国における「もっとも野蛮な反世界」であったのだ。気まぐれな斬首と24時間のべつまくなしのビンタと強姦をだれよりもこのんだ反世界。おどろくべき歴史観と非人間観と手前勝手な(反)世界観と壮大な忘却。その頂点にエンペラーを後生大事にいただいていた。そうではないかね、安倍君。この機にじょうじて9条をかんぜんにつぶす気かね?そうしたら、どうなるか気がついているのかね。「汚辱の世界史」でも読みたまえ。世界が反世界を堕ろしたのだ。米国が日々だらしなく流産しつづけているもの。欧州がけふも堕ろしつづける「人権」と貧困とテロルと反イスラムと反移民。ぶざまな無限パロディー。そして、反世界こそが現世界を産んだのである。いつも血だらけの流産なのである。わたしらはみな畸形である。ああ、また孕んだのだな。そのくりかえし。ウサギオイシカノヤマ……とかハナハサク……はやめたまえ!その歌はキミガヨとともに、反世界の呪わしい弔歌であることに、まだ気がつかないのかね。安倍君、ぼくは君と君のコクミンがきらいだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/30)
タクシーにて.jpg 2015年01月31日
・『M』には時代の妖気がただよっていた。小津安二郎の『生まれてはみたものの』には、言わずもがな、一片の狂気も妖気も殺気もありはしない。前者は1931年、後者はその翌年の映画である。31年には柳条湖事件がおき、32年には桜田門事件、第一次上海事変、5.15事件あり、ドイツ総選挙でナチスが圧勝し、堺利彦が世情にたえかねたかのように「発狂」している。時代は「いま」と質こそちがえ、あきらかに狂ってきていた。じつのところ、「1★9★3★7」は「1★9★3★1」であるべきであったのだ。それは先刻承知している。小津安の映像がうめこんでいる「時間」には、なにかいかがわしいうごめきがある。なんだろう。石原吉郎の詩集の表題ではないけれど、それは「日常への強制」である。執拗な強制。丸山の言う(おそらくニッポン・ファシズム固有の)「執拗な持続低音」(basso ostinato)は、小津安映画のちゃぶだいと食器と箸、畳と縁側、しつこい無音とみえない性器たち、それらを舐めつづけるカメラアングルに、きれめなくながれている。けふ、はじめておもった。小津安の映画はひどく猥褻である。卑猥であり、あまりにもおしつけがましく、とんでもなく〈反動的〉だ。ダフネ。エベレスト冠雪。滑落の危険性あり、登攀をひかえた。(2015/01/31)
SOBA:フリッツ・ラング監督の映画『M』(1931年)を後ろでアップ。小津安二郎の『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』をうしろでアップ。
夜のビークル.jpg 2015年02月01日
・第三部 日本は「共産主義を撲滅する」1殺人教育 「日本を導く唯一の精神は神道である」(平沼騏一郎男爵)/(本文)サーマン・アーノルド曰く――「平和な社会にも戦争に劣らぬ兇行がある」と。およそいかなる人間も日常生活を続けていく上には、さまざまな形での兇行をおかさずには済まないであろう。また、いかなる人種も戦争に際しては野蛮性にたちかえりやすいものであろう。しかし、以上のことは認めることはできても、この世界のいずこにおいても日本の軍隊ほど人間の堕落した姿を念入りに、そして全く組織的に暴露しているものはないということは、否定しようにもすることのできぬ事実なのである。……/日本軍の正体がどうもとらえにくいのは、一に日本人の中に、人種的に関連のあるイゴロット人の場合と同じく、医者と首刈人が今もなお併存しているからである。イゴロット人は爆撃機など持っていないからよいようなものの、この軍隊は首刈時代の伝統を残していながら、近代医学の技術と戦争「科学」をマスターしているのである(エドガー・スノー『アジアの戦争 (The Battle for Asia) 』=1941=年、引用終わり)。いやはや、あまりといえばひどい言い方じゃないか。しかしながらだ、柳条湖事件―盧溝橋事件―南京攻略(大虐殺)―武漢作戦へとつづいた「皇軍」の(行軍しながら殺しまくる)残虐な侵略拡大のプロセスを、被侵略のがわからみるとき、スノーの記述は、そこいらの「ヘイトスピーチ」とはまったくことなる、あまりにもリアルな事実をせおった激怒であることがわかる。目をうつしかえてみなければならない。米軍のイラク侵攻・無差別爆撃・大量殺戮。旧日本軍のアジア侵略・大量殺戮。加害者は被害者にどれほど詫びたのか。どのような責任をとったのか。記憶に時効は成立しない。憎悪と屈辱の記憶は代をついでのこっている。「われわれはすでに新しいタイプの戦争という零落の状態」にあり、「この前例のない戦争の中心にあって賭けられているのは情緒であり、この戦争は変幻自在でその形式は前代未聞である」。そうなのだと言うしかない。前代未聞の戦争。2015年現在は100年前より公正な世界をもっているわけではない。大戦争はこんごにくるにしても、平時下の装いのなかで、目下、世界はまぎれもなく戦時中なのだ。第一次世界大戦後の英国の中東政策はかつて、「三枚舌外交」とよばれたほどにインチキだった。屈辱の記憶は各所で爆発しつつある。約100年もまえの列強の不正の数々に「われわれ」は責任を負えはしない。けれども、わたしは「われわれ」ではない。とりわけ、Aのしつらえる「われわれ」にくみすることはできない。〈陰惨な言語不通状態〉を嘆くまえに、米国とその有志連合にたいするひとびとの憎悪と不信の深さとその由来を知るべきではないのか。Aの凶相はつとに今日の到来をやくそくしていた。そうではないか。悲劇の招来は目にみえていた。かけがえのない人命よりも、Aは米国と有志連合への「信義」を優先した。かよわい人命よりも国家意思をためらいもなくえらんだ。Aに〈悲劇の主人公〉を演じさせてはならない。Aが〈殺す風〉の風上にいたのはあきらかだ。あの命をすくうためになにをしたというのだ。どれほど懸命に工作し腐心したというのだ。そうすれば危機に瀕したあの命がどうなるのかを知りつつ、米国と有志連合側に、これみよがしにすりよったのは、いったい、どこのだれだ?かれはいま内心ほくそえんでいる。労せずして9条を扼殺できると。9条のないニッポンは、ただの〈ゴロツキ国家〉になるだろう。われわれはAの「われわれ」ではない。われわれは、消されたあの命につながる、ひとりひとりのわたしである。エベレストの雪凍結。登頂断念。(2015/02/01)
