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2013年7月 2日 (火)

若い人への遺言です。加川良作詞作曲/教訓1 命はひとつ 人生は1回 だから 命をすてないようにネ。

 BBSへの投稿を採録。2013年 7月 1日(月)

 若い人への遺言です。まず第一次安倍政権時、2007年の東京新聞「こちら特報部」記事前半部の紹介画像と記事の表題です(記事テキストはこちら)。

20070110tokyo_tokuhou_ ←(スクロールして見るなら


 前半部、後半部まとめたのをpdfにしました⇒http://soba.txt-nifty.com/zatudan/0file/20070110Tokyo_tokuhou_.pdf

非国民の精神 フォークシンガー加川良氏

戦争行くな逃げなさい

私たちの「美しい国へ」 「教訓Ⅰ」死ぬまで歌う

政治なんかわかりません でも、服従はしない

それぞれを認め、愛する それが僕の「美しい国」

当時、安倍晋三の訳の分からないキャッチフレーズ、「美しい国」がマスコミの紙面によく出ていて、マスコミも揶揄したり批判していたのを思い出します。

 

加川良 「教訓 I」 Kagawa Ryo "Kyokun I" (Lesson One)
http://youtu.be/FSaMY7TRgFI

2007/07/28 にアップロード

概要:
(*Music starts at 0:10.*) Kagawa (born 1947) is one of Japan's great folk singers, and this song, "Kyookun I" (Lesson One), is one of the world's greatest anti-war songs. Kagawa debuted with this song at the 2nd Nakatsugawa Folk Jamboree (1970). The song's rhetoric works off gender expectations, and with allusions to the propaganda of WW II. Brilliant.

The translation is NOT a literal one, but rather meant capture the sense of the original in "sing-able" English. Any musicians out there want to try it?

 

加川良/教訓1
http://www.dailymotion.com/video/x6099ko

加川良/教訓1 投稿者 osanpodeonigiri

2002年12月、加古川市民チャリティコンサート

Sサーバーにアップmpgでも。

 

 その他、同じ曲の動画を2本。

加川良「教訓Ⅰ」
fujimarumasa
http://youtu.be/zl9XCQtsQUU

2008/11/09 にアップロード

mpg 

 

加川 良 教訓Ⅰ (1971年)
choochootrain729
http://youtu.be/RBFXtrkNDW4

Sサーバーにアップmpgでも。

 

 以下、歌詞。

教訓Ⅰ
http://mojim.com/twy116422x1x1.htm

作詞:加川良
作曲:加川良
唄 加川良

 命はひとつ 人生は1回
 だから 命をすてないようにネ
 あわてると つい フラフラと
 御国のためなのと 言われるとネ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 御国は俺達 死んだとて
 ずっと後まで 残りますヨネ
 失礼しましたで 終るだけ
 命の スペアは ありませんヨ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 命をすてて 男になれと
 言われた時には ふるえましょうヨネ
 そうよ 私しゃ 私しゃ 女で結構
 女のくさったので かまいませんよ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 死んで神様と 言われるよりも
 生きてバカだと いわれましょうヨネ
 きれいごと ならべられた時も
 この命を すてないようにネ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 

 まるで別の歌のような、それでいて不思議な魅力のある歌唱。

教訓Ⅰ-浜田真理子
BeyondLtd
https://youtu.be/0_jR3bDvQg0

2013/06/20 に公開

概要:浜田真理子『聖歌~はじまりの日~』(2002年/美音堂/SFS-005)収録
http://www.beyondo.net/mariko/?p=Release#SFS-005

SOBA:こちらで知りました。なお、↑概要のリンク先によると以下です。

タイトル曲の「聖歌~はじまりの日~」はFM802の'02年11月のヘビーローテーション曲。カップリングの2曲はカヴァーで、そのうち加川良の作品「教訓Ⅰ」は‘02年8月の「筑紫哲也News23」終戦特集にエンディングでフルコーラス放映され局に問合せが殺到した話題のテイクです。全曲アルバム未収録のセカンド・マキシ・シングル。

 

 「あの日、僕らは戦場で ~少年兵の告白~(沖縄戦)」と「戦争を知らない子どもたちへ 第二部 少年兵の戦後」のアニメ動画を後ろでアップ(←頁内ジャンプ)。

 

関連その1:加川さんがナレーターで出ている動画。

「イムジン河」伝説 (驚きももの木 20世紀)
再投稿
お散歩
http://www.dailymotion.com/video/x6090m1

「イムジン河」伝説 (驚きももの木 20世紀) 投稿者 osanpodeonigiri

驚きももの木 20世紀 朝日放送制作
1994.04.29放送 「イムジン河」伝説(ザ・フォーク・クルセダーズ)

21秒の所で「ナレーター:加川良」の字幕。(イムジン河関連エントリ

 

関連その2:東京新聞「こちら特報部」の記事で紹介されていた、加川良さんの曲「流行歌」と、同じく記事中に出て来た高田渡さんの曲を1曲採録。

流行歌 加川良 with ハンバート・ハンバート
cosmos1965
http://youtu.be/VD6C5rBarYk

2011/02/16 にアップロード

概要:
最近でも勢力的にライブ活動している加川良さんが、ハンバート・ハンバートの2人と名曲を共演したライブ映像です。

今はママになった遊穂さんがオリジナルを超える歌声で素晴らしい。
最近では良さんが、ハンバートの「夜明け」を必ず歌っています。

 

高田 渡/夕暮れ
oyamadai1945
http://youtu.be/TYAjy959_g0

2011/11/11 にアップロード

概要:
高田渡の「夕暮れ」ワンコーラスですが伴奏つきです

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 関連動画です。

1/2 あの日 ぼくらは 戦場で・沖縄戦
再投稿
Byzantine Desslok Basileus
http://www.dailymotion.com/video/x31yipz_

1/2 あの日 ぼくらは 戦場で・沖縄戦 投稿者 byzantine-basileus-z
公開日: 2015年08月17日
期間: 42:44

NHKアニメドキュメントあの日ぼくらは戦場で少年兵の告白 2015/08/11

 

2/2 あの日 ぼくらは 戦場で・沖縄戦
再投稿
Byzantine Desslok Basileus
http://www.dailymotion.com/video/x31yiqd_2-2

2/2 あの日 ぼくらは 戦場で・沖縄戦 投稿者 byzantine-basileus-z
公開日: 2015年08月17日
期間: 31:13

NHKアニメドキュメントあの日ぼくらは戦場で少年兵の告白 2015/08/11
2/2 NHK・あの日ぼくらは戦場で・沖縄戦

1/2と2/2の二つを結合したのを、Sサーバーにアップ 

 

戦争を知らない子どもたちへ2 少年兵の戦後
再投稿
tvpickup
http://www.dailymotion.com/video/x3gg8ob

戦争を知らない子どもたちへ2 少年兵の戦後 投稿者 tvpickup
公開日: 2015年12月02日
期間: 49:59

Sサーバーにアップ 

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 以下、資料として採録。なお、2007年元日から始まったこの『私たちの「美しい国へ」』シリーズですが、1から6までのもうしろで採録しておきます

 

 最初に雑談日記作成、安倍の美ちゅくしい国、逆から読んだら憎いし苦痛、戦時体制糾弾バナー。作ったのを忘れてましたが、検索していたらブログ『自由のための「不定期便」』たっちゃんさんの所で使われていて思い出す事が出来ました。感謝。
安倍の美ちゅくしい国、逆から読んだら憎いし苦痛、戦時体制糾弾バナー 安倍の美ちゅくしい国、逆から読んだら憎いし苦痛、戦時体制糾弾バナー

(↓クリックすると拡大)スクロールして見るなら
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 2007.01.10
 ・私たちの「美しい国へ」 <7> 非国民の精神 
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070110/mng_____tokuho__000.shtml
Internet Archive

■フォークシンガー加川良氏

 「歌い手は歌い手。政治的な発言はするべきじゃないと思ってます」

 待ち合わせた東京都世田谷区下北沢のカフェで、歌手・加川良は、そう話した。底抜けの笑顔だが、決然とした口調で、自分への戒めは固い。優しい関西なまりの抑揚でわずかに漏らしたのが、こんな言葉だった。

 「ただし、あの歌は死ぬまで歌わなきゃと思ってます。若いころはただのしゃれでした。面白い言葉を歌にしただけ。しかし、いつまでも無責任でいられる年でもないですから」

 あの歌とは加川が作詞作曲したデビュー作「教訓1」という歌である。

 埼玉県川口市にある「Roots」という名のライブハウス。六十人も入ればいっぱいという会場が、クリスマスイブを翌日に控えたその晩は全席が埋まる満員だった。舞台に加川が登場すると、

 「良さん!」

 と会場から野太いかけ声が飛んだ。ギターをかき鳴らし、張りのある声を体の奥から絞り出して、加川は歌う。一曲目が終わると短い口上があった。「私、逃げも隠れもいたしません」。ジャーンとギターが鳴って「教訓1」は始まった。

  (歌詞別掲)

 加川がこの歌を人前で初めて歌ったのは一九七〇年八月八日。岐阜・中津川で開催された当時としては日本最大の野外コンサート「全日本フォークジャンボリー」だった。約八千人の聴衆を前にした屋外ステージに、長髪とジーンズ姿の加川は、ギター一本とこの歌を引っ提げて「飛び入り」で登場。喝采(かっさい)をさらって吉田拓郎などと並ぶこのコンサートが生んだ伝説のシンガーとなった。「逃げなさい 隠れなさい」という歌詞から「シラケ世代の旗手」などと呼ばれた。

 実際に、加川の歌が若者に受けた理由は、時代背景と無縁ではなかった。日米安保条約の継続に反対する学生運動の炎が日本列島で燃えさかっていたころだった。コンサートの一カ月半前の六月十四日、三万五千人の群衆が東京の青山通りをデモ行進し、過激派の火炎ビン、投石のために警官三十三人、一般人十八人が負傷した。当時の首相は安倍晋三首相の大叔父にあたる佐藤栄作だった。

 大きなうねりの中で、高石ともや、岡林信康など先輩のフォーク歌手は「ともに戦おう」と「反戦」のメッセージを歌った。東京・新宿駅西口の地下道を「フォークゲリラ」と呼ばれる若者たちが埋め尽くした。

 だが「教訓1」は少し違った。戦う前に「逃げろ」というのだ。「しりごみなさい」というのだ。

 当時の心境を加川が振り返る。「こぶしを振り上げて叫ぶ、というのが好きではなかった。じゃあ、なぜ、あの歌かというと、誰も歌ったことがない日本語探しをやった結果でした」

 グループサウンズのボーカルだった学生時代は、ビートルズのコピーに夢中で、日本語の歌など歌ったことはなかった。ところが音楽出版に社員として入社。CM用の資料を作るために所属アーティストの曲をヘッドホンで聴くのが仕事になった。

 初めは苦痛ですらあったが、続けるうちに聞いたこともない日本語を歌う歌手がいることを知った。高田渡という名前だった。

 「日本語って深いなあ」と見よう見まねで、日本語で歌うフォークソングの作詞作曲を始めた。そのころ地下道で売っていたミニコミ誌をパラパラと立ち読みした。ふと目に付いたのが、児童文学者・上野瞭が書いた短い文章だった。

 「どんなにおいしいことをいわれても、戦争になんかいっちゃいけない。逃げなさい。命を大切にしなさい、というような内容でした。自分の気持ちにぴったりだった」

 これが原型となり、「教訓1」は誕生する。フォークジャンボリーには裏方のつもりで出かけたが、高田渡らにステージに引っ張り出された。一夜にしてスターの仲間入りを果たしたが、「歌い手になれたのか」という感慨しかなかった。

 安保闘争に代表される全共闘運動は七二年の連合赤軍あさま山荘事件を契機に急速に勢いを失い、フォークソングも八〇年代に入って、ニューミュージックに華やかな場を奪われた。

 だが、加川は全くペースを変えずに歌い続けてきた。北海道から沖縄まで全国のライブハウスやホールを毎年巡る。そんなコンサートは年に七、八十回にもなる。最近は「旅」「出会い」などをテーマに曲を作ることが多くなったが、大抵のコンサートでは「教訓1」も歌う。

 観客は圧倒的に四、五十代の男女が多い。

 例えば東京都葛飾区在住の女性、通称「さっちゃん」=年齢不詳=は昨年、二十五カ所のコンサート会場を巡り、自己記録を更新した。

 「インターネットを見ていて、青春時代にファンだった加川さんが、まだ歌っていることを知ったのね。来てみたら、ここの温かい雰囲気にはまってしまって、もう八年になるかな」

 古い歌を歌うのは、そうしたファンへのサービスでもあるが、加川自身、「最近、この歌がようやく面白くなってきた」と思うからでもある。

 「私は政治のことなんかなーんにもわからない人間です。何が『美しい国』やら知らないし、安倍政権の安倍の字だって間違える。でも、ここ数年の間に日本は随分勇ましい国になったとは思います。国策だの愛国心だの、そんな言葉が軽く使われるようになった。あっという間にね。だから、あんな『非国民』の歌も歌った方がいいのかなと」

 給食費を払えないような家の子が愛国心なんか持てるのかと思う。そんなもの学校で教えるより愛される国を造れば良いと思う。

 だからお国に無体なことをいわれれば「ちょっと失礼!」と走って逃げる。「逃げるって案外パワーがいる。攻めるより情熱が必要かもしれない」と。

 加川のいう「非国民」の精神とは、そういうことだ。肩ひじ張って逆らわず、しかし、まつろわず…。

 ファンの間で「教訓1」よりも人気が高い「流行歌」という歌がある。

 君は君のことが好きでありますように

 僕は僕のことが好きでありますように

 「それぞれを認め、愛するということ。僕にとっての美しい国とは、こんなイメージかもしれないな」

 今年還暦を迎える歌手は、穏やかな顔でそう話した。 (敬称略、坂本充孝)
  =おわり

◇教訓1

 命はひとつ 人生は一回
だから 命を すてないようにネ
あわてると つい フラフラと
御国のためなのと いわれるとネ

青くなって しりごみなさい
にげなさい かくれなさい

御国はおれ達 死んだとて
ずっと後まで 残りますヨネ
失礼しましたで 終わるだけ
命の スペアは ありませんヨ

命をすてて 男になれと
言われたときには ふるえましょうヨネ
そうよ 私しゃ 女で結構
男のくさったので かまいませんよ

死んで神様と 言われるよりも
生きてバカだと 言われましょうヨネ
きれいごと ならべられた時も
この命を すてないようにネ

(歌詞の一部は現在、ライブで歌っている内容による)

 

追記(2014/12/12):このエントリーの約1年5か月後の記事。

反戦歌うと「監視」 対象のミュージシャンが警鐘 
2014年12月6日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014120602000127.html
魚拓、→魚拓2 

Pk2014120602100046_size0 平和ソングを歌うシンガー・ソングライターの男性=宮城県亘理町で


 ♪泣きながらあなたの帰りを待っている日々は 今日で終わり すてきなニュースがラジオで流れた(中略)信じられるかい すべての戦場が なくなった 今日なくなった

 宮城県亘理(わたり)町のスーパーマーケット前。自衛隊のイラク派遣が間近に迫っていた二〇〇三年十二月、地元に住むシンガー・ソングライターの男性(49)の歌声とギターの音色が響いた。平和への思いを込めた自作の曲。ライブの傍らで知人女性が派遣反対の署名を集めていた。

 六日で成立から一年となる特定秘密保護法が十日施行される。男性は自分の経験から懸念を強める。

 ライブから四年後、報道機関から突然、電話がかかってきた。「あなたが自衛隊の内部資料に載ってます」。資料は共産党が自衛隊員の内部告発を基に公表したものだった。男性の仕事は福祉系団体職員。所属政党もない。ライブ活動は芸名だ。それなのに勤務先や本名まで記されていた。

 「陰湿さ、恐ろしさを感じた」。知らぬ間に監視対象にされたことに震えた。

 「戦時中に憲兵隊や沖縄の日本軍がやったような国民監視はやめさせねば」。男性は〇九年二月、自衛隊の監視差し止めを求める裁判を仙台地裁に起こした。

 一方で「自衛隊に監視されていたら、子どもが安心して学校に行くこともできない。嫌がらせをする人が現れるかも」という不安もあった。妻も心配したため裁判の記者会見などで名前を出さないと約束した。

 被告の国は一審で文書作成の有無の回答すら拒み続けたが、一昨年三月の仙台地裁判決は「個人情報をコントロールする権利、人格権を侵害した」として、自衛隊が男性の個人情報を収集した文書を作ったのは違法と認め、国に賠償を命じた。国は控訴したが、控訴審で事実上、情報収集を認めざるを得なくなった。

 秘密保護法は、防衛や外交などの情報が幅広く「特定秘密」に指定される恐れがある。運用基準では、行政機関の違法な行為を秘密に指定することを禁じているが、行政担当者の判断次第で情報は秘密保護法の指定対象となる。

 裁判で男性を支える小野寺義象(よしかた)弁護士は「『それは特定秘密だから答えない』という対応ができるようになり、裁判所が秘密を明らかにするよう命じるハードルが上がる」と指摘する。