SOBA:イゴロット族(Igorot)ブリタニカ国際大百科事典より
フィリピン北部ルソン島のセントラル山脈に居住するマレー系の一民族。人口約 50万と推定される。オーストロネシア語族に属する言語を話す。かつては首狩り族として有名であったが,首狩りの戦いは,スペインとアメリカの統治を通じて完全に統御された。(以下略)
白いふちどりのチューリップ.jpg 2015年02月02日
・「あらゆる場所で、世界の連続性に亀裂が生じている。個別的なものが、存在するという裸形において浮きたっている」(E.L)。しつこい口臭。たぶん、けさのカイワレダイコンの。マルクス主義のオプティミズム。「共同体の構造的な掟というべきもの。暴力の回帰的な性格。宗教的なものの、のりこえがたい性格に理解をしめさない」「歴史的な危機が到来するたびに、民族的アイデンティティが階級的アイデンティティを凌駕する」(R.D)――のはなぜなのか。そうなのだろうか。わたしにはよくわからない。ダフネ。エベレスト、右稜線からのぼった。いま、光ワラジムシが、どこかでそれとなくうごいているようだ。音はない。非在と存在のあわいを這っている。やがて消えよう。光ワラジムシが。そうであるにすぎない。とにかく眠ることだ。(2015/02/02)
辺見さんが私事片々(2015/01/29)と、(2015/01/31)で言及していたフリッツ・ラング監督の『M』(1931年)です。2分割版で英語の字幕つき。
M (1931) pt. 1
karimberdi
http://www.dailymotion.com/video/x12o3oh
M (1931) pt. 1 投稿者 karimberdi
公開日: 08/04/2013
期間: 59:03
M (1931) pt. 2
karimberdi
http://www.dailymotion.com/video/x12qwr2
M (1931) pt. 2 投稿者 karimberdi
公開日: 08/06/2013
期間: 51:58
辺見さんが私事片々(2015/01/31)で言及していた小津安二郎の「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」の2分割版。字幕つきサイレント映画。英語の字幕もついてます。
I Was Born, But (1932) pt. 1
karimberdi
http://www.dailymotion.com/video/x10tgvp
I Was Born, But (1932) pt. 1 投稿者 karimberdi
公開日: 2013年06月12日
期間: 59:01
I Was Born, But (1932) pt. 2
karimberdi
http://www.dailymotion.com/video/x10rmv1
I Was Born, But (1932) pt. 2 投稿者 karimberdi
公開日: 2013年06月10日
期間: 31:37
完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)と
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。
辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。
辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。
(始めに戻る)
辺見さんが私事片々(2015/02/03)で言及しているNYTの記事です。
Departing From Japan’s Pacifism, Shinzo Abe Vows Revenge for Killings
By MARTIN FACKLERFEB. 1, 2015
http://www.nytimes.com/2015/02/02/world/departing-from-countrys-pacifism-japanese-premier-vows-revenge-for-killings.html
Prime Minister Shinzo Abe promised Sunday “to make the terrorists pay the price.” Credit Toru Hanai/Reuters
TOKYO — When Islamic State militants posted a video over the weekend showing the grisly killing of a Japanese journalist, Prime Minister Shinzo Abe reacted with outrage, promising “to make the terrorists pay the price.”