 男性は「今後は内部告発があり裁判になっても、勝てなくなるかも」と感じている。小野寺弁護士が危惧するのが内部告発の抑制だ。秘密指定情報を漏らした公務員は最長十年の懲役刑が科される。「そんなリスクを冒す役人はいるのか」

 男性の個人情報を記載した内部資料には、消費税増税に反対する団体の活動も盛り込まれていた。男性は仙台で脱原発デモに参加しながら、監視の網が広がる不安をぬぐえないでいる。「原発再稼働や集団的自衛権への抗議活動も監視され、参加者を調べているかもしれない」 (西田義洋)

 

追記(2016/01/03):このエントリーの約1年4か月後の記事。

「教訓1」は歌うたんびに新曲です シンガー 加川 良さん 
2014年11月16日(最終更新 2014年11月16日 14時02分)
http://www.nishinippon.co.jp/nlp/get/article/127395
Internet Archive 

201411160001_000
201411160001_001
2014年11月16日(最終更新 2014年11月16日 14時02分)

 フォークソング全盛の1970年、〈だから命を捨てないようにね…お国のためなのと言われてもね〉などと、ちょっと冗談めかしたプロテストソング「教訓1」で世に出たシンガー、加川良さん。あれから毎年、全国を1年かけて一巡するライブを重ね、ずっと「教訓1」を歌い続けているそうです。

 ‐今も「教訓1」歌うんですね。

 ★加川 当然、歌ってますよ。新曲ですよ。歌うたんびに新曲だと思えるんです。今は「集団的自衛権」というタイトルで歌ってます(笑)。歌詞は何も変えてません。「福島第1原発」というタイトルでもこのまま(当てはまるわけ)ですし。当時はベトナム戦争があってましたから反戦の歌だと思われがちですけど、ほんとは命の歌。生きているからこそ良き人と出会っていい時間を持てる。生活も大笑いも大泣きも…年取るってそんな悪いもんじゃない。命は一つでも100回生きたという人もいるでしょうし。やっぱ生きてないといかん、という歌ですから。

 ‐集団的自衛権の行使容認をめぐる閣議決定とか、特定秘密保護法の採決強行とか、武器を輸出しやすくしたりとか、よく議論せずに(憲法解釈を見直し)大事なことが決まっていく。危うい感じ。「教訓1」は今、“国のためだ”とか言って一つの方向に同調を求める圧力にいたずらに流されるな、という警鐘にも聞こえますが。

 ★加川 はい、戦争のことでも歌えます。原発事故のことでも歌える。命の歌ですから、歌い始めて四十数年たちますけども(時代に)合わないなと思った時代は一度もないですもん。変わってないんですよ、世の中なんて。

 ‐「血まみれの鳩」「まぼろしのつばさと共に」(五つの赤い風船)とか「もずが枯木で」(岡林信康)とか、70年前後、反戦歌が盛んに歌われた。今はあまり耳にしないし、新しいメッセージソングもあまり聞かない。なぜですかね。

 ★加川 歌(の主題が)が反戦だけで狭いとこに入ると、ずっと歌っていくのがつらくなるということはあるかもしれない。「教訓1」は今も20、30代の人たちがロックやパンクでガンガン歌ってくれます。原発事故や福島に関することで歌うとか。実は若い人たち、社会に問う、という歌、皆やってるんですよ。昔の大人が岡林信康さんや高田渡さんを知らなかったように、親になった僕らが知らないだけ。彼らなりにインディーズでバンバン動いてる。若い人のネットの世界で1万枚も10万枚も売れてるCDがたくさんあるんですよ。

 ‐「教訓1」は何をモチーフにどう作ったんですか。

 ★加川 大阪・梅田の地下街でガリ版刷りの文集を売る人がいて、100円もしなかったかな。買ったらこういう風な内容のことが書いてあって、これはいいな、(参考にして)歌を作ろうと考えた。当時はまだ(URCレコードの)アート音楽出版の社員で、運転手をしながら高田渡さんや岩井宏さんのツアーについて回ってた。詞や曲はここはこんな感じがええぞ、とかお二人に直してもらったりしたんです。

 ‐「教訓1」は今、時代が呼び戻してるような気もします。

 ★加川 私はあんまりこういうことは言わないようにしてるんですけど、今、ヤバいなと思うのは戦争に行ったことがない、戦争を知らない人たちが政治を動かしている。僕らの小さい頃はまだ戦争を知ってる人がたくさんいた。戦争に行った人は皆、二度と戦争はするな、戦争は絶対やったらいかんと言った。今は戦争を知らない人が戦争やろうと言う、ような。それはお国のためというよりお金のためじゃないですか。でもね、この世界をつくったのは戦後生まれの僕ら。選挙で一人一人がちゃんと人を選ばないかんと思います…。一つ言うとくと、〈逃げなさい 隠れなさい〉と歌ってますが、(今の国際情勢では防衛力は必要で)逃げてばかりは居てられない時代なのは確かですね…。

 ‐今どんな思いで「教訓1」歌ってますか。

 ★加川 ライブでどう聴いてくださるのか(反応を)楽しんでます。「集団的自衛権」を歌いますと言って「教訓1」を歌うと、皆さん、ほくそ笑んでくださいます(笑)。僕は、ただの歌い手、ですから。

 ▼かがわ・りょう 1947年11月21日滋賀県彦根市生まれ。70年、岐阜県であった中津川フォークジャンボリーで「教訓1」を歌い注目される。71年、アルバム「教訓」でレコードデビュー。代表曲に「下宿屋」「コスモス」「女の証し」「流行歌」。11月29日午後8時から福岡県福津市中央のシェパパで、同30日午後5時半から、福岡市早良区高取の紅葉八幡宮社務所でライブ。BEA=092(712)4221。

=2014/11/16付 西日本新聞朝刊=

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 以下、2007年元日から始まった東京新聞、こちら特報部の『私たちの「美しい国へ」』シリーズ1から6まで。加川良さんを紹介している「7」までのシリーズだった。

 

 2007.01.09
 ・私たちの「美しい国へ」 <6> 裏金告発 
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070109/mng_____tokuho__000.shtml
Internet Archive

私たちの「美しい国へ」 <6>
裏金告発

 二〇〇四年二月十日午後二時、札幌市の弁護士会館。テレビカメラと照明機器の並ぶ記者会見場に足を踏み入れると、五十人以上の報道陣が、原田を振り向いた。

 原田宏二。北海道警の元釧路方面本部長である。道警採用のノンキャリア出身ながら最終の階級は警視長。警視総監、警視監に次ぐこの階級は、警察社会で雲上人にも等しい。そんな最高幹部OBが、報道陣の前で警察の裏金問題を告白したのだ。

 原田の告白は衝撃的だった。国費である旅費や捜査費、道費である捜査用報償費、参考人旅費などを使って裏金をつくり、副署長らが裏帳簿で管理。警察署の署長交際費、懇親会費、道警本部では警察庁接待などに使った。そして、ニセ会計書類や二重出勤簿を作り、「架空の事件」をでっち上げて国の検査を逃れたこともあったというのである。

 原田証言を機に、警察の裏金問題は拡大してゆく。道警は捜査費など約十一億円の裏金化を認め、〇五年十一月までに国と道に計九億六千万円を返還するはめに陥った。

 警察庁は捜査費支出の際の偽名領収書を廃止するよう通達するなど、火消しに躍起となったが、静岡県警、福岡県警、京都府警など日本列島各地で裏金が発覚。

 高知県警は昨年十二月、警部以上だった幹部百十三人の処分に追い込まれた。警察の「裏金ドミノ」はとどまるところを知らない。

 間違いなく、ドミノのキーパーソンといえる原田の自宅へは、激励のみならず恫喝(どうかつ)の手紙が舞い込む。「偽善者め! 裏切り者の報いは、お前が死しても残る!」。心の通じている現職警察官やOBから「身辺に注意した方がいいです。警察は何をするか分からない」との忠告も寄せられる。

 その原田は、情報公開などに詳しい弁護士・清水勉とともに「明るい警察を実現する全国ネットワーク(警察ネット)」を運営し、講演活動などで全国を駆け回るかたわら、長年、裏金づくりを拒否し続ける警察官らと連携、もしくは支援している。

 原田が「愛媛の厳窟(がんくつ)王」と名付けた仙波敏郎巡査部長も、その一人。愛媛県警鉄道警察隊に勤務当時の〇五年一月、仙波は松山市の弁護士会館で記者会見。裏金システムの実態を告発したが、一週間後に通信指令室へ配置転換された。〇六年六月、県人事委員会は「人事権の乱用」を認定し「異動は妥当性を欠く不利益処分」と断じた。しかし、不服とする県警が十二月七日、人事委に再審請求した。「厳窟王」の闘いは続く。

 原田は言う。「現場で一生懸命やっている連中が、最後は組織につぶされてゆく」。仙波は、その典型だという。

 「仙波のほかにも、裏金システムにクレームをつけた警察官は、たくさんいる。仕事熱心な警察官たちが警察に絶望して職を辞したり、要注意人物のレッテルをはられ飼い殺しにされている」

 原田は「裏金システムは、現場の捜査費不足を生む。それでも捜査員は、猟犬のように拳銃を追う。ノルマに追われながら」と話す。そんな事情が、無理な捜査手法の蔓延(まんえん)につながったという。例えば「首なし拳銃」捜査のような。

 長年、拳銃摘発に携わった関西の元警察幹部は「警察官が外部の協力者に、拳銃をコインロッカーなどに隠すよう頼み、タレコミで分かったふりをして拳銃を押収する捜査手法がある。拳銃の持ち主(首)は分からなかったこととし、協力者は検挙しない。これが首なし拳銃だ」と解説する。「だから、首なし拳銃捜査は立派な犯人隠避罪なんだ」とは原田。

 前出の警察幹部は「拳銃一丁入ると(摘発すると)警察庁から百万円(の捜査費)が出るといわれていたが、途中、さまざまな幹部に半分ずつ抜かれてしまい、手柄を立てた所轄署に届くのは、八分の一の十二万五千円だった。それも署長の自由裁量になるため、捜査員は自腹を切るほかなかった」と明かす。捜査費の大半が裏金に回り、飲み食いに費消されていたのか。

■自腹しかないエース捜査員

 原田は、拳銃摘発に剛腕を発揮した刑事を思い出す。危険な協力者を使って首なし拳銃捜査に全力投入した彼は、警察部内でエースともてはやされたが、家族の身を守るため自宅以外のマンションを転々とせざるを得なかった。ところが、捜査費が与えられないため、こういう刑事は自腹で協力者に金を提供するうち資金ショートに陥り、交換条件として薬物取引を目こぼしし始めるケースもあるのだという。

 そこまで現場に無理をさせる背景に、原田はキャリア組の警察官僚が描いた「机上の空論」をみる。

 「旧来、各都道府県警が刑事部の暴力団捜査の中で行ってきた拳銃摘発を生活安全部に移管し、銃器対策課という専門部門までつくったのは警察官僚だ。どんな捜査も狭い範囲に特化すると成果を上げにくくなり、無理をする。新組織をつくった以上、実績を上げねばならないのが警察でもある。『とにかく拳銃を挙げろ』の大合唱が現場を圧迫したことは否めない」と原田。「警察ほど現場性の強い官庁はないのに、現場を知らないキャリア官僚が間違いを犯している。その典型が“平成の刀狩り(拳銃摘発)”だ」

 たしかに、暴力団組員の妻の釈放を条件に、警察が組員に拳銃を要求する事件、警察官が拳銃四丁を二百万円で購入する事件などが続発した。警察の内情に詳しいジャーナリスト・大谷昭宏も「キャリア警察官が全国の警察に銃器対策課をつくった結果、銃器発見の“やらせ”が多発した」と断言する。

 新聞記者時代、警察取材に明け暮れた大谷は、上の圧力が現場をやらせ捜査に走らせたあげく、現場だけがトカゲのしっぽ切りに遭うと感じている。「官僚の失政はいつも責を問われない。民間と大違いだ」。警察官僚批判を口にしてはばからない。ずいぶんと警察内部のシンパを失ったかと思いきや、そうではないという。「現場にもキャリアにも、良識派っているものなんだ」

 トカゲのしっぽが反論しなければ、警察は蘇生(そせい)しない。原田たちの思いを煎(せん)じ詰めれば、こういうことだろう。

 友人の忠告通り、原田の身辺には“監視の目”がつきまとう。きょうは? 積雪に足を取られながら聞く記者に「いないみたいだね」。最近の警察は尾行がへただから、いれば、すぐ分かるという。偶然すれ違った元部下が笑顔をよこした。後悔していませんか? 記者のこんな愚問には「上を向いて歩くよ。胸を張ってね」。まるで、趣味か星座でも聞かれたような調子で答えた。「日本ではね、内部告発者は、まだ密告者扱いなんだ」。ほほ笑みを残して、原田は、札幌の夜景に溶け込んでいった。 (敬称略、市川隆太)

<デスクメモ> 十年以上前、夜回り取材で刑事から「警察の経理はでたらめだ」という話を聞いた。当時は記事化する頭も腕もなかった。いま警察の裏金の記事が出るたびに、古傷がうずく。あの刑事も悩む一人だった。組織をとことん守ろうとする「警察一家」。閉鎖社会ともいえる中で、異端者となる勇気は想像を絶する。(里)


 2007.01.08
 ・私たちの「美しい国へ」 <5> アリの前で止まった象 
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私たちの「美しい国へ」 <5>
アリの前で止まった象

 脱ダム宣言、不信任と再選、ガラス張りの知事室…。五年八カ月の長野県知事時代、強烈な個性とパフォーマンスで話題を振りまいた作家で新党日本代表、田中康夫。県政から離れた今も、彼の脳裏に焼き付いているのは、長野県内の北アルプスのふもと、安曇野を流れる万水(よろずい)川の堤防から眺めた風景である。

 万水川は黒沢明監督の映画「夢」の舞台ともなった豊かな水量を誇る川で、ロケ地から一キロほど上流の地点に「せせらぎの小路」と刻まれた丸太の標識がある。そこから約一・二キロほど、堤防の上に川を見下ろす遊歩道が続いている。

 道には、木くずと土を交ぜて敷きつめてある。造成から二年半の時がたち木片の多くは原形をとどめていないが、歩いてみると、靴底から木の軟らかな感触が伝わる。

 目を移すと、水辺でダイサギが小魚を狙っている。

 田中自らが思い描く現場の一つとしてこの場所を選んだのは、郷愁を誘う風景もさることながら、この遊歩道をつくる小さな事業が「お上の発想ではなく、地域の意思によって現場の県職員が触発されて実現した」からなのだ。

 使った材料は地元の河川にたまった砂、地元の森を整備する際に出る木くずのみ。地域の建設事務所が材料をかき集め、小型のローラーを提供、工事には住民が主体的に参加した。県の予算は事実上ゼロだが、地域の声は確実に行政に届いた。

■せせらぎの道わたしの原点

 万水川の保護を訴えてきた自然体験施設を営む吉沢真(42)も「惜しいな、中途半端に終わったなと感じる点も少なくないが、初めて(われわれのような)アリんこの声を聞いてくれた」と当時の興奮を忘れてはいない。

 吉沢は当時の思いを一枚のイラストに描き、今でも施設の小屋に大切に飾っている。葉っぱの傘をさしたアリの前で、巨象が立ち止まりアリにやさしい視線を送っている姿だ。

 田中も「この事業は、その後、住民主体のさまざまな事業展開をしていく原点となった」。

 田中の心に残るもうひとつの光景は、木製ガードレールだ。

 観光客から「信州の森の中で、あの白いガードレールは似つかわしくない」と苦情をもらったのがきっかけ。こちらは「循環」がキーワードだ。

 輸入材に押されて行き場を失いかけていた地元スギの間伐材を使い、地元業者が製造するのがミソ。通常のガードレールなら製造業者は東京周辺の数社に限られ、県が投じたお金の大半は東京に流れていく。この流れを、資源もお金も県内で循環するよう何とか変えたかった。

 県土木部が県内の土木業者らに開発を持ちかけたところ十一社が応募。デザインなどで選ばれた五社のうち三社が国の衝突実験に合格し、三タイプが製品化された。

 安曇野市でも、長野自動車道豊科インターを降りた辺りから木製ガードレールが続き、「あ、森林の県に来たんだ」と実感させられる。軽井沢や南木曽など観光地を中心に鉄製からの更新が進んだ。

 「これも決して大きなトレンドにはなってないんだよなあ」。田中はこうボヤきながらも、「県外からの引き合いも多く、小さな芽は育ちつつあるんだよ」と目を細める。

 「コモンズ」。どんな社会が“美しい国”と考えるかを語る際、田中が好んで口にする言葉だ。

 もちろん田中がつくった造語ではなく、「共有の」を意味する「コモン」から派生した言葉。古くはイギリスで牧草地を管理する自治組織を指したという。

 森や川、空気、道路、教育などは特定の人のものではなく、地域の人々が共有しているとの考え方をもとに、田中は「中央が上で地方が下、お上が指示をして住民が動くようなピラミッド構造の社会ではなく、水平的に補い合うのが、優しさ、確かさ、美しさを持った社会だ」と訴える。