Such vows of retribution may be common in the West when leaders face extremist violence, but they have been unheard of in confrontation-averse Japan — until now. The prime minister’s call for revenge after the killings of the journalist, Kenji Goto, and another hostage, Haruna Yukawa, raised eyebrows even in the military establishment, adding to a growing awareness here that the crisis could be a watershed for this long pacifist country.
“Japan has not seen this Western-style expression in its diplomacy before,” Akihisa Nagashima, a former vice minister of defense, wrote on Twitter. “Does he intend to give Japan the capability to back up his words?”
As the 12-day hostage crisis came to a grim conclusion with the killing of Mr. Goto, the world has suddenly begun to look like a much more dangerous place to a peaceful and prosperous nation that had long seen itself as immune to the sorts of violence faced by the United States and its Western allies.
The Evolution of ISIS BY Quynhanh Do
The New York Times
http://youtu.be/y6qSirb9G9U
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2014/12/15 に公開
Key points in the terrorist group’s rapid growth and the slowing of its advance as it faces international airstrikes and local resistance.
Video by Quynhanh Do on Publish Date December 13, 2014.
Some described a level of shock not unlike that experienced by the Americans after the 2001 terrorist attacks, or the French after last month’s assault on the newspaper Charlie Hebdo and the murders in a kosher supermarket.
“This is 9/11 for Japan,” said Kunihiko Miyake, a former high-ranking Japanese diplomat who has advised Mr. Abe on foreign affairs. “It is time for Japan to stop daydreaming that its good will and noble intentions would be enough to shield it from the dangerous world out there. Americans have faced this harsh reality, the French have faced it, and now we are, too.”
The crisis also comes at a crucial moment in Japan’s modern history. Since taking office two years ago, Mr. Abe, a strong-willed conservative, has tried to push his nation into shedding the passive brand of pacifism that it repentantly embraced after defeat in World War II, and playing a more active role in world events. Analysts and former diplomats say the stark savagery of the killings will be an important test of how ready Japan really is to step onto the global stage.
The question, analysts and diplomats say, is whether the trauma of the killings will drain Japan’s will to seek a higher international profile, or stiffen its resolve.
This new challenge came in the form of two videos released within a week of each other, both by the Islamic State, whose militants control large parts of Syria and Iraq. The first video, posted online last weekend, showed the decapitated body of Mr. Yukawa, 42, an adventurer who was captured last August by the Islamic State, also known as ISIS or ISIL. The second video, which surfaced over the weekend, showed the doomed journalist, Mr. Goto, 47, stoically kneeling as his dagger-wielding executioner criticizes Japan for joining the American-led coalition against the Islamic State.
Continue reading the main story
He then menacingly warns that no Japanese are safe anywhere in the world.
“Let the nightmare for Japan begin,” the masked militant proclaims before reaching down to kill Mr. Goto.
Japan reacted with an outpouring of fury and sorrow at the death of Mr. Goto, a respected journalist who was a veteran of war zones. Local television stations showed clips from his reports from places like Syria and Iraq, where he often reported on the plight of children and noncombatants. It was also noted that Japan was not even involved in the United States-led bombing campaign against the Islamic State, but its citizens were taken hostage and killed in the same cruel manner as those from other countries.