 前出の遊歩道と木製ガードレールにしても、住民からの発想、地域の資源を地域で共有しようという点でコモンズにつながっているのは確かだ。

 改正教育基本法に書かれた「公の精神」とはかなり意味合いが違うが、「公」という言葉にもこだわっている。

 「字を見れば分かるが、『私』は穀物を人に渡さないようひじ鉄を食らわせている。『公』はひじ鉄を人が包み込んで意識を公共に転換する姿。今の官にはサービス意識、公の気持ちがない」と、現在の行政には「包む」気持ちが欠けていると批判する。

 住民には優しさを示す半面、県知事時代は県内部に対しては厳しく、いまだに職員からは「あれだけ人員を減らしておきながら、仕事量だけは求めてきた」と憎しみに近い言葉も聞かれる。県議会でも常に「パフォーマンス政治」という批判にさらされた。

 「いろいろ言われていたのは知っている。だけど、職員が反発しないようなものは改革なんて言えない。パフォーマンスと言うと悪く聞こえるが、求めたのは性能、効率といった意味でのパフォーマンス」と反論してみせた。

 ダムという国の補助事業を否定した田中。だが、補助金そのものは必ずしも否定はしていない。「補助金がいけないのではなく、霞が関、永田町などの中央に都合のいいヒモがついている補助金のあり方だ」と強調する。

 「たとえば林野庁の治山事業。予算のうち森林の整備に使われるのはわずか8%。残りはやや乱暴に言うと谷をコンクリートで固める工事に使われる。補助金のあり方が正しければ、今ごろはどこも恵みの山。森林は整備され、雇用もあるはず。ところが、現実にはがれき、コンクリートの山ばかりになった」

 その上で、今後の補助金のあり方についても、やはり山林を例に言及する。

 「ざっと一千万円あれば四十二ヘクタールのスギ林の間伐ができる。同じ金額でより広い面積を整備できれば、翌年度はごほうびとして何かインセンティブ(刺激)の予算をつける。逆にノルマの広さを安くできた所は、違う事業に回すことを認めてあげる。こういう形で成果を求めるように変えていけば、国や地方自治のあり方は目に見えて変わる」

 長野県内には、介護保険制度の発足前から配食サービスや在宅福祉に取り組んでいる泰阜村や「田直し」で知られる栄村などユニークな試みをしている市町村は少なくない。

■ハコ物には躍動しない

 しかし、急速に進む少子高齢化の波、そして中央と地方、地域間格差の拡大。昨年六月には、北海道夕張市が財政破たんした。

 「夕張市は人口も借金も国の一万分の一。いわば日本の縮図。借金で観光施設を次々とつくり破たんしたが、ハコ物をつくる発想でやっているからこうなる。かつての新幹線だって黒部ダムだって、国民は『日本は捨てたものじゃない』と思った。しかし、今や似たものをつくってもだれも躍動感を覚えない」

 田中はこう批判しながら、政府・与党間で大きな議論を呼んだ道路特定財源を引き合いに続ける。

 「この財源だって、安易に一般財源化するんじゃなくて、電柱の地中化にどんと使い、お年寄りから配送業者まで誰の目にも見える変化を起こす。美しい街並みが戻れば、また『捨てたもんじゃない』という気持ちがこの国によみがえってくるはずだ」 (山川剛史、敬称略)

<デスクメモ> かつて自民党最大の田中(角栄)派「木曜クラブ」は、国会近くの「砂防会館」に堂々と拠点を構えていたものだ。政界と建設業界の蜜月関係は、日本の山を砂防ダムだらけにした。造れば埋もれ、埋もれれば造る、無限の公共事業だ。これに「待った」をかけるのが脱ダムの精神。火を消さないよう大切に。 (充)


 2007.01.07
 ・私たちの「美しい国へ」 <4> ホームレス支援 
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Internet Archive ←エラーで採録出来ずになっていましたが、こちらで拾えました。

私たちの「美しい国へ」 <4>
ホームレス支援

 暮れも押し詰まった昨年十二月三十日午後七時すぎ、東京・新宿のJR新宿駅西口地下に十四人の男女が集まった。

 ホームレスと呼ばれる路上生活者の訪問活動を続ける民間非営利団体(NPO)「スープの会」のボランティア参加者たちだ。二十-四十代、「初めて来た」という人もいる。特にケアが必要なホームレスの情報が説明された後、参加者たちは三グループに分かれて街に出た。

 「来たい人が、来られるときに来る。しばりのない緩やかなやり方が、続いている理由でしょうね」。スープの会世話人の後藤浩二(37)は言う。訪問活動は一九九四年夏、社会福祉を学ぶ学生だった後藤ら約二十人が始めた。当時、新宿区などのホームレスがニュースに取り上げられ始めていた。「仲間と『街に出て言葉を交わすことから始めよう』と話し合ったのがきっかけだった」

■12年半継続緩やかさがカギ

 「死ぬ前にネクタイを締めた姿を息子に見せたい」-。初めて声をかけたホームレスの生の言葉が「ずっしりきた」。以来十二年半、訪問活動は毎週土曜日に欠かさず続けられている。年末年始の訪問は三十日から今月二日まで四日間続けられた。

 ボランティアは「こんばんは」と一人一人に声をかけて体調を尋ね、ポットのみそ汁やタオル、使い捨てカイロを手渡す。失業、借金苦、家族崩壊…。ホームレスになった理由はさまざまだ。毛布からはい出し「ありがとう」と笑みを浮かべる人もいれば、「いらねえって言ってるだろ」と声を荒らげる人もいる。

 一帯の歩道では一斉に工事が行われているため、夜だけ寝に帰ってくるホームレスが多い。そのせいか、四方を囲っただけで“屋根”のない段ボールハウスが目立つ。昨年十一月には低体温症とみられる死者も出た。「意識がもうろうとしていたので救急車を呼んだが搬送不要と判断された。翌日、再訪問すると、既に警察が検視していた」。暖冬とはいえ、屋外は三十分もいると足元から寒さがはい上がってくる。

 後藤たちは九六、七年ごろから、ハローワークや福祉事務所への付き添い活動も始めた。「仕事を見つけてアパートに入っても、地域から孤立して酒やギャンブルに走り、再び路上に戻ってしまう人が半数ぐらいいた。アパートを訪ねたら孤独死していたケースもあった。路上生活をやめた人には地域とのつながりをつくる仕組みが必要。いまのホームレス政策ではつながらない」と感じた。

 後藤たちは二〇〇〇年、ホームレスのグループホームを運営する事業部門を設立した。常駐スタッフや巡回のボランティアが家事のやり方などをサポートする一方、生活保護の住宅扶助から家賃をもらって運営費に充てる。〇二年には新宿区から「宿泊所等相談援助事業」などの業務委託を受ける形で人件費が出るようになった。

 「運営資金としてまったく足りないが、NPOがつくったものを行政が追認してお金を出す形になった」。後藤は専従の事業部門の代表理事になった。もっとも収入は「妻が働いていなければやっていけない」程度だ。
新宿区の住宅街の一角。小さなビルの一階にある「風まち喫茶」に昼下がり、グループホームに入った男性たちが一人、二人と訪れてくる。コーヒーを飲み、ボランティアの学生や近所のおばちゃんと、とりとめのない話をして去っていく。
喫茶は〇三年八月にオープン。地域のサークル活動にも場所を提供する。「猫を飼いたいという入居者がいて、近所のおばさんが一緒に猫を探す。そういうつながりの中で暮らしが保たれていくのかな、と思う」
東京都と二十三区は〇四年から公園のホームレスを対象に、青テントを引き払う代わりに月三千円の家賃でアパートを提供し、就労支援を行う全国初の地域生活移行支援を始めた。
しかし、事業を利用したホームレスの七-八割は五十歳以上。もともと就労は厳しい。都生活福祉部によると、昨年十二月下旬の時点で「自立」(月収十三万円以上)とされたのは一割強、病気などで働くことができない生活保護受給が四割強、収入が自立基準に届かない残り五割弱が一年限定の再契約という結果だった。期限が切れた後、どういう対策が取られるかは不透明だ。
 「自立とされた人と生活保護受給者は契約更新がなく、自分で新しい転居先を探せということだった。アパートで二年間、かろうじて紡いできた地域社会との関係が、また断ち切られてしまう」。後藤は憤りを隠さない。
 地域生活移行支援事業の実施前、二十三区側には「生活保護の掘り起こしにつながる」との警戒感が強かった。事業で借り上げられたアパートも特定の区に集中しないよう二十三区に分散された。

■派遣仕事で困窮者増加

「社会福祉制度のありようではなく、密室での費用分担の議論に終始してしまった。二年たったら暮らしの基盤が一掃されてリセットされる。これがモデル事業とされるなら、一体何のモデルなのか。地域生活を維持できる仕組みを行政として考えてほしい」  後藤は続ける。「戸山団地の孤独死問題にも同じ構図がある。独居高齢者が各地から集まって孤立している。ホームレス状態に置かれているのは路上だけではない。コミュニティーのありようが問われている」
政府は昨年十一月、景気拡大が、戦後最長だった「いざなぎ景気」を超えたと発表した。一方でワーキングプアが社会問題化しつつある。 「確かに月二、三万円のパート仕事は山のようにある。青テントにいた人たちは空き缶、雑誌集めでそのぐらいは稼いでいた。パート、派遣仕事の増加が逆にホームレス状態を生む要因になっている」。スープの会には、ホームレスではない生活困窮者からの相談電話が増えているという。
「ホームレスの大半は普通の仕事に就ける年齢でなく、意欲の問題では片付かない。『勝ち組負け組』という相対的な問題ではなく絶対的な貧困状態。国として(生活の)最低ラインをどうするかという問題だ」
最後に後藤はこう繰り返した。「ホームレスをなくせというのは現実的ではない。ただ、路上で生活する人がいるのをよしとしない価値観を持つ社会であるべき。なぜ、そういう人がいるのか、絶えず問いかける社会であるべきでしょう」 (中里宏、敬称略)

<デスクメモ> 公園を散歩して気づくのは、夜になると使用できなくなるようになっている水道口(水道そのものがない場合もある)、そして川に架かる橋の下には潜り込めないように鉄網が張ってある。ホームレスが近寄るのを防ぐためとも取れる措置だ。「見えなくなればよい」的発想では何の解決にもならない。   (蒲)


 2007.01.04
 ・私たちの「美しい国へ」 <3> 子育て力が弱っている 
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私たちの「美しい国へ」 <3>
”子育て力が弱っている”

■ベテラン保育士高瀬敬子さん

 名古屋市内の大通りから一歩奥に入った狭い路地にある「荒畑・もちの木共同保育所」。これまで千組以上の親子を見てきたベテラン保育士の高瀬敬子(54)が「おかしい。何かがおかしい。お母さんたちの子育ての力が弱ってきている」と思い始めたのは、もう十五年以上前になる。

 無認可保育園「荒畑・もちの木共同保育所」の二十数年の歩みは、「お母さんたちの変化」と共にあった。もともとは認可保育園に入れない子供の「預かり保育」だけだったが、二十年前、「一時間でも息抜きしたい」という専業主婦も対象に「一時預かり」を、十五年前に第一子の子育てに悩む母子交流の場「赤ちゃん広場」を開始。予約せずに子連れで園に来られる「あらもちクラブ」、高齢者や中、高校生を招いた世代間交流会-。子育ての現場を知れば知るほど、新しいニーズが見えてきた。

 高瀬さんは「現在の子育てのキーワードは“密室”」だという。いじめや虐待、学力不足が深刻になるに従って、「教育の基本は家庭」と声高に叫ばれるようになった。だが、その家庭は地域社会から孤立し、夫は仕事に忙殺されている。子供の全責任を負うのは母親だとわかっているからこそ、密室の子育てに息苦しさが募る。

■勉強も体育も高いハードル

 「昔は『元気に育ってくれればいい』だったけど、今は、いじめちゃダメ、いじめられてもダメ、勉強もできなきゃダメ、体育もできなきゃダメ。そうやって、そうやって、どんどんハードルを高くしちゃうから、すごいプレッシャーですよ」

 母親自身が、塾世代、いじめ経験世代であり、ある程度の学歴がないと幸せになれないことも知っているし、自分たちも、そうやって評価されてきた。子供が「思い通りの子」でない行動を取ると無表情になり、「見ないふり」をする人もいる。わずか一歳で「子育てに失敗した」と嘆くのは早すぎるのに…。

 「今のお父さん、お母さんの弱さは、生活を経験していない弱さ。『女の子だから料理手伝って』ではなく『あなたは勉強していればいいから』と言われてきた。親子も友達も夫婦も本音で話した経験が希薄。青春時代に、自分の意見を持つ、人間関係をつくるということをしなかったツケは、子育てで回ってくる」

 高瀬さんを戸惑わせたのは、泥沼になる前に離婚したという夫婦が少なくないことだ。「最後は別れるにしても、どうして子供のために血みどろのケンカをしてくれないの」との思いが残った。

 人と向き合う経験が少ないまま、いきなり子供と一対一で向き合うと、その困難さは想像に難くない。秋田の殺人事件の畠山鈴香被告のように子供を見捨てる母親も、英才教育に入れ込む母親も「子供と向き合うのは本当に大変」という“出発点”は一緒だと高瀬さんは指摘する。

 「『大変だからもっと頑張ろう。子供は私の作品なんだから』と頑張りすぎると止まらない。逆に『大変だから、ご飯はファストフードでいいや。だって私が壊れちゃうもん』なら育児放棄。どちらのお母さんも『子育て頑張ってる私って、えらい』という思いは同じなのに」

 唯一子育てを共感し合える夫は、さらに幼く「もっと自分にもかまえ」と子供に嫉妬(しっと)することすらある。

■言葉を話せば『一人前』扱い

 地域で子育て世帯をサポートする主任児童委員は、より深刻なケースを目にしている。愛知県内のある女性の主任児童委員は、早く職場復帰したいから、母よりも女でいたいから、生活が苦しいからと理由は異なるが、子供を勝手に「一人前」と見なす自分本位の考え方が気になっている。

 三歳になって言葉を話すようになれば「もうこの子は、私の言うことを理解している」という思い込み。台所のテーブルの上に電子レンジが一台鎮座し、インスタント食品が二、三十種類並んでいる家庭。自分たちがインスタント食品で十分だから、子供も大丈夫という理屈らしい。

 プライドの高さもある。

 「ものすごく楽天的に高い目標をつくって、達成できないとガンガン叱(しか)る。ずっと『中の上』でいなきゃ、という感覚で生きてきたから人に相談できない。最近はもう親にも頼らない。『お母さんに相談したら』って言うと、『えっ、親ですか?』と、すごく意外そうな顔をされた。たとえ親でも、下に見られたくないと気負っているんでしょう。何だか不器用ですね」と、この女性は嘆く。

 親が大事にしていることと、子供の幸せがかみあわない。それを、先の高瀬さんは「隙間(すきま)だらけの親子関係」と呼んでいる。

 「本当に子供がかわいくて、頑張っている。でも、かわいいなら、なんで替えの紙オムツを忘れてくるの? なんで朝ご飯食べさせてこないの? すごく不思議だったけど、お母さんが一生懸命なのは、かわいい服を着せたり、木のおもちゃをそろえることで食事や夜早く寝かせることは大事にするリストに載っていないんだ、とわかってきた」

 小さなボタンの掛け違いを、子供が成長してから修正するのは難しい。

 「思った通りに育たなかったわが子を丸ごと受け入れるのは大変だから、『あんたはあんたで、勝手にやって』と無関心になっちゃう。遊びに行っても家の人に『こんにちは』も『さようなら』も言わなくていい『あいさつしなくていい家』になるんです」

 今の母親の子育て力低下の理由を、今の母親だけに求めても答えは出ない。母親の母親の時代から、密室の子育ては始まっていた。

 「子育てって模倣なんですよ。近所の人とか親戚(しんせき)のおばさんとか、多くの人がかかわっていれば、『私は自分の母親のような子育てはしたくない』と思った時に修正ができる。でも今はもう、修正したくてもモデルがないから悩んじゃう」

 「荒畑・もちの木」の取り組みは、時計の針を元に戻すのではなく、大家族が担っていた役割を共同体の中で再生し、多くの人が子育てにかかわる環境を取り戻すことだ。その一つが、ゼロ歳、一歳の子供と母親が集まる「赤ちゃん広場」。子供を遊ばせるだけではなく、「ストレス解消法」「今の自分を見つめて」など母親同士の交流テーマが毎回設けられ、それぞれが思いを吐露する。

 訪ねた日に集まったママさんは四人。育児ノイローゼとは無縁そうな前向きなママさんたちだが、やはり子供と二人っきりで家の中にいると、イライラが募ることがあるという。

 「気が付くと宅配便の人としか話していなかった」。結婚前はフルタイムで働いていたという母親は「子供が昼寝して、急に時間が空くと、何もしていない自分に焦りや罪悪感を感じる」。「小さい子供がいる家は、父親の残業を禁止する法律を作ってほしい」という意見には一同が賛同した。

 でも、みんなが一番大きく頷(うなず)いたのは、二十代の若いお母さんが少し照れながら、こう言った時だ。

 「子供を産んで、初めていとおしいという言葉の意味が実感できた。やっと自分が大人になれたかな」

 子育ての息苦しさを知るからこそ、高瀬さんはあえてこう訴える。

■育児は楽しい『今伝えねば』

 「『子育てって本当に楽しいよね』って、今伝えなきゃとも思う。二十年前に一時預かりを始めた時は『甘やかしている』と言われたけど、千人中千人のニーズをすくい取るのが行政で、千人中一人、二人のニーズをすくい取るのが私たち。『お母さんだから頑張りなさい』じゃなくて、みんなで助けられる社会にしないとね」(宮崎美紀子、敬称略)