“I feel a deep despair that I’ve never felt before and an unfocused anger,” Taku Nishimae, a filmmaker who began an online campaign to free Mr. Goto by holding up a placard saying “I am Kenji,” told Kyodo News.
For now at least, such anger appears to have given Japan the resolve to reject the Islamic State’s threats, and to support Mr. Abe’s efforts to raise Japan’s profile in the Middle East.
At the same time, many Japanese also appeared ready to adapt to this new reality by discussing ways to reduce their nation’s vulnerability. On Japan’s Sunday morning political debate programs, politicians seemed to compete with one another in offering proposals to increase security, by such steps as more screening of foreigners entering the country, creating an overseas spy agency or writing new legislation to give Japan’s tightly constrained military more freedom to act overseas to protect the more than 1.5 million Japanese who live abroad.
“I don’t see any sign of the Japanese people wanting to back down; to the contrary, they are quite angry,” said Ichiro Fujisaki, a former Japanese ambassador to the United States. “It’s actually surprising the extent to which people are united in standing against the terrorist group.”
Other analysts agree that the Japanese public seems to be rallying around its leaders in a time of crisis. They added, however, that as the shock wears off, there will be more questioning of how Mr. Abe’s government handled the crisis. In particular, they expect growing attention on how much responsibility Mr. Abe should bear for creating the crisis in the first place.
“The debate starts from now,” said Fumiaki Kubo, a political expert at the University of Tokyo. “Opinions were divided before the hostage crisis, but they may prove even more divided after it.”
Critics on the left are already starting to fault Mr. Abe for provoking the Islamic State two weeks ago when he offered $200 million in nonlethal aid to countries that were confronting the group. In its initial ransom demand, the Islamic State made a point of demanding the same sum, $200 million, and later criticizing Mr. Abe for what it called his “reckless decision to take part in an unwinnable war” waged by the United States-led coalition against the militant group.
This has already been enough to renew fears among many Japanese that Mr. Abe’s efforts to raise Japan’s profile could end up entangling the country in distant wars. These concerns were apparent on Sunday in interviews with citizens on their views of Japan’s response to the hostage crisis.
Hiroyuki Hamada, 61, an engineer who lives in a Tokyo suburb, said he was opposed to getting any more deeply involved in the United States-led effort against the Islamic State.
“I fear we will just fall into an unending cycle of violence begetting violence,” Mr. Hamada said.
But there have also been strong popular shows of support for Mr. Abe and his efforts to make Japan a more global partner of the United States, on whom it still relies for its defense. In coming weeks, Mr. Abe will seek legislative changes to expand the role of the military; for instance, by allowing it to go to the aid of a friendly nation under attack, something it cannot now legally do. But Mr. Abe has also carefully insisted that he still wants to restrict Japan to a largely nonmilitary role
“No country is completely safe from terrorism,” Mr. Abe told Parliament last week. “How do we cut the influence of ISIL, and put a stop to extremism? Japan must play its part in achieving this.”
He has also emphasized that the $200 million in aid he offered two weeks ago was solely for humanitarian purposes. On Sunday, Mr. Abe proclaimed that he wanted to increase Japan’s nonlethal aid to countries opposing the Islamic State.
“The cruelty of the Islamic State has made Japan see a harsh new reality,” said Mr. Kubo of the University of Tokyo. “We now realize we face the same dangers as other countries do.”
Makiko Inoue contributed reporting from Sayama, Japan.
辺見さんが私事片々(2015/02/09)で言及してる記事。
首相、ファシズム否定を伝達へ ポーランド大統領に
http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015020701001721.html
→魚拓
政府は、安倍晋三首相とポーランドのコモロフスキ大統領との首脳会談を今月下旬に東京都内で開催する方向で調整に入った。首相はナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を象徴するアウシュビッツ強制収容所の解放70年に触れ、ファシズムを断固否定する考えを伝達する見通しだ。複数の外交筋が7日、明らかにした。
戦後70年を迎え、中国と韓国は歴史認識問題をめぐる日本の対応に神経をとがらせている。首相としては「悲劇を二度と繰り返させない」決意を示し、軍事大国化を狙っているとする中韓の批判は当たらないとのメッセージを国際社会に発信したい考えだ。
2015/02/08 05:30 【共同通信】
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