 <デスクメモ> 二十五歳以下の若年層が人口比の一定割合を超えると、まもなくその国は戦争を始める。そんな説があるそうだ。近ごろの日本人の子育て力、子産み力の低下は、不安を肌で感じて、無意識に老人国家を歓迎しているのではないか。緩やかな滅びの道であれば恐ろしい。子供たちの笑顔が輝く国をつくりたい。 (充)


 2007.01.03
 ・私たちの「美しい国へ」 <2> 学校の知識 知恵に変換 
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私たちの「美しい国へ」 <2>
学校の知識 知恵に変換

■よのなか科 杉並区立和田中学校 校長 藤原和博さん

 「人間にとって宗教とは何でしょうか。最低でも一行、自分の意見を書いてください。その理由も一つ以上考えて」。水曜の朝、東京都杉並区立和田中学校の視聴覚室。校長の藤原和博(51)は、大人でも答えに窮する問題を、二クラス計八十人の三年生に問いかけた。

 この日(先月十三日)は昨年最後の「よのなか科」の授業だった。テーマは「宗教について考える」。生徒は六、七人ずつ、十二のグループに分かれ、同級生と議論しながら自分の意見を磨いていく。授業を受けているのは、生徒だけではない。よのなか科は見学自由。各グループには、教師志望の学生や全国の教育関係者ら約四十人の見学者の中から、最低でも一人の大人が同席する。

 授業の冒頭、藤原は「よのなか科に『参観』という態度はありません。大人も生徒以上に一生懸命学び、ワークシートに自分の考えを記入してください」と求める。見知らぬ大人の目があるせいもあり、居眠りや雑談をする生徒はいない。生徒にとって、見学者の大人は生きた教材でもあるという位置づけだ。

 よのなか科は二時限続きの計九十分。三年生を対象に年間二十回以上行われ、校長自らが担当教師と一緒に教える。

 「自ら授業もできないような校長は、もう(教育現場から)去れということです。自分で授業の手本を見せられないで、教員を従えられるわけがない」

 藤原は、冒頭の問いに答えようと机に向かう生徒たちの様子を見て回りながら、次々に生徒の名前を呼んで意見を発表させる。

 「宗教とは信じる心を育ててくれるものです」

 「宗教とは目に見えない心の支えです」

 生徒からは、こんな答えが返ってきた。藤原は「意見を言ったみんなに拍手!」と呼びかける。この日の授業で生徒が考えた問題はほかに「人気タレントと教祖、ファンと信者の相違点」「もし自分が宗教をおこすとしたら、教団名や教義は」などだ。藤原が自ら模範解答を示すことはない。いずれの問いも正解が一つではないからだ。

 昨年四月の第一回「よのなか科」のテーマは「ハンバーガー店の店長になってみよう!」だった。実際にマクドナルドの店長を授業に招き、生徒はどんな店にしたら売り上げが伸びるのか考え、議論した。テーマは「模擬区議会」「市長を疑似体験」「少年法模擬法廷」と続いていく。

 生徒が比較的取り組みやすい、実際の経済や社会問題を最初に取り上げ、「自分で考える」ことに慣れさせる。その後、秋からは「結婚と離婚」「戦争と人間」など、倫理や価値観と切り離せない高度なテーマに歩を進めていく。

 藤原は「よのなか科」導入の狙いをこう説明する。

 「学校で教えている知識は、世の中でそのまま使えるわけではない。知識を組み合わせ、状況に応じて使い分けていかなければならない。昔は地域社会が、知識を知恵と技術に変換してくれる装置だった。一つの正解だけでは通用しない例外事項が、そこでたくさん出題されていた。今は地域社会がごっそり抜け落ち、学校である程度、教えざるを得なくなった」

 よのなか科は毎年秋、自殺問題をテーマにする。昨年十一月の授業では、飛び降り自殺しようとする生徒を、同級生がどう止めるのか、双方の役に分かれ議論した。ちょうど、いじめを苦にした小中学生の自殺が相次いだ時期だ。どうすれば、いじめは防げるのか。藤原の答えは明快だ。

 「できません。人間が集団を形成すれば、絶対にいじめはある。和田中にも普通は一クラスに一件くらいある。必ずあるという前提で、どう発見し、対処するかが重要なんです」

 そして、いじめを三つに分類する。

 「レベル1は、どんな社会にもある人間関係をめぐる摩擦や誤解。これは受容しないといけない。暴力やおカネをたかることが度重なれば、レベル3。傷害、恐喝だから、教師が指導できると思う方が間違い。即警察です。問題は、その間のレベル2なんです」

 和田中では、いじめが発覚した場合、教師が関係する生徒全員から個別に事情を聴き、全職員に事実関係を周知徹底することにしている。藤原は「教師の基本行動ができていれば、レベル2の半分以上は対処できる」と話す。ただ、携帯電話メールを使った言葉のいじめなど、学校が把握できないこともあると明かす。

 昨年、教育改革を最重要課題に掲げる安倍政権が誕生し、改正教育基本法が成立した。「ダメ教師」を辞めさせる教員免許の更新制度や教育バウチャー制度など、国が主導する教育改革が進もうとしている。藤原には、どう映るのか。

 「どんなに法律をよく改正しても現在の運用レベルでは何も変化は起きない。今の教育現場の問題は、法律と制度ではなく、運用が悪いんです」。そして「この辺にいる人たちは…」と手を頭の上に挙げ、続ける。「運用のことが分からないから、法律と制度をまた変えるでしょ。すると、また現場は混乱する」

 指導力が低い教員がいることは藤原も認める。同時に教師の能力を引き出すこともできると力説する。

 「ある学校で出たよい知恵が、ほかの学校に瞬く間に波及することが起きなくなっている。教育現場の機能低下だ。原因の一つは、学校が地域社会と家庭の役割まで期待され、事務量が膨大に増え、教師が忙殺されていることだ。教師の仕事をシンプルにして、授業と部活を中心とした生活指導に九割の力を注ぐことができれば、七割くらいの教員はよみがえると思う」

 和田中には、ボランティアの大学生が生徒の勉強をみる「土曜寺子屋」、住民・保護者が図書館運営などを分担する「地域本部」がある。教師を授業と生活指導に専念させ、生徒に社会とのかかわりを実感させる狙いがある。こうした学校運営は校長が担う。だからこそ、藤原は「校長の質」の改善を訴える。

 「全国の公立中約一万校のうち、三千校くらい校長を代えないといけない。校長は、教頭という非常にハードな仕事に耐えた人の『上がりポスト』で、そこにあぐらをかいている人が大半だ。これを許していては、日本はダメです」

■文科省官僚も校長の経験を

 リクルート勤務を経て、都内の公立小中学校で初の民間人校長になった。では、どんな人材が校長になれば、改革できるのか。

 「必ずしもビジネスマンが適しているとは思わない。文部科学省からは三、四十代の官僚が市区町村の教育長や都道府県の教育次長に出向しているが、そこに止まっていないで、三百人くらい校長に出たらどうか。文科省も現場感覚が分かるようになる」

 杉並区は、新一年生と保護者が近隣地域の小中学校を選択できる学校希望制度を二〇〇二年度に導入した。和田中の入学者は、藤原が校長に就任した〇三年度は四十九人。その後年々増え、〇七年度には百四十人前後が入学する予定だ。 (敬称略、竹内洋一)

 ふじわら・かずひろ 1955年11月東京生まれ。東京大学経済学部経営学科卒。リクルート社で東京営業統括部長などを歴任し、インターネットを中心にマルチメディア関連ビジネスを展開。2002年3月に退社し、杉並区教育委員会参与に。03年4月から現職。同区在住。高2長男は区立小中卒。中1二男、小5長女も区立校に通う。

 <デスクメモ> 小学校の英語問題で教諭をしているいとこに電話した。夜、十一時すぎだったが「カリキュラム作成で今も学校。明け方まで帰れないし、そんなこと答える余裕はないよ」と苦しげな言葉が返ってきた。サッカー少年で、子どもに教えるのが夢で教師になったのだが。いつからこんなに余裕がなくなったのか。 (蒲)


 2007.01.01
 ・私たちの「美しい国へ」 <1> 自衛隊ベビー 
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私たちの「美しい国へ」 <1>
自衛隊ベビー

■カンボジア支援NPO副理事長田口嘉孝さん

 戦後レジーム(体制)からの脱却を掲げる安倍内閣が発足して三カ月。昨年末には、改正教育基本法などを一気に成立させ、今年はいよいよ、本丸の憲法改正論議も本格化する雲行きだ。愛国心や公共の精神などを強いる復古的な空気がまん延する中、果たして戦後体制を支えてきた価値観は大きく変わったのだろうか。職場や地域、ボランティアなどの現場で、それぞれの人が抱く「私たちの『美しい国へ』」をお届けする。

 鼻先で閉じられた戸がピシャリと音をたてた気がした。一九九六年二月、青森県の温泉町。「はるばる来て、このざまか」。田口嘉孝は、あざ笑うような曇り空を睨(にら)みつけた。フォイの顔が浮かんだ。

 その前年、カンボジアのタケオ県。田口は自衛隊PKO(国連平和維持活動)部隊の宿営地跡を見渡していた。「自衛隊ベビーがいるらしい」。そんなうわさを聞き込んできたのだ。「現地女性をはらませた自衛隊員-正義感?」。自問自答して苦笑した。「柄じゃないっての」。自分はスクープに食らいつく猟犬なのだ。

 自衛隊ベビーは、ほどなく見つかった。有刺鉄線越しに宿営地の自衛隊員らにコーラを売る女性が母親だったからだ。カンボジアの伝統的な高床式の家で幼子を抱きしめながら、その女性、ミアス・ダー・ウィーはほほ笑んだ。

 「妊娠したとき、彼が『産んでいいよ。迎えに来るから』って言ってくれたのよ。彼に連絡してください」

 幼子の名前はフォイ。自衛隊員との間に生まれた娘だ。ウィーは彼の三文判が押された冊子に青森の実家の写真をはさみ、田口に手渡した。厚さ二センチほどの冊子は、彼がくれた日本語・カンボジア語単語ノートだった。

 しかし、二十四歳の青年隊員から、養育費はおろか、手紙一通来ていない。ここでは、一万円もあれば五人家族が一カ月間、暮らせるというのに。

■隊員の父親『そういう女』

 彼は除隊していたが、自衛隊は親切にも、田口に青森の実家を教えてくれた。まだ個人情報保護法がなかった時代だ。しかし、自衛隊員、いや、フォイの父親には、ついに会えなかった。実家を訪ねた初日、隊員の両親は居間に上げてくれたが、フォイの話題で態度を硬化。翌日、再び訪ねると、隊員の父は戸を閉める直前、言ったのだ。「“そういう女”だったんでしょ」。(これ、どういう意味なん?? 騙しても平気な人間ということ?(^。^;; 子も子なら親も親ってことか・・)
ため息をつく田口を、犬が見つめていた。預かった写真の中にいた白黒のブチ犬だった。「初めての男性だったの」。ウィーの声がよみがえった。

 母子の消息は二〇〇〇年には分からなくなってしまった。「フォイが二十歳になるまでは会い続けようと、なぜか、決めてたんだけどね」。田口の声がかすれた。

 田口は今、特定非営利活動法人(NPO法人)「カンボジアの健康及び教育と地域を支援する会」の副理事長を務め、毎年二回、カンボジアで井戸掘りを行う。学校のない地区に校舎も建てる。歯磨き習慣のない人々の歯はガタガタで、河野篤理事長(鶴見大学歯学部名誉教授)の声掛けにはせ参じる鶴見大や日本歯科大OBらが無料で治療する。

 NPOへの寄付金は人件費などに回さず、全額が井戸や学校になる。
井戸一本、二万五千円で掘れる。寄付者の好きな名前を書いた看板を井戸に掲げ、写真撮影して寄付者に渡す趣向が受けた。(これ、ええね! 25,000円ぐらいなら自分も出してみよっかなという気になる♪ どんな名前にするかなぁ・・・w)
「亡き母の遺志です」と、女性商店主からポンと三百五十万円が振り込まれたり、東京の女性から三校分の学校建設費千四百万円が寄付されたり。「私は中学までしか行けず、はだしで通っていました」。女性からの手紙にカンボジアの子どもたちも励まされる。

 現地でタッグを組む国会議員シアン・ナムは裕福なデベロッパーだ。学校予定地への道が陥没すれば、国の予算がなくても自分で造ってしまう。「向こう版の田中角栄だね」と田口。

■ハコモノは悪玉なのか

 政界疑獄の取材歴が長い田口の目にも、カンボジア版角栄の剛腕ぶりは頼もしく映る。「日本ではハコモノ行政は悪玉だが、あっちに行くとハコモノって大事だと気付かされる。カンボジアが目に見えて、よくなってるのが分かるんだよね」

 たった二万五千円で井戸が掘れるとは、PKOを取材しに行って、初めて知った。ウィー親子の存在が田口をカンボジアに引きつけ、そして行くたびに「もっと井戸を掘ろう、学校を建てよう」と思って帰国する。賛同者からは「戦後復興期の日本を見るようだ」「癒やされた」という声も寄せられる。

 その後、プノンペンで警察官をしているウィーの親類を探し当て、ウィー母子が、旧ポル・ポト派支配地区のアンロンベンにいることが分かったが、そこに行きたいという田口に協力するガイドなどいない。観光都市シエムレアプから車で三時間ないし七時間で行けるはずだが、ポル・ポト派による市民殺りくの残像は、今なおカンボジア人の脳裏に焼き付いて現地入りを尻込みさせるのだった。

 「少しは安全になったらしい」。ガイドが、ようやく、そう言い出したのは一昨年のことだ。

 ところどころ崩壊した悪路に、さすがの四輪駆動車も、うなり声を上げずにはいられない。道が途切れてしまった場所では、車ごとジャングルに突っ込んでゆくしかない。強引に草木をなぎ倒しながら進むうち、ようやくアンロンベンにたどり着いた。

 だが、足を棒にして探し回ってもウィー親子らしき人影は見当たらない。田口には時間がなかった。今回も、井戸が掘られ、学校が建つのを心待ちにしている人々がいる。感傷旅行に時間を割く余裕はないのだ。

 あきらめてシエムレアプに戻った翌日、通訳のカオ・ソティランが「似てる子がいたぞ」と写真を持ってきた。フォイに間違いなかった。ウィーはカンボジア男性と結婚し、十二歳になったフォイはコンジャポン(日本の子)と呼ばれて、親類や近所の人々にかわいがられていた。

 「日本に行きたいわ。お父さん、迎えに来てくれればいいなあ」。フォイは笑顔で言う。かたわらで見つめるウィーの表情は、あくまで柔らか。「教育が大事。だからフォイは日本へやりたい」と言うが、なしのつぶての自衛隊員への恨み言は、ひとつもこぼさない。無邪気なフォイと、たおやかなウィーを目の前にして、田口は青森での出来事を、ついに言い出せなかった。

 アジア侵略の過去を背負って戦後、再出発した日本。専守防衛の経済立国こそ「美しい国」と信じてきた太平洋の島国は、「金は出しても人は出さないのか? Show the flag」と、米国から思いもよらぬ非難を浴びせられ、自衛隊海外派遣にかじを切った。ペルシャ湾派遣に続き、九二年からは停戦監視などのためカンボジアに派遣。

 イラク戦争でも、独仏がイラク攻撃に異を唱える中、日本は英国とともに、米国の「大義」を支持し、自衛隊を派遣した。米国は今、イラク戦争の誤りが指摘され、ブッシュ共和党が劣勢に。英国でもブッシュ大統領に追随したブレア首相はレームダック(死に体)化しつつある。ひとり、日本だけは「ブッシュの戦争」を支持した小泉純一郎からバトンを受けた安倍晋三も意気軒高。昨年末には防衛庁を「省」に昇格させる法案を成立させ、自衛隊の海外派遣を本来任務に格上げした。

 今やアジア侵略の反省を口にしたり、在日外国人を擁護する人々は「自虐的」と非難の大合唱に遭う。「優しい日本」を捨て「勇ましい日本」を目指す動きが急だ。 (敬称略、市川隆太)

 たぐち・よしたか 1954年、岐阜県生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、商社、広告デザイン会社勤務を経てフリージャーナリスト。政官財疑獄を主なフィールドとし、中島洋次郎・自民党衆院議員(受託収賄罪などで一、二審有罪。上告中の2001年に自殺)事件をスクープ。

<デスクメモ> 明けましておめでとうございます。今年は日本国憲法施行から六十年。憲法前文には、先の大戦の過ちへの反省と二度と戦争の惨禍を繰り返さないという決意が盛り込まれているが、戦後生まれの首相の歴史観は依然、あいまいなままだ。なぜ、脱・戦後体制で、改憲なのか。その意味を考える年にしたい。 (吉)

 

↑↓元日、同じ日の関連記事(リンク切れなれど、阿修羅で読めます

豊かな国は どこですか(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20070101/mng_____kok_____005.shtml

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